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総督の遺言  作者: 西季幽司
第三章「武公の詩」
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飛沫血痕①

 仲崎光輝が逮捕された。

 光輝の部屋で大量に見つかったオリーブオイルの空瓶から、偽商品を販売して荒稼ぎをしていたことが明るみになったからだ。罪状は商標法違反であるが、極めて悪質であるとして、詐欺罪で立件される可能性もあった。

 だが、今のところ、父親である仲崎幸太郎の殺害に関与した証拠は見つかっていない。

 一方、山口県警の捜査で、仲崎幸太郎が売って大金を得た「総督の遺言」という掛け軸の所有者が中村拓真であったことが分かった。何故、亡くなった中村拓真の掛け軸を仲崎幸太郎が持っていたのかという疑問が残った。そして、祓川と佐伯は西浦から、中村拓真の遺児である秋貞和義が掛け軸を探し求めていたという証言を得ている。

 この二つの事実を結びつけて考えれば、秋貞が掛け軸を探す過程で仲崎幸太郎が父親を殺害し、掛け軸を奪った事実を知り、復讐に及んだという見立てが成り立つ。

 目黒署に秋貞を呼び、取り調べを行うことになった。

 ここまで秋貞を追い詰めてきたのは、祓川と佐伯だ。二人の功績と言えた。当然、二人に秋貞の身柄を確保する役目が命じられたが、祓川は佐伯に「別のやつと行ってくれ」と興味を示さなかった。「それより――」と祓川は言う。「秋貞の自宅を家宅捜索したい。遺体を運んだゴルフ・バッグや遺体の解体に使った刃物が見つかっていない。やつの自宅にあるはずだ。それを捜索させてくれ」と言うのだ。

 祓川には何か考えがあるのだ。佐伯は「私も祓川さんと一緒に、秋貞の自宅に行かせてください」と懇願した。

 結局、秋貞の確保には高島と小笠原が向い、祓川と佐伯は鑑識官と共に秋貞の自宅へ行くことになった。

 秋貞は勤務地である乾清苑の近くのアパートに住んでいる。一人暮らしだ。

 秋貞の自宅に向かう車中、佐伯は祓川に疑問をぶつけてみた。

 佐田マンションでベランダの登攀検証をやった時から疑問に思っていたことだった。「祓川さん。最後に、ゴルフ・バッグに死体を入れてやってみないと意味がない――とおっしゃっていましたが、あれ、どういう意味でしょうか? 仲崎幸太郎は部屋で殺害されたのですから、死体をゴルフ・バッグに入れてベランダを上り下りする意味はないのではありませんか?」

 祓川は助手席で携帯電話を弄っていた。口角が僅かに上がっている。笑っているのだ。奥さんか娘さんにメッセージを送っているのかもしれない。佐伯の問いかけに、携帯電話から顔を上げると、「あん?」と大きな声を上げた。

「いえ、この間、野田君にマンションでベランダの――」と佐伯はもう一度、質問を繰り返した。

「ああ」と祓川は面倒臭そうに頷くと、「現場の血痕を見なかったのか?」と質問で返してきた。

「血痕――ですか?」

「そうだ。犯行現場と見られた、あのマンションの部屋、仲崎幸太郎の部屋の飛沫血痕を見なかったのか?」

 リビングの畳の上に黒々とした血痕が広がっていた。壁にも飛沫血痕があったのを佐伯は見ている。

「はい。見ました。それが何か?」

「あれを見て気がつかなかったのか――⁉」と言った後で、祓川は断定して言った。「仲崎幸太郎はあの部屋で殺されたのではない!」

「ええっ――⁉」と佐伯が驚く。

 祓川が訳を言わないので、尋ねるしかなかった。「な、何故、仲崎幸太郎はあの部屋で殺害されたのではないと思うのですか?」

「だから、血痕だと言っただろう。血痕の飛び散り具合を見れば、あそこで殺害されたのではないことは一目瞭然だ」

 血痕の飛び散り具合を分析することで、その形状から、被害者が何処でどの角度で傷を負い、どの方向に動いたかが分かる。「血痕の先端を見れば、被害者がどっちの方向へ動いたかが分かる。だが、仲崎の部屋の血痕はバラバラで、法則性が見られなかった」と祓川は言うのだ。

「と、ということは、どういうことでしょうか?」

「犯人が犯行現場に見せかける為に、血痕を偽装したのだ」

「血痕を偽装した――⁉」

「あのマンションで遺体が解体されたことは間違いない。遺体を解体する際に出た血液を部屋にまいて、ガイシャが部屋で襲われたかのように偽装したのだ」

 鑑識でもないのに、この人はそんなことまで分かるのかと疑心暗鬼だった。

 だが、後日、鑑識の人間に確認したところ、「断定は出来ませんが、その可能性はあると思います。あの部屋で襲われたにしては、血痕のつき方が変でした」という答えを得ている。

「だから、秋貞のアパートに行く」と祓川は言う。犯行現場が佐田マンションでないとしたら、秋貞和義のアパートのはずだと祓川は確信しているようだ。

「ま、待って下さい。仲崎が秋貞のアパートで殺害されたとしたら、遺体は、遺体はどうしてマンションにあったのですか?」

 祓川は「犯人が運んで来たからだろう」と簡単に言う。

「犯人が運んで来たって、どうやって?」

「だから、ゴルフ・バッグに詰めて運んで来たのだ」

 小柄な仲崎ならゴルフ・バッグ詰めることが可能だったかもしれない。

「ですが、犯人はベランダから侵入したのですよ。遺体が詰まったゴルフ・バッグを背負って、四階まで登ったと言うのですか――⁉」と佐伯が問い詰めると、「そうだ」と祓川は頷いた。

「そんな・・・馬鹿な・・・」

 ただでさえ登るのが大変なのに、遺体の詰まったゴルフ・バッグを背負ってベランダを登ったなんて信じられなかった。

「だから、検証をするなら、遺体と同じ重量を入れたゴルフ・バッグを背負わせる必要があったのだ。まあ、いずれにしろ、事件関係者の中で、そんなことが出来る人間は仲崎勇次か秋貞和義くらいだろう。仲崎光輝や野川孤高では体格的に難しい」

「仲崎勇次が犯人である可能性は考えなかったのですか?」

「当然、考えた。やつは父親が大金を持っているのを知っていた。だが、やつが父親を殺害したとして、遺体をバラバラにして池にばら撒いた理由は何だ? わざわざ遺体を背負ってマンションを登る理由は何だ? やつなら玄関から部屋に上がり込むことが出来ただろう」

「ああ、まあ、そうですね。そこで秋貞ですか・・・」

 祓川は秋貞犯人説に拘った理由が分かったような気がした。「じゃあ、秋貞は何故、遺体を背負って、命がけでベランダを登ったのでしょうか?」

「犯行現場をあのマンションだと思わせる為だ」

「じゃあ、何故、秋貞は遺体をバラバラにして池に捨てたのでしょうか?」

「父親の遺骨を見つけさせる為だろう」

「えっ――⁉ 秋貞は父親が殺されてあの池の底に埋められていることを知っていたのでしょうか?」

「少なくとも、仲崎幸太郎を殺害した時点で分かっていたはずだ」

「我々が白骨遺体を見つけたのは偶然ではなかったということですね」

「何故、仲崎幸太郎の頭部が見つかっていないのか、考えなかったのか?」

「はあ、すいません」と佐伯は謝るしかなかった。

「頭部が見つからないように、重りをつけて沈めたからだ。頭部が見つからない以上、我々は池底を浚ってでも探し続けるしかない。それを期待していたのだ」

「な、なるほど~なるほど~」と思わず祓川の口癖が出てしまった。

「仲崎の死因も確定していない。恐らく、頭部に外傷を負ったものと思われる。死因を隠したかったという理由もあるのかもしれない」

「はあ・・・」情けない返事をすることしかできなかった。

「動機は恐らく父親の復讐だ。仲崎が掛け軸を売りに出したことで、秋貞に知られてしまった。父親を殺害して、掛け軸を奪ったことを。そして、仲崎を監禁して拷問し、事実を聞き出したのだろう」

「だから、池の底に父親の遺体が埋められていることを知っていたのですね」

 散々、語っておきながら、祓川は「全ては想像に過ぎん!」と吐き捨てた。

 面倒くさい親父だ。

 秋貞のアパートに到着した時には、鑑識官が先に来て、祓川たちの到着を待っていた。「ああ、初めてください」と祓川は現場の指揮官気取りだ。

 プレハブ二階建てのアパートだ。小奇麗なのだか、表通りから細い路地を入った先にある。車が一台、やっと通ることができる路地で、出入りが不便な場所だ。

 二階の端から二番目が秋貞の部屋だ。家宅捜索が始まった。

「ここが犯行現場だと思う。特定してくれ」と祓川が指示を出す。

 鑑識官が部屋中に散らばって、凶行の跡を探し始めた。祓川と佐伯は一旦、部屋を出て、作業を見守るしかなかった。

 正直、無口で偏屈ものの祓川と二人で鑑識作業を見守るのは気が重かった。プライベートでの付き合いが皆無なので、事件のこと以外、話題がなかった。

 お互い押し黙ったまま、鑑識が作業を終えるのを見守った。

 鑑識作業を見守る駐車場の隅に、自転車置き場があった。中に、秋貞和義が犯行で利用した自転車があるはずだ。犯人と思わしき人物がゴルフ・バッグを背負って、自転車に乗って瓢箪池に向かう姿が目撃されている。

 後で、この自転車を鑑識に調べてもらう必要がある。

 鑑識作業が始まって暫くは、証拠の発見で湧いた。

 先ず、遺体を運んだと思われるゴルフ・バッグが見つかった。ゴルフ・バッグは押入れの隅に押し込んであった。中は空で、ゴルフ・クラブは一束になって、ゴミ袋に入れられ、ベランダの隅に立て掛けてあった。ゴルフ・バッグの内側から血痕が見つかり、遺体を運んだゴルフ・バッグと見て間違いなかった。

「やっぱり出ましたね」という佐伯の言葉に、祓川は何故か浮かない表情だった。

(素直に喜べよ)と佐伯は思ったことだろう。

 次に遺体の解体に使ったのであろう、中華包丁が見つかった。こちらは綺麗に磨かれ、新聞紙に包まれ、台所の戸棚の奥に仕舞われていた。柄の部分から人血と見られる血液反応が出ている。

 凶器と見て間違いなさそうだ。使い慣れた中華包丁で遺体を切り刻んだのだ。

 それを見た時、祓川は喜ばず、「商売道具をろくでもないことに使いやがって・・・」と呟いた。

 自転車置き場の自転車の中に、秋貞のものと思われる自転車があった。だが、こちらからは何も出なかった。

 以降、ぱったりと証拠の発見が途絶えてしまった。祓川と佐伯はじりじりしながら、鑑識からの報告を待った。

 たっぷり四時間は待たされた。やがて、鑑識官がやって来て言った。「祓川さん。どうやらここは犯行現場ではなさそうです」

「えっ――⁉」と声を上げたのは佐伯の方だった。

 秋貞の犯行を証明する証拠が見つかっている。祓川の見立て通り、真の犯行現場は秋貞のアパートだったのではないかと思い始めていたところだった。

 秋貞のアパートの部屋から、仲崎殺害を示す血痕や毛髪、皮膚片などの証拠が見つからなかったと言う。

 更に金だ。犯人は仲崎の部屋から大金を持ち去っている。秋貞の銀行口座の残高を確認したところ、大金が入金された形跡は見られなかった。仲崎は現金で保管していた。犯人が持ち去ったとすると、秋貞の部屋に現金で保管されているはずだった。

 この現金も見つかっていない。

(やはり、仲崎は佐田マンションで殺害されたのではないか?)という疑問が湧いて来た。

 さぞや失望したことだろうと祓川の表情を伺うと、一点を見つめ、口角を上げて笑っているように見えた。

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