11章 封壁
目的の建物までは、歩いてみると意外と距離があった。ルカが心底申し訳ないという顔をして、少し後ろをついてくるミラを振り返った。
「ミラ様、足元は大丈夫ですか? ニコに馬を預けず連れてくれば良かったです」
「いいえ」
ミラが楽しそうに答えた。
「この間は丘や馬の上から眺めるだけだったオリーブ畑を歩けるなんて」
そう言ってあちこちを見回すミラの瞳は好奇心に満ちている。
太陽をたっぷりと浴びたオリーブの木々は、どれも葉を豊かに茂らせている。風が吹くたび葉裏に日差しが当たり、きらきらと光った。
「それに、山暮らしにはこのくらい全く問題ありませんわ。ご心配なく」
「すごいなあ」
言葉のとおり、土の斜面を少しもぶれることなく颯爽と歩き続けるミラに、ルカは思わず感嘆の声を上げていた。
丘と丘の狭間にぽつんと存在している石造りの建物は、周囲が人の背丈ほどの雑草に覆われていて、平屋根や壁の一部しか見えない。正面の草はすでに刈り払われていたが、石壁が大きく崩れている箇所があり、かつての姿はあまり分からない。ただ、半壊した石積みの向こうには確かにアーチのシルエットが見えた。
「ルカ殿下、こちらです」
崩れた壁のすぐ前には、隊長が待機していた。ルカとミラに対して格式張った礼をすると、背筋を伸ばしてまた待機の姿勢になる。隊長が怪訝そうな表情を浮かべたのを悟ったらしいミラが「殿下、どうかお先に」と小さく言ってそっと後ろへ下がった。
ルカは隊長へと歩み寄りながら笑いかけた。
「暑い中、本当にありがとう」
「職務ですから」
きびきびとした声がすぐに返ってくる。そして隊長はルカへとそっと顔を寄せた。
「殿下、客人をお連れする許可は出ていないはずですが」
「今日はミラ様が必要だからね、僕の責任で同行していただいたんだ」
ルカがさらりと返すのに意外そうな表情をした隊長だったが「左様でしたか。出過ぎたことを申しました」とすぐに引く。
ルカが周辺や壁の付近をざっと見て確認すると、少し離れた場所で待つミラを迎えに行った。
「周辺の安全確認や足元の整備は調査団の皆がやってくれているんです。これなら十分に確認ができると思います」
今日、調査団がここにいるのはルカの秘密裏の依頼を聞いてくれたからではない。ルカが物見台の件を報告すると、ガレスは即座に調査団の派遣を決めた。
『つまり、かつてアルド人がヴァレン内部まで入り込んでいた可能性があるということか』
重々しい声で呟かれた言葉に、ルカは何も答えなかった。代わりに、自分に現地の指揮を任せてほしいと申し出たのだった。
「あれは……」
目的の建物へと歩み寄ったミラが呟いた。ルカも同じものを見ていた。
崩れた石壁の向こうには、かつての正面入口だったのだろう、堂々とした石造りのアーチが残されていた。降り注ぐ夏の日差しを受けた要石には、アルドの彫りがはっきりと浮かび上がっている。
ルカが石壁を見つめながら言う。
「壁の石の積み方がアルド式と違うようですが……」
ルカの言葉にミラが頷いた。
「そうですね。今主流のやり方は研磨の技術が発達してからのものです。この壁はそれよりも古い気が……」
ミラの言葉に相槌を打ちながら、ルカが奥の暗がりを覗き込んだ。
「少し中を見たい」
ルカの言葉に隊長が唸る。
「殿下が歩き回るような場所ではございません」
「では案内を頼む。こちらも十分気をつけよう」
即座に言葉を返したルカに、隊長はいよいよ驚きを隠せないといった様子で言った。
「今日の殿下はいつもと雰囲気が違いますな」
「父上のお達しを無視し、隊長にも反論しているから?」
ルカの楽しそうな声に隊長が黙る。ルカは続けた。
「父上はアルドの痕跡を脅威と見ている。でも、僕はもしかしたら違うんじゃないかと思っているんだ。違ったらいいという、希望もあるんだけど……」
「と、申しますと」
「僕もまだ上手に言葉にはできないんだけどね」
遠慮がちにそう前置きしたルカの頭には、要石に込められた願いが反芻していた。
――どうか、長く続いてほしい。
「今のヴァレンとアルドの関係を、もっと違った方向に向かわせることのできる何かが、この場所にはあるかもしれない」
ルカの言葉に隊長はしばらく考え込んでいたが、やがて諦めたように首を振った。そして、手早くランタンを用意しながら言う。
「私が足元の確認をしながら向かいます。決して私より前に出ることはないように願います」
「私も参ります」
ミラが強い声で言う。隊長がまたもや唸った。
「あなた様に何かがあったらそれこそ二国間は危機を迎えます。どうか控えていただきますよう」
「少しでも危険があったらすぐに引き返す。だめか?」
ルカの言葉にも隊長は頑として聞き入れる様子はない。が、ルカはなおも食い下がらない。
「責任は僕が負う。それでもミラ様には来てもらいたい。ミラ様ならアルドとの繋がりを示す新たな証を見つけられるかもしれない、頼む、ランベルト」
必死の声で名前を呼ばれた瞬間に、隊長は深いため息をついた。さっと手を挙げて一人の団員を呼び、端的に状況を伝えると、呼ばれた団員もてきぱきとランタンの準備を始める。
「もう一人後ろから同行させます。お二人とも絶対に我々の元を離れないでください」
隊長は言うなり先に立って建物内部へと入っていく。隊長のかざすランタンの明かりを頼りに、ルカとミラも続いてアーチをくぐった。
内部はがらんとした四角い空間が広がっていた。うっすらとした太陽光とランタンの小さな明かりでは全体を把握できない。雑草に隠れていて分からなかったが、かなり大きな建物だったのだとルカは改めて思った。
「気をつけてください。木板や石など大きなものは取り除きましたが、全てを拾いきれていない可能性があります」
隊長の言葉にルカは改めて足元を見回す。石の床は硬く、ざらざらと砂の感触がする。端に寄せられた木板は調査団が避けたものだろう。
「恐らく棚板だったものでしょう。倉庫跡だった、というのはあながち間違ってはいないようです」
隊長が言った。ルカは小さな明かりを頼りに、ぐるりと空間を見渡した。特にこれといって変わったものはないように見える。隊長の言うとおり、ここは本当にただの倉庫跡だったということか。
「……あれ?」
ルカはふと暗がりを見た。よく見えないが、奥の壁に何となく違和感がある。四人はゆっくり歩を進めた。ランタンの明かりがだんだんと壁の全貌を明らかにしていく。
「これは……」
一面の赤茶色。ルカの見慣れた煉瓦壁だった。
「ミラ様、アルドでは煉瓦も使うのですか?」
ルカの問いに「いいえ」とすぐに返事が返ってきた。
「アルドで煉瓦を使うことはまずありません」
「では、これはヴァレンの煉瓦壁ということ……」
ルカは呟き、そして黙り込む。しんとした沈黙が訪れた。
――アルド式の石造建築の中に、どうしてヴァレンの煉瓦壁があるんだ?
「……隊長」
ルカは、ランタンの明かりをゆっくり動かしながら壁を検分していた隊長に問う。
「この建物の背面は煉瓦壁なのか?」
「いえ、石壁です」
「なら、これは内壁なのか……向こう側に空間がある可能性は?」
隊長が壁に近づいて耳を押し当てると、隠しから取り出した小さな道具で煉瓦を軽く叩いた。
「……一部を崩して確認する必要はありますが、可能性はありますね」隊長がルカを見る。「どうされますか?」
「この後ろに何かが隠されている可能性が高い。崩して確認してくれ」
ルカの指示に隊長が後ろの団員へと目を向けた。
「松明と道具一式、それから増員を頼む」
***
壁を解体している音が外まで漏れ聞こえてくる。ルカとミラは辛抱強く待った。
天高くから真っ白な光を投げていた太陽が、今は西に傾いて辺りを赤く染め上げている。夕方の風が夏日に火照った肌をそっと冷やした。
やがて、半壊した壁の向こうから隊長が出てきた。口元に巻いた大きな布を外しながら、ルカたちの元へとやってくる。
「殿下、確認していただきたいものが」
ルカがとっさにミラを見た。ミラが乞うような視線を隊長へと向ける。
「……王女殿下にも、ぜひ」
小さく付け足した隊長が踵を返す。二人は無言で続いた。ルカは自分の心臓の音が速くなっているのを感じた。
「こちらです。足元にはお気をつけて」
促されて再び立ち入った空間は、複数の団員が手にした松明に赤々と照らされて、さっきよりもはっきり見えていた。作業を続けている団員たちの影が煉瓦壁に映ってゆらゆら揺れている。彼らはルカたちの姿を見るとさっと一礼して、少し離れた場所へと控えた。
ルカの目の前にある煉瓦壁には、何人かが横並びで一斉に通れるのではないかと思えるほど大きな穴が空いていた。その向こうには確かに空間がある。だが、ルカの目を引いたのは、巨大な開口部でも実在していた空間でもなかった。
「これは一体……」
呟かれたミラの声はわずかに震えていた。
壁の向こうの空間。松明に照らされて赤く浮かび上がった足元。
そこには、地下へと向かう古い石階段があった。




