表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放令嬢ジェルジの山あい行灯店 ――宵闇の村でもふ獣人と灯す、ぬくもりごはんと旅の夜――  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/17

第14話 宵闇の吹雪

 夜灯り市の二日前から、山の空気は妙に乾いていた。


 朝は晴れているのに、昼を過ぎると風向きがくるりと変わる。尾根から下りてくる冷たい流れが、宿の軒先へ白い息のようにまとわりつき、行灯の火を細く揺らした。


 「春の風じゃないね」

 とアリーが言った。


 帳場で銅貨を数えながらの声は軽かったが、視線は表の空を見ている。


 「山の上で雪が残りすぎてると、たまに来る」

 とソフィー。


 「来るって、何がですか」


 「季節外れの荒れ方」


 答えたあと、ソフィーは薬草包みの口をきゅっと結んだ。大きく脅かす言い方ではないぶん、余計に現実味があった。


 ジェルジは入口へ掛けた試作の花冠を見上げる。白い花弁のあいだから、小さな灯りがやわらかく滲んでいる。あれを本番用に仕上げるには、今日のうちに留め具をもう一段強くしなければならない。


 だが昼前、作業場へ駆け込んできたティットマンが、その予定を吹き飛ばした。


 「村道に馬車。三台。紋付き」


 「旅人ではなさそうかい」

 とアリー。


 ティットマンは首を振った。


 「速すぎる。見せるための走り方だ」


 それだけで、誰の顔にも笑いは消えた。


 モフャが壁際に立ててあった外套を取る。


 「迎えに出る」


 「私も行きます」

 とジェルジが言うと、アリーがすぐに頷いた。


 「行っといで。帳場はこっちで見る。アラシュ、鍋は絶やさないで。ソフィー、冷えた人が出たときの支度を」


 「まだ誰も冷えてないぞ」


 「だから先に言ってるんだよ」


 短いやりとりのあいだに、食堂の空気が仕事の顔へ変わる。ジェルジは外套の紐を結びながら、胸の内で静かく息を整えた。


 村の入口近くまで出ると、馬車はちょうど石橋を渡り切ったところだった。


 黒塗りの側板。雨避けを兼ねた厚布の覆い。扉に入った紋章は、王都で何度も見たことがある。リセラの実家と近しい商会の印だった。


 先頭の馬車が止まり、従者が扉を開く。


 降りてきたのは、薄灰の外套をまとった女だった。裾に泥一つ付けず、手袋の指先にさえ乱れがない。顔を上げた瞬間、ジェルジの背筋へ古い冷たさが走った。


 リセラ。


 王都の大広間で、火の上がった花冠を見上げながら、あまりに綺麗な顔で眉をひそめていた女だ。


 「まあ」


 リセラは扇を持たない代わりに、口元だけで笑った。


 「本当にここにいたのね、ジェルジ。噂よりずっと、田舎に馴染んでいて驚いたわ」


 その声に、馬車の後ろから数人の男たちが降りてくる。役人風の者、商会の帳面持ち、護衛。皆、ここを人の暮らす村ではなく、値札を付ける土地として見ている目だった。


 ジェルジは歩み出た。


 「何の御用でしょう」


 「話し合いよ」


 リセラは山肌を一瞥し、つまらなさそうに続けた。


 「このあたりの湧水と鉱脈について、正式な調査結果が出たの。王都の商会が道を整え、採掘と集積の拠点を置く。その代わり、村には雇い口と援助が入る。悪い話ではないでしょう」


 「宿場はどうなります」


 「必要なら一部は残すわ。でも、いまのようなやり方は非効率ね。旅人相手に汁物と行灯で細々やるより、資源を動かしたほうがずっと利益が出るもの」


 言葉の端々に、踏みつける癖が滲んでいた。


 モフャが一歩前へ出る。


 「断る」


 「あなたに決める権利はなくてよ」


 リセラは視線だけでモフャを測り、すぐジェルジへ戻した。


 「村長を呼んでちょうだい。今日ここで返答をもらうわ。もし拒むなら、道の補修も冬越えの援助も見直しになる。王都は慈善で山を支えたりしないもの」


 その一言は、脅しとして十分だった。


 カラモリの道は、雪崩と崩れのたびに直さなければならない。外からの資材が減れば、次の冬に困る家は出る。理屈ではなく、暮らしの喉元を掴む言い方だ。


 やがて村長も呼ばれ、宿の食堂で話し合いが始まった。


 外から入ってきた冷気のせいで、いつもの食堂が少し狭く見える。アラシュは大鍋をあえて奥で煮立たせ、湯気を絶やさなかった。アリーは帳場脇に立ち、売上表や宿泊帳をすぐ取り出せるよう並べている。


 リセラは椅子へ座るなり、羊皮紙を広げた。


 「条件は簡単です。村の西斜面と北の湧水地一帯の使用権を商会へ譲渡。代替として、村道の補修費、冬期の保存食、労働賃金の保証」


 「西斜面を切れば、獣道が崩れます」

 とティットマン。


 「北の水は産婆小屋でも使うんだよ」

 とソフィー。


 「採掘の土が流れたら、宿の沢も濁る」

 とモフャ。


 リセラは小さく肩をすくめた。


 「それは調整すれば済む話でしょう。田舎の方は、いつも感情で反対するのね」


 その瞬間、ジェルジの中で何かが静かに定まった。


 王都にいたころの自分なら、相手の肩書きと声の整い方に押されていたかもしれない。だが今は違う。この食堂で眠った旅人の顔を、道に迷って震えた子どもの手を、自分は知っている。


 ジェルジは紙束を卓へ置いた。


 「感情ではありません」


 リセラの眉がわずかに動く。


 「この冬三か月の宿泊帳です。吹雪で足止めされた旅人、荷馬車の中継、薬草湯の利用数、夜道地図の売れた枚数、携帯行灯の貸し出し記録。ここに残っているのは、山を削らなくてもこの村が人を迎え、稼ぎ、道を守れている証拠です」


 アリーが横から別の帳面を開く。


 「しかも、こっちは増えてる最中だよ。去年の冬と比べても、泊まり客は戻ってきてる」


 アラシュが鍋の蓋を開け、食堂へ匂いを放った。


 「飯を食いに来る連中もな」


 場違いな言葉に聞こえるのに、不思議と笑う者はいなかった。鍋の匂いも、灯りも、地図も、ここでは全部が暮らしを支える数字の中に入っている。


 リセラは羊皮紙を指先で弾いた。


 「それでも、道の補修を止められたら終わりでは?」


 答えたのは村長だった。


 「終わりにはせんよ」


 年老いた声だったが、椅子の脚ほども揺れない。


 「助けが要らぬとは言わん。だが、喉を掴まれて生き延びるくらいなら、手間を分け合ってでも残る道を選ぶ」


 食堂が静まり返った、そのときだった。


 表の戸が激しく鳴った。


 一度ではない。風の塊がぶつかるように、続けざまに二度、三度。誰かが開けるより早く、隙間から白いものが吹き込んでくる。


 雪だった。


 細かく乾いた粒が、まるで真冬のような勢いで床へ散る。


 アリーが息を呑む。


 「早すぎる……!」


 モフャは戸口へ走り、外を一目見て顔色を変えた。


 「尾根から来た。霧も混じってる」


 ティットマンが窓の外へ身を寄せる。


 「石橋から先、もう霞んでる。これ、暮れる前に道が消える」


 さっきまで強気だった商会の男たちが、さすがにざわついた。馬がいななき、車輪止めの音が慌ただしく響く。


 リセラが立ち上がる。


 「すぐ戻るわ。馬車を寄せなさい」


 だが従者が外へ出た瞬間、風に押し返されてよろめいた。開いた戸から吹き込む白と冷気で、食堂の灯りまで細くなる。


 ジェルジは反射のように声を出していた。


 「戸を閉めて。全員、今は外へ散らないで」


 誰より先にモフャが戸を押さえ、アラシュが肩で閉める。どん、と木が鳴り、ようやく風が遮られた。


 「ティットマン、地図を。いま使える避難筋を三本」


 「ある」


 「アリー、宿に入れる人数の確認を。座敷と食堂、作業小屋まで」


 「すぐやる」


 「ソフィー、冷えた人用の湯と布を。アラシュ、鍋を二つに増やせますか」


 「増やす。豆も干し肉もある」


 「モフャ」


 呼ぶと、彼はもう動き出す寸前の顔でこちらを見た。


 「表の行灯、どこまで点けられますか」


 「宿前から石橋まではすぐ。沢沿いも、小型なら繋げられる」


 「やりましょう。敵味方は後です。道が消える前に、人の筋を残します」


 リセラが何か言いかけたが、言葉にならなかった。窓の外で、彼女の馬車の灯りがひとつ消えたからだ。


 ジェルジは作業台へ駆け、花冠の脇へ積んであった携帯行灯の箱を開けた。宵霧に強い灯芯、浅い風除け、持ち手付きの小型枠。何度も手を動かしてきた形が、いま初めて村全体の命綱として並ぶ。


 「これを石橋、納屋前、沢の曲がり角、座敷口へ。間は短く。見失わない距離で」


 ティットマンが地図へ炭で印を打つ。


 「橋から右へは危ない。崩れかけの縁がある。こっちへ寄せる」


 「了解」


 モフャは箱を半分抱えると、振り返った。


 「ジェルジ」


 「はい」


 「中の火、頼む」


 それは、必ず戻るという言い方に聞こえた。


 ジェルジは頷き、行灯へ次々火を移した。小さな明かりが、卓の上でひとつ、またひとつと目を開ける。


 やがて村の若者たちも呼ばれ、短い指示のあと、灯りは雪の中へ運び出された。石橋へ二つ。宿の前庭へ四つ。納屋へ三つ。沢沿いへ五つ。作業小屋の軒下にも二つ。


 外はすでに、昼とは思えない薄暗さだった。


 宵霧と雪が重なり、遠くの形を奪っていく。けれど新しい行灯は、風に煽られても完全には伏せない。低く、粘るように、道の高さで灯り続ける。


 「見える……」


 窓辺で誰かが呟いた。


 白い荒れの中に、点々と続く小さな火の列。派手ではない。だが、次へ進むための距離だけは、確かに残している。


 ジェルジはその列を見つめ、胸の奥で火を握り直した。


 買う、奪う、脅す。

 そういう手つきで触れられる前に、この村は自分たちのやり方で夜を越えられると示す。


 まだ吹雪は始まったばかりだ。

 だがもう、ただ怯えて待つ夜ではなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ