終わりの始まり
おわりの村はサーカスの一団を迎えて浮かれたっています。
いくつか屋台もでました。
馬車の近くでサーカスの団員達も公演の前に少しだけ芸を見せてくれたので、子供達は大はしゃぎです。
リノはまだ自責から完全には立ち直れずにいましたがやはりそこは子供ですので、楽しげな音楽や笑い声のする村の中央広場に出かけていきました。
中央広場の端にはサーカスの馬車が止めてあります。
普通でしたらリノはあんな注意をされてしまったら、絶対に馬車には近づこうとせず、苦しさを忘れるよう前後の記憶を思い出さないよう努力しましたが、なぜだか鈴の事が頭から離れずにいました。
賑やかな広場をサーカスの団員達の芸をそっと見つつおっかなびっくり歩いていると中央の方で少し人に気配が変わりました。
何か新しい事が始まる様子です。
リノは人々の隙間から何があるか覗いました。
すると顔なじみのおじさんがリノを手招きし中央の前方に回り込ませてくれました。
人々の中心にはサーカスの団員と見慣れない服の子供がいました。
その子はとても 綺麗な容姿をしていました。
一枚の布をワンピースのように仕立てた民族衣装
風にさらさらと散る亜麻色の髪
大きな翠の瞳
リノは最初、なんて綺麗な少女だろうと思いました。
けれどその子の表情を見ていると少女のそれとは少し違う気がしてきました。
その子はとても愛らしく優しげでしたがどこか少年の鋭さを感じさせました。
サーカスの団員の1人がその子を真ん中に立たせ何やら囁き
周りの村人に「静かに 静かに」と注意をしました。
静かになるとその子はゆっくり息を吸い視線をどこか遠くに投げ
けれどその子が何も見ていない事が何故かリノにはわかるのでした。
突然 空気が震えました。
ぞくり
と リノの背筋に緊張がはしりました。
その子が声を発した途端 空気が変わりました。
広場で出すにはか細い声です。
けれど
絶対的な、圧倒的な、なにかがその声にはあるのです。
感受性の強い人間だったら反射的にその声に服従してしまいそうになる
言霊の響き
それは意識ではなく理論ではなく思考ではなく
産まれてくる前から魂にすりこまれている記憶の領域
恐ろしさよりももっと単純な事
命令よりももっと簡単な事
その言葉に逆らう事など考えられない、
逆らうなんてありえない。
そんな類の力に支配されてリノは身体が硬直し
瞳をそのこからそらす事すらできなくなってしまいました。
そんな恐ろしい程の影響をリノに与えながらも
か細い 小さな声はだんだんと旋律を伴って響きます。
それは静かな歌でした。
けれどそれは、苦しいくらい悲しい歌でした。
リノには歌詞の内容がわかりません。
どこか遠い国の、古い言葉で伝わる民謡のような歌です。
もしかしたら歌詞じたいは悲しいモノではないのかもしれませんが、それは悲しい歌でした。
その子の声は恐いくらい澄んでいて、触れると壊れそうな硝子みたいに透明でした。
小さな声でしたが、だんだんと高音に昇っていってもまったく擦れることがなく、人間の声域で出し得るとはとても思えない神の領域だと思っていた高音にもその声は昇りつめます。
リノは身じろぎもせず声も出せずただただ 自分の意志とは無関係に流れおちる涙ごしに
その子を見つめていました。
儚く、悲しい程綺麗なその声が風に消えるように途切れました。
拍手はありません。
みんなはリノのように涙を流してはいませんでしたが、何かに憑かれたように静まりかえっていました。
そしてそのこを見るみんなの目は未知のものに触れた時のように怯えていました。
◆
いつからだったか定かではありませんが、フォーはあまり声を出さなくなりました。
育ての親のリストムが死ぬ少し前くらいだと思います。
リストム以外話す相手がいないのですから
あたり前なのですが、その事をリストムはとてもとても心配していました。
「フォー、私はきっとそう長くない。どうかおまえの声をもっと聞かせておくれ、わたしが死の国へ行ってもおまえの声を忘れないでいられるように」
そう 寝床に横たわりながらも語りかけますが、フォーは絶望にとらわれていて上手く返事ができません。
「うん…何を 話したらいい?」
ようやくそれだけ返事をしました。
「ああ では今日、外はどうだい?空は晴れているかい?わたしらの小さな畑は順調なのかな?よく一緒に餌をやっていた鳥は今でも元気だろうか?」
リストムは本当は喋るのも苦しくてしかたがないのですが、フォーに答えてもらいたくて、フォーの笑顔を少しでも見たくて、とぎれとぎれながらも そう 質問しました。
フォーはぎこちなく微笑むとそれをひとつひとつ答えていきます。
そんな日が何日か過ぎましたが、死期の迫ったリストムの質問はしだい言葉をなさなくなりました。
それでも何かフォーに伝えようとするリストムは咳と共に血を吐きはじめました。
「もういい もういいからお願い それ以上喋らないで!」
フォーが泣きながらリストムを止めましたがリストムは質問をやめません。
それはもはや声ではなく喉をヒューヒューと鳴らしているだけでしかありませんでした。
「わかったから お願い、わかったから……」
リストムの手をとり少しでも温もりを記憶しようと、フォーは顔を埋めます。皺の深いリストムの手は骨ばっていて肉はまったくと言っていいほどついていませんが、大きく優しい手でした。
…どうすればいいのだろう?
…どうすればこの優しい人に安心させてあげられるのだろう?
自分がもっと色々な話をしてリストムに語りかけてあげられれば…。でもフォーはほぼ一日中つきっきりで看病しているので新しい話などあるはずがありません。それにフォーはいつだってリストムに新しい事を教えてもらっていたので何か教えてあげられる事なんてないように思われました。
…自分はなんて無力なんだろう
フォーは大切な一人の人間の事すら何の力にもなれない自分が悔しくて悔しくて切なくてただただ声もあげず涙する事しかできませんでした。
リストムの熱が高くなり、フォーは頻繁に小川に水を汲みに行きました。
フォー達の住んでいる小屋と村人達の集落の丁度中間地点に流れている浅く澄んだ小川にはよく村の子供達が遊んでいました。フォーと同じくらいの年の子供はフォーを見るとさっと居なくなってしまいますが、まだ小さな子供達はよく不思議そうにフォーを見つめてきました。
昔から、フォーは子供に触れてみたいと思っていました。
それも小さな小さな赤ん坊を。
抱いてみたいなんてそんな夢のようは事ではなく、あの柔らかそうな生物をそっと触ってみたかったのです。
もちろん、そんな事は叶いませんでした。
村の人間は誰一人、なんだかわからない恐ろしい贄の子供に
大事な赤ん坊を触らせようとはしなかったからです。
その日もフォーは水を汲みに小川にきていました。
するとそこにはまだ若い、娘といっても差し支えないような母親が赤ん坊を抱いて座っていました。
子守歌でしょうか、赤ん坊にやさしいやさしい視線を向け語りかけるようにささやくように小さな声で歌を歌っていました。
フォーはその光景をそっと、そっと見ていました。
目の前にある幸せを自分はどう足掻いても手にいれる事はできないのです。
望む事すら できないのです。
フォーとその母子は5mと離れてはいませんでしたが眩しさと、何故か溢れる涙でフォーには霞んでしかその姿をみる事ができませんでした。
その母子に気付かれないようにフォーは少し離れた場所で水を汲んでから小屋に帰りました。
まだ耳の奥ではあの母親の歌っていたやさしい歌が残っています。
すべての災いからこの子をおまもりください
あたたかな光をとどけてください
飢えることのないように
傷つくことのないように
悲しむことのないように
どうぞこの子に幸いを
偉大なるあなたのご加護を
…恐らく神に我が子の祝福を願う歌なのだろう
リストムはこの歌を小さい頃フォーに歌うことはありませんでした。
「神」への祝福の歌をフォーに聞かせるのは酷だと考えての事だったのでしょう。
そんな事をぼんやりと考えながらリストムの待つ小屋へと帰りました。
小屋に帰り リストムの額にのせてある濡れた布を新しく取り替え、枕元に座るとフォー突然
「歌を歌ってもいい?」
と切り出しました。
リストムは病床の身体も忘れびくりとフォーを見上げました。
そして擦れる声で
「フォー?おまえは歌をしっているのかい?」
と不思議そうに訊ねました。
リストムはフォーに歌らしい歌を教えた事がなかったのです。
この村に伝わっている歌は大抵が「神」への祝辞でしたし、リストム自身古い言語や歴史などについての知識は豊富でしたが童謡や御伽噺の類を多くは知らなかったのです。
今更ながら、子供のフォーにはつまらないだろと思われる村の大人すら読まない本などをよく読み聞かせていたものです。
「うん さっきちょっとだけ聞いたから覚えたんだけど…その、歌詞は忘れちゃったからつけられないけど…」
フォーは俯きながら答えました。
本当は歌詞もすべて覚えていました。
フォーは物覚えが素晴らしく良い子供だったので、本でも一回読んでもらえば大抵内容を暗唱できたのです。
リストムはフォーの頭の良さを知っていたので歌詞を忘れたというのは嘘だとすぐにわかりましたが、少し目を細め
「ああ じゃあ曲調だけでいいから歌っておくれ」
と促しました。
リストムが久しぶりに嬉しそうにしているのを見てフォーも久しぶりに微笑ました。
そして耳の悪いリストムにも聞きやすいように枕元にかがむとそっと 囁くように先刻の母親が赤ん坊に歌っていたように、自身のだしえるすべての愛情を注ぐようにゆっくり歌いだしました。
優しげな調べはフォーのまだ透明な声に良く合いました。
歌詞をつけていないので素朴さが際立って響きます。
観客は死期の近い老人が一人
舞台はなく、枕元で響く至上の歌声
その寂しく静かな小屋で、世界から切り離されたように寄り添う二人は『自分は今世界で一番幸せである』と確信していました。
それはリストムが息をひきとる数日前の事です。
その頃にはもう痛覚が麻痺しているのか苦しむ事もなく、表情も穏やかでした。
リストムもフォーもその体調の安定が回復であるとは考えてはいませんでした。
けれども二人はほんとうに僅かなその穏やかな時を微笑受け入れました。
「フォー、最後に少しだけ長い話をしてもいいかね?」
「うん、なあに?」
「今から話す話をこの年寄りがもうろくした妄想の話だと思ってくれてもかまわないんだ。
いいや、私ももしかしたら妄想かもしれないと近頃は思ってきたんだが…。」
「…不思議な話なの?」
「この世界の常識からすればな」
そう悪戯っぽく笑うとリストムは少し水を飲み唇を湿らせました。
そしてゆっくり息を吐くとこう切り出しました。
「では、世界の終わりの話をしよう」
酒の勢いで書いていたのでかなり辻褄が合っていない。
でも直すと勢いがなくなりそうなのでそのまま投稿。




