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5.阿倍野明美の始まり 裏

同日、月が輝き、星が煌めく頃。



人気の無く薄暗い路地の上に、黒い靄が集まりだす。それはぼこぼこと伸び縮みを繰り返すと、ヒトのような形を取った。先程明美を襲った化け物が、再び姿を現した。



【グルルル…………】



べしゃり、と地面に堕ちたそれの切られた筈の頸は、まるでそんな事など無かったかのように身体と繋がっていた。それは切られた頸を確かめるかのように撫でた後、咽を鳴らし、獣の様な唸り聲を上げる。そして、何かを探して、血走った眼で辺りをぐるりと見渡した。それが探しているのは、先程自分が狙った獲物。明美だ。視界の何処にも獲物の姿が見えないことから、まんまと逃げられた事に気付いたそれの(かお)が、怒りで歪む。もう少しという所であの邪魔者が入った所為で取り逃したのだと、理性の無いそれでも理解した。



あぁ、腹が減った。早く、はやくたべたい。



何を食べても腹が膨れない。



でも、うまそうなあれを食べれば、そうすれば、きっとこの埋まらない空腹感も、消えてくれるはず。



徐にそれは貌を地面に近付けると、すん、と鼻を鳴らす。そうして、空気の中に紛れる獲物の臭いを探った。臭いを辿って獲物を追おうという魂胆だった。



【グゥゥゥ………】



空気中に漂う微かな臭いを辿ろうと、地面を嗅ぎ回っているそれは、気付かなかった。



ふうわり、と、静かに、自分の後ろに何かが降り立った事に。



コツ。



【!!!!】



地面を叩く足音がそれにも聞こえたらしい。ぐるりと頸を回し、背後を見る。すると、外灯の下に、居た。何者かが外灯の光に照らされ、黒い影を伸ばしている。


新しい獲物がやってきた。


それは、臭いを追うのをやめ、その人影に狙いを移す。臭いを追って獲物を追うより、近くに居るそれを喰らった方が早く腹が満たされる。そう考えたのだろう。そして、その人影に向き合った時だった。



【!!?】



その人影から異様な気配を感じ取ったのは。


どろりと絡み付くような、悍しい気配。何故か本能がそれに近付いてはいけないと、警鐘を鳴らしている。



これは駄目だ。逃げなければ。――――殺される。



【グルルル……!!!】



それは姿勢を低くし、黒い人影の出方を伺う。隙を見て、逃げ出せるように。

対する外灯の下にいるその人影はというと、咽を鳴らして威嚇しながら此方を見つめるそれから視線を外さず、腰の刀の鯉口を切り、手をかける。そして、ゆっくりと歩き出した。



コツ。 コツ。 コツ。



その人物が歩を進める度、それは一歩ずつ後退していく。今の距離を詰められることがないように、少しずつ距離を取る。



【ガアゥッ!!!】



それが吼えても、鴉のような顔のその人物――――鴉は止まらない。それどころか、一向に縮まらない距離を一気に詰めるように、駆け出した。



【ガァ!!!】



迫り来る鴉に逃げられないと悟ったそれは、牙を剥いて応戦する。鴉はぶちぶちと裂けて大きく開かれた顎に生える何本もの牙に物怖じすることなく肉薄すると、勢いよく刀を抜き放った。鋭い居合い切りを咄嗟に後ろに飛んで避けたそれは、体勢を低くし、横に飛んだ。



【グァァアア!!!】



そしてコンクリートに着地し、鴉の横から喉を狙って飛びかかる。それを予見していたのだろう、鴉は瞬時に屈んだ。標的の喉を引き千切るはずだった牙は、ガチン、という音を立てて空を噛んだ。その隙に鴉は刀を納めると、自分の上にあるそれの頸を両手で掴み、地面に叩き付けた。



ゴッ



【がッ、ハッ………】



受け身の取れない無防備な状態で勢い良く硬いコンクリートに身体を叩き付けられ、肺の空気が抜け、息が出来なくなる。その一瞬動きが止まった瞬間を見逃さず、鴉はそれの上に馬乗りになった。



【グガァッ!!!】



一拍遅れて自分が不利な状況に陥っている事に気付いたそれは、鴉から何とか逃れようと身体を捩る。しかしその度に頸にかかる手の力が増していき、それ自身の頸をギリギリと締め上げていく。それでも抵抗を続けていると、鴉の体から、ぶわり、と黒い何かが巻き上がった。



【!!?】



その靄のような何かはあっという間に周りを黒く染める程広がり、それと鴉を包み込んだ。外と切り離され、目の前の鴉から溢れ、膨れ上がっていく異様な威圧感を真正面から受け、近付く死の気配を感じ取ったそれは、半狂乱になって藻掻く。暴れるそれの爪が足を引っ掻いても、鴉は微動だにしなかった。それどころか手に込める力を強くし、それの咽に爪を立てた。



【!!! アアアアァァァァ!!!】



手袋越しに立てられた爪が、獲物に噛みつく獣の牙のように咽に深く食い込む。その瞬間、その爪の先からそれにナニカが流れ込んだ。

荒々しい濁流のように流れ込むその力に、それの身体も、魂も、全て呑み込まれていくような感覚がする。全てを蹂躙するその力から逃れようと藻掻き、足掻き、それは必死に抵抗した。脚をばたつかせ、腕を振り、力を流し込んでくる鴉の手を振り払おうとする。



【ガァァッ!! アァァァァッ!!!!】



だが、その抵抗すら、だんだんと呑まれていく。感覚が消え始めたのだ。まるで暗い水の底に沈んでいくように、指の先から少しずつ感覚が奪われていく。その感覚で恐怖に囚われたそれは、何とか水面に上がろうと藻掻き続ける。

しかし、水面は見えず、遠退いていくばかりだった。依然として注ぎ込まれる力はそれの自由を奪い、身体の感覚をじわりじわりと消し、水底へと引き摺り込んでいく。



【ア、アア、ァ…………】



そうして、いつしかそれは、抵抗を止めてしまった。抵抗できるほどの力が、もうそれには残っていなかった。だらり、とコンクリートに四肢が投げ出される。冷たくて硬いコンクリートの感触も、それには感じ取れなくなっていた。それに残されている感覚は、視覚と聴覚だけだった。

もうそこまでやって来ている死を感じながら、最後に残った視覚で、それは自分に手をかける鴉を見た。ぼやける視界に映る嘴のようなものが生えたその顔には、何の感情も見当たらなかった。目にあたるであろう部分に嵌め込まれた硝子が、じっと自分を見つめていた。

その目をぼんやりと見つめ返し、それは重たくなってきた瞼を閉じた。流し込まれる力に、身を委ねた。


――――すると、叩き付けられる力が、すぅっと和らいだ。


濁流のような激しいそれが、まるでそれの身体を受け止めて包み込んでいくような、優しいものになる。



(………あたたかい)



先程までの冷たく叩き付けられる圧倒的な力とは違う、優しいその流れに揺られながら、ふと、それはそう思った。



(これ、なんだったっけ)



暖かく、優しいこの水の流れを、それは知っている気がした。だが、それを思い出す前に、ふわりと別の景色が頭に浮かぶ。



わらっているふたり。


てのなかにある、あたたかいもの。


すこしずつおおきくなる。


とびつかれて、たおれこんだ。


かおをなめられた。


いっしょにあるく。



――――――いたみ。



あか。


うごかない。


うごけない。



(………あぁ、はな……)



浮かび上がるその光景を見て、それは、彼は、どうしてあんなにも腹が減っていたのかに気付いた。



(……さみしいよ、はな……)



腹が減っていたのではない。寂しかったのだ、と。

自分と愛犬だったはなは、散歩中に車に轢かれて死んでしまった。真っ赤な血の中、冷たくなっていく自分。その目の先に居たのは、同じく血の海に沈むはな。薄茶のさらさらの毛並みに混じる赤が汚く見えて、拭い取ろうとして手を伸ばそうとしたのに、体が熱くて、寒くて、痛くて、動かなかった。

次に目を覚ましたときには、はなは何処にもいなかった。きっとあの子だけは自分の傍に居てくれると思ったのに。心に穴が空いてしまったような感覚を、その時覚えた。

それだけじゃない。自分は誰にも見えなくなっていた。どれだけ騒いでみたりしても、両親にも、友達にも、誰にも気付かれなかった。正しく一人ぼっちになってしまった自分は、どうしようもなかった。そのまま何処へ行くでもなく、ふらふらと彷徨って、彷徨って、彷徨い続けた。時間が経つに連れて塞がるだろうと思っていた心の穴は、塞がるどころか、大きくなっていった。

そうしていつしか、周りの人間が笑っているのが、羨ましくなって、恨めしくなって、手を出してしまったんだっけ。

きっと自分は地獄に逝くのだろう。だって、たくさんの人を傷付けたのだから。許されることはないだろう。


あぁ、でも。



(……あいたいよ、はな……)



一目だけで構わないから、はなに会いたかった。重たくなってきた思考の中、そう願ってしまう。

意識が薄くなり、だんだんと自分が分からなくなる。浮かんでいた走馬灯は消え去り、遠くなっていく。



そんな中だった。



―――わん



不意に、鳴き声が聞こえた。

その鳴き声は、自分のずっと近くから聞こえてきていた。



(……あぁ、なんだ。そこにいたんだね)



はなは、自分を置いて居なくなってなどいなかったのだと、消え逝く意識の中で漸く理解した。


ようやく、空腹が満たされたような気がした。



《……お休みなさい》



意識が途切れるその瞬間、彼の耳に最後に届いたその言葉は、無機質な機械音だったのに、何処までも優しかった。

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