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総督の遺言  作者: 西季幽司
第二章「湖底に眠る死者」
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弥助翁の宝③

 機動捜査隊の野田直哉(のだなおや)いう若い隊員が秋貞和義と似た体型だという理由で選ばれた。

 二十代、柔道の有段者だということで、鋼のような体をしている。背丈も体格も、確かに秋貞和義と似た感じだ。だが、顔は薄い顔立ちの秋貞と違って、太い眉毛に団子鼻、狭い額とかなり濃い顔立ちだ。陽気な若者で、「任せてください。ベランダをよじ登るなんて簡単です!」と頬を紅潮させながら言った。

 見物だと思ったのか、一課の刑事が佐田マンションに顔を揃えた。

 マンションは敷地一杯に建てられており、北側は隣のマンションとの間隔が狭い。部屋によっては窓から隣のマンションの部屋の中が見渡せるほどだ。

 一方、通りに面した南側部分は通りまで結構な距離があり、間には芝生に木々が植えられ、小さな公園のようになっている。南側の部屋の窓からは解放感を味わうことができる。マンション前のスペースには、住人用の自転車置き場やゴミ捨て場が設けられてあった。

 殺害現場の四一七号室は、建物の南側の東端寄り、通りからやや見え難い部屋に当たる。ベランダは通りに面している。

 犯人はベランダから窓ガラスを割って、部屋に侵入したと考えられていた。

 高島と小笠原がマンションと住人に話をつけてくれ、屋上から命綱を垂らしてベランダをよじ登ることになった。命綱をセットする為に、鑑識官が来てくれた。

 野田は「犯人は命綱無しで登ったはずです。命綱など必要ありません。途中で落ちたりなんかしません!」と鼻息を荒げたが、落下でもしたら一大事だ。鑑識官から「命綱無しじゃあ、登らせる訳には行きませんね。怪我でもされたら、警察の恥です」と言われて、あきらめたようだった。

 犯人はベランダから部屋に侵入し、仲崎幸太郎を殺害した後、バラバラにした遺体をゴルフ・バッグに詰めて部屋から持ち出し、遺体を瓢箪池にばら撒いた。マンションと公園を二往復している。その後、部屋に戻って後片づけをした。そして、部屋にあった鍵でドアに鍵を掛けてから出て行った――と捜査本部では考えていた。

 うっかり鍵を持ち帰ってしまい、翌朝、マンションに戻って来て、入り口脇の電気メーター・ボックスに鍵を隠して、マンションを出ようとしていたところ、運悪く、祓川と出会ってしまった。

 それが、祓川が秋貞を犯人だと考えた理由のひとつだ。

 祓川から野田に指示が飛ぶ。「仲崎幸太郎はゴルフ・バッグを持っていなかった。犯人が部屋に持ち込んだことになる。予め用意してあったものか、仲崎幸太郎を殺してから、慌てて取りに戻ったのか分からないが、とにかくゴルフ・バッグを背負ってベランダを登ったはずだ。登る時にゴルフ・バッグを背負ってくれ」

 祓川の指示で、空のゴルフ・バッグが用意してあった。

「お安いご用です」野田が快活に頷いた。

 犯人がベランダから部屋に侵入した時点で、ゴルフ・バッグを背負っていたとは言い切れない。一旦、部屋に侵入した後で、玄関から出て取りに行けば良い。だが、祓川はゴルフ・バッグを背負ってベランダを登ることに拘った。

 秋貞が犯人だとすると、職場も住居も、ここから遠い。往復するには時間が掛かり過ぎだ。予め仲崎幸太郎を殺害し、バラバラにして捨てることを計画し、ゴルフ・バッグを背負ってマンションに侵入した――祓川はそう考えているようだ。

 野田がゴルフ・バッグを背負う。そして、「ゴルフ・バッグを背負うと、意外に動きにくいですね」と呟いた。

 各フロアのベランダには一メートル程の高さのステンレス製の格子状の欄干が取り付けられている。この欄干に立てば、大人なら上の階のベランダに手が届く。手を掛けたら、腕力で体を持ち上げれば良い。

 想像するのは簡単だが、実際にベランダを登って行くとなると、かなりの腕力が必要となる。一般人の体力では無理そうだ。

 一人の鑑識官が屋上に上がって行き、命綱を垂らした。地上で待機していた鑑識官が命綱と野田を繋いだ。

「準備OKで~す」と屋上から合図があった。

 命綱の装着を終えた野田が一階のベランダの欄干に手をかける。巨大な体躯には似合わない身軽さで、欄干の上に立ち、上の階のベランダの床を掴み、腕力だけで体を持ち上げ、するすると登って行く。背中に背負ったゴルフ・バッグのお陰で、思うように体を曲げることができず、苦労している様子だった。

 それでも、危なげない様子でベランダを登って行った。

 あっという間に四階のベランダに辿り着いた。早い。地上から四階のベランダまで登り、欄干を乗り越えるのに、十分もかかっていなかった。夜中のことだ。これなら、マンション前の通りに通行人があっても気がつかないだろう。

「野田君~ご苦労さん~」地上から高島が叫ぶと、野田が四階のベランダで手を振った。

「悪いけど~暫く休憩して準備が出来たら、そこから降りて来てくれる~」そう叫んでから、高島が祓川に「祓川さん。背中のゴルフ・バッグ、どうしますか?」と尋ねた。

 ここも意見の分かれるところだ。

 仲崎の部屋からゴルフ・バッグは見つかっていない。犯人が持ち去ったのだ。当然、犯人は玄関から出て行ったはずだ。ドアに鍵を掛け、玄関前の電気メーターの裏に鍵を隠しておけば良い。だが、祓川は犯行後、秋貞が鍵を返しにやって来たと考えている。何故、その場で鍵を電気メーター・ボックスに隠さずに、一旦、鍵を持ち去ってから、後になって返しに来たのか分からないが、鍵を返しに来た以上、ベランダを降りた可能性があった。

 ドアに鍵を掛けずに逃げた可能性もあった。だが、遺体をバラバラにして池にばら撒いたことを考えると、身元の発見を遅らせたいという狙いがあったはずだ。そうなると、ドアに鍵を掛けずに出たとは考えにくい。やはりドアに鍵を掛け、ゴルフ・バッグを背負ってベランダを降りて行ったと考える方が自然だ。

 恐らく、うっかり鍵を持ち去ってしまったのだ。後で気がついて、大慌てで返しに行き、祓川と鉢合わせしてしまった。そう考えれば辻褄は合う。

 祓川は「ゴルフ・バッグを背負ったままでお願いします」と答えた。祓川の性分だ。あらゆる可能性を検証しておきたいのだ。

「野田君~ゴルフ・バッグを背負ったままでお願いします~今度は降りてみて~」と高島が野田に怒鳴る。

「了解で~す」と返事をすると、野田が欄干を超えて、ベランダを降り始めた。降りるのは下が見えにくい為、登って行くよりも大変そうだった。登るよりも、多少、もたついたが、ゴルフ・バッグを背負ったまま降りて来た。

「ご苦労様」

 鑑識官が駆け寄って、命綱を取り外す。自由になった野田は、腕をぐるぐる回して、「余裕でした」と自慢するように言った。

 野田と似た体格であれば、ベランダを伝って、四階まで登って行けることが分かった。仲崎の部屋の真下に当たる住人に聞き込みを行えば、夜中にベランダから異常を感じたものがいるかもしれない。聞き込みを行う必要がありそうだ。

 だが、検証が終わると、祓川は首を振って「ダメだな」と呟いた。

 折角、野田が体を張って検証してくれたのに失礼だ。「祓川さん。何がダメなのですか?」と佐伯が尋ねると、「空のゴルフ・バッグじゃダメだ」と答えた。

「空のゴルフ・バッグじゃダメ? どういう意味ですか?」

 佐伯の問いに、祓川が答えた。「中に死体を入れてやってみないと意味がない」

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