第五話 北庭のベンチ
四件目の陳情を処理してから、二日が経った。
今回は何も直していない。
六十八年前に街灯が増設されていたことを確認し、記録を照合して処理済みの印を押しただけだった。
エリオットとしては、非常に望ましい結果だった。
「エリオットさん」
「何だ」
「今日は一枚、見ます?」
「……お前、最近遠慮がなくなってきたな」
「前回、早く終わりましたから」
「次もそうとは限らない」
「でも、処理済みが入ってることは分かりましたよ」
それは確かだった。
三件続けて本当に未処理だったときには、この箱の中身すべてがそうなのではないかと疑い始めていた。
少なくとも、その心配はなくなった。
「一枚だけだぞ」
「はい」
エリオットは木箱の蓋を開けた。
『未処理』
見慣れた文字を横目に、一番上の書類を取り出す。
「何年前です?」
「五十七年前」
「だいぶ新しいですね」
「お前の感覚がおかしくなってるぞ」
表題を見る。
『王城北庭への休憩用長椅子設置について』
「長椅子」
「ベンチですね」
「そうだな」
陳情書を開いた。
北庭には職員や来訪者が休憩できる場所が少なく、特に昼の時間帯には庭の縁や建物の階段に腰を下ろす者がいる。休憩用の長椅子を増やしてほしい。
「これ、今も北庭ですよね?」
「ああ」
「先に見に行きません?」
エリオットは少し考えた。
前回は先に記録を調べた。
今回は現地を見ても、それほど時間はかからない。
「行くか」
「はい」
二人は陳情書を持って北庭へ向かった。
◇
王城北庭には、ベンチがあった。
「ありますね」
「あるな」
一つや二つではない。
庭を囲むように、一定の間隔で置かれている。
ノアが数え始めた。
「一、二、三……」
「数えるのか」
「せっかくなので」
エリオットは待った。
「十二脚です」
「十分だな」
「十分ですね」
昼前ということもあり、まだ空いているベンチも多かった。
陳情書には、庭の縁や建物の階段に腰を下ろす者がいると書かれている。
今の北庭を見る限り、その必要はなさそうだった。
「前回と同じですかね」
「何がだ」
「もう処理されてる」
「調べないと分からない」
「でも、これだけありますよ」
「五十七年前に置かれたものとは限らないだろう」
「ああ」
ノアが一番近くのベンチを見た。
どう見ても五十七年前のものではない。
「じゃあ、戻ります?」
「施設管理にも聞いておこう」
二人は北庭を管理する部署へ向かった。
◇
「北庭のベンチですか?」
施設管理の職員は、二人が持ってきた陳情書を見た。
「はい。五十七年前に設置を求める陳情が出ています」
「五十七年前……」
「現在十二脚ありますが、いつ設置されたものか分かりますか?」
「今のベンチ自体は何度か交換されていますよ。設置された時期なら記録を見れば分かると思います」
調べてもらうと、すぐに答えが出た。
「最初にまとまった数を置いたのは二十六年前ですね」
「二十六年前?」
「はい。それ以前にも数脚はあったようですが、今と同じ配置になったのはそのときです」
エリオットは陳情書の日付を見る。
五十七年前。
三十一年ずれている。
「この陳情を受けて設置したわけではなさそうですね」
ノアが言った。
「そうだな」
「じゃあ、また調べます?」
「それしかないだろう」
前回ほど簡単には終わらなかった。
◇
五十七年前の記録を探す。
受付記録はあった。
陳情を受けたあとの現地確認も行われている。
「休憩場所が不足していることを確認、ですって」
「陳情どおりだったんだな」
「長椅子六脚の設置を検討」
「そこまで進んでるのか」
配置案も残っていた。
北庭のどこに置くかまで印が付けられている。
「また嫌なところまで進んでますね」
「嫌と言うな」
「掲示板を思い出しません?」
「思い出させるな」
さらに記録を追った。
予算申請を出す直前。
別の計画が持ち上がっていた。
『北庭改修計画』
庭の一部を造り直し、通路や植栽の配置を変更する計画だった。
「改修するなら、先にベンチを置いても仕方ないですね」
「ああ」
長椅子の設置案にも追記されている。
『北庭改修後、配置を再検討』
「再検討」
「言うな」
「まだ何も言ってません」
「顔に出てる」
エリオットは北庭改修計画の続きを探した。
半年後。
『計画見直し』
さらに三か月後。
『当年度の実施を見送る』
翌年。
『計画中止』
「中止になってます」
「ああ」
「長椅子は?」
二人で探した。
ない。
北庭の改修計画は中止された。
だが、改修後に再検討する予定だった長椅子の設置については、その後どこにも記録がなかった。
「戻ってきませんでしたね」
「戻ってこなかったな」
「未処理です」
「そうなるな」
四件目で初めて処理済みの書類を引いた。
五件目で、また未処理に戻った。
「でも、今はベンチありますよ」
「そこだな」
二人は今度、二十六年前の記録を調べることにした。
◇
二十六年前。
王城では、地方から訪れる役人や商人などの来訪者が増えていた。
それに伴い、待ち時間を過ごす場所が不足しているという問題が出ていたらしい。
「北庭を休憩場所として整備する」
ノアが記録を読み上げる。
「長椅子十二脚を設置」
「今の数と同じだな」
「ですね」
配置図も現在とほぼ同じだった。
工事は予定どおり行われている。
十二脚の長椅子が置かれ、その後、古くなるたびに交換されながら現在まで同じ場所に残っていた。
「じゃあ、五十七年前の陳情とは関係ないんですね」
「ああ」
「でも、要望は叶ってます」
「三十一年後にな」
「本人、知らないでしょうね」
「知りようがないだろう」
五十七年前。
北庭に休憩場所を増やしてほしいという陳情が出た。
設置する方向で検討された。
北庭の改修計画が出たため保留された。
改修計画は中止された。
長椅子の話だけが戻ってこなかった。
そして三十一年後。
まったく別の理由から、同じ北庭に十二脚の長椅子が設置された。
「これ、処理済みですか?」
ノアが聞いた。
「いや」
「でも、ベンチありますよ」
「五十七年前の陳情は処理されてない」
「じゃあ未処理?」
「未処理だ」
「でも、今から何かすることあります?」
「ないな」
ノアが少し考えた。
「未処理だけど、やることがない」
「そういうことになる」
「そんなのもあるんですね」
「この箱にはな」
まだ五件しか見ていない。
それでも、そろそろ何が出てきても驚かなくなってきた。
◇
念のため、現在の北庭の利用状況も確認することになった。
翌日の昼。
二人は再び北庭へ向かった。
十二脚あるベンチの多くが使われている。
職員だけでなく、王城を訪れているらしい者の姿もあった。
庭の縁や建物の階段に座っている者はいない。
「足りてますね」
「ああ」
「増やします?」
「何でだ」
「五十七年前は六脚増やす予定だったんですよね」
「今十二脚ある」
「そうでした」
現在の状況で、新たに長椅子を増やす必要はなかった。
エリオットは利用状況を記録し、王城へ戻った。
◇
『王城北庭への休憩用長椅子設置について』
五十七年前の陳情書を机に置く。
「今回は何て書くんです?」
「当時の陳情が未処理だったことと、現在は別件によって要望内容が満たされていること」
「対応不要?」
「現状ではな」
エリオットは確認した内容を記録した。
五十七年前の陳情そのものは処理されていない。
ただし、二十六年前に別の理由から長椅子十二脚が設置され、現在も休憩場所として十分に機能している。
追加の対応は不要。
最後に印を押す。
『処理済』
「何だか不思議ですね」
「何が?」
「この人の陳情、今日まで未処理だったんですよね」
「ああ」
「でも、お願いしたこと自体は三十一年前に叶ってる」
「そうだな」
「誰もこの陳情を見てないのに」
「ああ」
ノアは少し考えてから言った。
「結果だけ見れば、処理されたのと同じですね」
「三十一年待たせていいならな」
「だめですね」
「だめだな」
エリオットは陳情書を処理済みの保管場所へ移した。
「二件続けて工事なしですね」
「いい傾向だ」
「次も――」
「言うな」
「まだ何も言ってません」
「前にも聞いた」
ノアは木箱へ伸ばしかけた手を引っ込めた。
五件目は、五十七年前には何もされず、三十一年後に別の理由で解決していた。




