元騎士と長い髪
地位と財産に執着する家族に嫌悪を覚えたこともあった。
まぁ、俺も似たようなものだったけど。強さの為に、自分も他人も犠牲にする。血の繋がりをこんなことで感じるなんて、まったくヒューゴ家の業は深い。
それでも、俺は生きている。
命と誇りを救われた。
だから、この人の為ならばどんな事でもしようと思えた。
「あ、ヴィクトール。ちょうどいい、私の髪を乾かしてくれないか?」
「えぇ……」
でも、自分を殺そうとした相手に、気が緩みすぎじゃないか?
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牢屋から城の一室に連れて来られて、一ヶ月。俺が惚れ込んだあの貴い皇太子は、今、濡れた髪でへらへらと笑っている。
「タオルドライと温風魔法で乾かすにも、この長さだろう? いつも数人がかりなのだが、正直私は他人に囲まれるのが苦手だし」
「今しれっと衝撃の告白しませんでしたか……っ」
発言が不定期に暗い……! 心構えができていないときに限って、どうしてこう。
他人に囲まれて生きてきた人間が言うと、冗談にならない。そしてこの方が言うと、冗談じゃない。本気だ。
と、テオフィル様は長い髪をタオルで包み、ちらっと視線をこちらに向けた。そしてにっこりと笑って口を開く。
「おっと、別に本気で言っているわけではないぞ。これもお役目だからね、慣れたさ」
「……昔は苦手だったんですね」
「……否定はしないでおくよ」
貼り付けたような笑顔を消して、テオフィル様は苦々しく口をつぐんだ。メイドが言うには、これは照れ顔だそうだ。
いや、分かんねぇよ。不機嫌にしか見えねぇよ。
これで分かって欲しいとか馬鹿じゃないか。いや馬鹿だった。殺されようとする馬鹿だった。おかげで気持ち悪い笑顔を見ちまった。
「ちっ……クソが」
「えっ、何故私は急に罵倒されたんだい!?」
「申し訳ありません、イラッとして」
ぶつぶつと小さくつぶやく声を無視して、長い髪を掬い上げる。鈍い金色はしっとりと濡れているが、この程度なら魔法を併用すればすぐ乾くだろう。
しかし、長いな。腰辺りまであるか? 櫛を入れながら乾かそうにも、この長さはやりにくい。
高級品だろう、温風魔法を補助する小さな道具を片手に、櫛を入れていく。
「随分と長いですけど、何か理由でもあるんですか?」
「いや、あー……切るに切れなくてね」
手元から聞こえた声は、妙に歯切れが悪い。軽く覗きこめば、例の分かりづらい照れ顔だった。何か恥ずかしいことでも言うつもりか。
「……幼い頃、髪を切ろうと呼んだ者が、直前で暗殺者に入れ替わっていたことがあってね」
「え、それは恥ずかしい思い出なんですか」
「すんでのところで助かったが、以来どうにも髪を切られるのが苦手なのだよ。死ぬことは大歓迎なのだが、こう、刃物を持って背後に立たれると嫌で嫌で」
「トラウマになってんじゃないですか……」
思ったよりも重い理由だった。
というか、これは恥ずかしい話なのか。どこに照れる要素があったんだろう。相変わらず死にたがりだし、理解できない。
ため息をこぼし、角度を変えながら髪に温風を当てていく。椅子に座れば床に届きそうにも思えるほど長い髪だ。この方はそれほど長く、トラウマを抱えて来た。
髪の束が、ひどく、重く感じる。
「……髪、切ってもいいですか?」
「え?」
「他人の髪を切ったことはないので、少し練習してからですけど。こんなに長いと、重いでしょう? 特に大事にする理由がないなら、切ってしまえばいい」
テオフィル様はその青い目を大きく見開き、ぱちくりと瞬かせた。思いがけないことを言われた、と言わんばかりだ。表情が分かりにくい方だけど、予想外の事態にはこんな顔もするのか。
俺としては、こんな長い髪の手入れなんて面倒だし。いちいち三つ編みにするのも手間だし。ばっさりと切ってしまえば、気分も変わるものだし。
ついでに。テオフィル様が人に囲まれる理由を減らしておくのも悪くない、から。
「……それなら、いっそ君と同じくらい短くしてしまおうかな」
「かつらが作れそうな長さと量を切ることになりますね。作っておきますか」
「何に使うんだい。……ああ、いや、使い様はあるか。私が死んだときに影武者たてたり」
なんか、発想が怖い。
小さく「いや、気持ち悪いか……でもこっそり城を抜け出したりとか……」と不穏なことを言ってた。
そのときは止めるべきか応援すべきか迷うな。個人的には、テオフィル様が自由に遊びに行くのを応援したいところだ。この方、好きなものがないとメイドに聞いたし。
テオフィル様はしばらく迷うように目を泳がせ、うん、と小さく頷いて口を開いた。
「ヴィクトール、やはり市井の声を定期的に耳に入れるべきかと思う。一般的な平民の経済感覚を知っておくことも、将来的には役立つだろうしね」
「どこまで仕事人間なんですか」
遊びに出かける為の嘘であってほしかった。すごく真面目な顔で言ってる。メイドが言っていたことが少し理解できそうだ。
なんとかして、この方を幸せにしたい。
この方が、屈託なく笑うところを見たい。
「しょうがない方ですね。その時はお供させてくださいよ」
「ああ、頼むよ。エルネストでは連れて行ってくれないところにも行けそうだ。あの男は真面目だから、こっそり隠れるなんて無理だろうし」
「……、……えぇ。そうでしょうね」
何だろう。心でも読めるのかと勘繰ってしまいそうだ。俺の欲しい言葉をいくらでもくれる。心をくすぐられるような、いたたまれないような、優しい言葉をいくらでも。
どこまで、分かってるんだろうな。
俺が家族を愛しながらも軽蔑していることも。強さを求めるあまりに、エルネストを嫌ったことも。
エルネストに勝ちたくて、一矢報いたくて、あの男が大切にするテオフィル様を殺そうとしたことも。
無駄になる努力を、何度も繰り返してきたことも。
「……テオフィル様は、1人にしておいてはすぐに死んでしまいそうですから。死ぬなら俺の目の届くところでお願いしますよ」
「はは、しばらくは死ぬ気はないつもりだよ。……まあ、許されるなら逃げ出したいがね」
少し照れたように顔をゆがませて、そう言う。あのメイド曰く、テオフィル様の精一杯の甘え、らしい。
分かりにくく、少しも伝わらない。これが、この方のできる限りの表現方法。
他人の痛みが分かるのは、ずっと1人で苦しんできたからだろうか。
誰にも言わないことまで察するのは、彼自身が分かって欲しかったからだろうか。
それを助けたいと思うのは、傲慢か。テオフィル様は不幸だとも苦しいとも言わないけれど、だからこそ俺が何かをしたい。
あのメイドも同じだろう。テオフィル様の為に何もかもを捧げるような覚悟じゃないと思うが。それでもテオフィル様が心配で、目を離せなくて、できる事をしたくなる。
すっかり乾いた金髪が、さらりと手の中を滑る。今の俺にできる事なんて、この程度だろうな。いずれは執事にと言われている以上、この仕事を不満には思わないけど。
でも。俺は、もう騎士ではないけれど。
心根まで、それをやめたわけじゃない。
「死にたくなったら、その時はいくらでも俺が殺してあげますよ。だから、安心して生きてください」
「……それは、とても、ありがたいね」
テオフィル様の逃げ道になること。
それが俺なりの、この方の心を守る騎士道だ。




