表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

第10話 世界で一番幸せな、食卓の響き


魔獣との決戦から数日が経ち、アークス領にはこれまでにない穏やかな時間が流れていました。

もはや空を覆う灰色の霧はなく、街のあちこちから、子供たちの笑い声や職人が槌を打つ音が、誇らしげに響いています。


一方で、隣国のソルスティス王国からは、驚くべき知らせが届きました。

王太子ジュリアン様が、魔獣を放った反動として、自らが愛した「完全なる静寂」に飲み込まれ、声を失ったというのです。

活力を失った王都はアークスの騎士団によって速やかに救い出されましたが、ジュリアン様は今、音のない塔に幽閉され、かつて自分が捨てた「命の響き」を思い知る日々を送っていると聞きました。


「エレナ、準備はできたか? 皆が待っているぞ」


扉をノックする音と共に、アラリック様の落ち着いた声が聞こえてきました。

鏡の中に映る私は、アークスの特産である『銀糸蚕ぎんしさん』で織られた、白く輝くドレスを纏っています。

王都にいた頃の、申し訳なさそうに縮こまっていた私の姿は、もうどこにもありません。


「はい、お待たせいたしました」


私が扉を開けると、そこには正装に身を包んだアラリック様が立っていました。

その瞳には、私への深い信頼と愛しさが満ち溢れています。

彼は優しく私の手を取り、城の最上階にある大食堂へとエスコートしてくれました。


大食堂の扉が開くと、そこには騎士団のカイル様や、街の人々、そして厨房から腕を振るったギュンター様たちが揃っていました。

テーブルの上には、これまでの旅路で出会った最高の食材たちが、色鮮やかに並んでいます。


「さあ、始めましょう! アークスの新たな門出を祝う、『響食の祝宴』ですぞ!」


ギュンター様が声を張り上げ、最後の一皿をテーブルの中央に置きました。

それは、この日のために用意された『天輪果てんりんか』のクロカンブッシュでした。

水晶のように透き通った硬い飴細工で、何層もの小さなシュー生地が固められています。


私は、アラリック様に促されて、その頂点にある一粒を手に取りました。

皆が息を呑んで見守る中、私は大きく口を開け、その『天輪果』を噛み締めました。


——パリンッ、カリカリッ、サクサクッ……!


飴細工が繊細に砕ける音と、中の生地が弾ける軽快な音が、食堂の隅々にまで染み渡りました。

それは、かつて私を苦しめた「呪いの音」などではありません。

聴く者全ての心を解きほぐし、明日への活力を与える、祝福の調べでした。


「……ああ、本当に良い音だ。エレナ様が噛み締める音を聞くと、戦いの疲れなんてどこかへ飛んでいってしまいますね」


カイル様が、幸せそうに自分のワイングラスを掲げました。


「わっはっは! その飴の厚み、完璧だったでしょう? お嬢さんの咀嚼音が最も美しく響くよう、百度の温度差で何度もかけ直した甲斐がありましたぞ!」


ギュンター様が鼻を高くし、隣の副料理長と肩を組んで笑っています。


「本当ですね……。この音があるから、私たちは今日も、美味しいご飯を美味しいと感じて生きていける。聖女様、アークスに来てくださって本当にありがとうございます」


給仕の娘さんも、目に涙を浮かべながら、私に感謝の言葉を述べてくれました。


私は胸がいっぱいになりながら、次にアラリック様が差し出してくれた『鋼殻蟹』の身を口にしました。

バリバリッという力強い音が、私の満足感と共に会場に響き渡ります。


「……エレナ。あんたはいつも、誰かのために音を立ててくれたな」


アラリック様が、皆の前で私の手を優しく握りました。


「だが、これからは俺のためだけじゃない。あんた自身の幸せのために、好きなだけ食べて、好きなだけ音を立ててほしい。俺が、その音を一生隣で聴き続けると誓おう」


アラリック様の真摯なプロポーズに、会場からは割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こりました。

「おめでとう!」「お幸せに、聖女様!」

あちこちで、食べ物を噛み砕く音と、笑い声が混ざり合い、最高の「音楽」となって夜空へ溶けていきました。


私は、少しだけ恥ずかしそうに、でも最高に幸せな笑顔で答えました。


「はい、アラリック様。私、これからも美味しいものをたくさん食べて、世界一幸せな音を奏で続けます!」


私は最後の一切れの『月晶くるみ』を口に放り込み、一番のお気に入りである「カリッ」という音を響かせました。


かつて、静寂を愛する国で「うるさい」と捨てられた少女は。

今、音を愛する国で、誰よりも愛される「響食の聖女」として、幸せな食卓の真ん中にいます。


美味しい音は、命の音。

私たちが奏でる幸せな咀嚼音は、これからもアークスの地を、そして私たちの未来を、温かく守り続けていくのでした。


(完)


最後までお読みいただきありがとうございます!


↓の★★★★★を押していただけると

すごく励みになります!!

リアクションもして下さるとすごく嬉しいです!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ