第三十五話 戻る場所を決めるのは
金曜日、こはくは美咲の家へ泊まった。
初めて直人のいない場所で夜を過ごす。
直人は家に一人で帰り、冷蔵庫に残されたスープを温めた。
《泊まる》
こはくからメッセージが来る。
《了解》
少しして《嫌?》と届き、直人は迷った末に正直に返した。
《ちょっと寂しい》
返ってきた《私もちょっと。でも泊まる》を見て、直人は笑った。
《それでいいよ》
翌朝、神社の榊から連絡があった。
古い記録を専門家に見てもらい、読めなかった箇所が少し分かったという。
『戻る先は、生まれた形にあらず。己が帰ると定めたところなり』
さらに、『新しき形に根を張れば、命もまた新しき時を刻む』とも読めるらしい。
「それって、人間として生きれば猫の寿命だけじゃない?」
『そう解釈できます。人の姿が完成すれば、その後は新しい時間を生きるのでしょう』
直人は息を吐いた。
こはくが最初に願った「もっと長く一緒にいたい」が、ようやく救われる気がした。
ただし、続きにはこうある。
『根を張りしのち、元の形へ帰る道は閉ず』
人間として完成すれば、もう猫には戻れない。
昼過ぎ、こはくが帰宅する。
直人は全部話した。
「普通に歳取る?」
「たぶん」
「直人と同じくらい?」
「そこまでは分からない。でも、すぐ猫の寿命が尽きるって意味じゃなさそう」
こはくは安心したあと、尻尾へ手をやる。
「でも猫には戻れない」
「ああ」
「直人は、どっちがいい?」
直人は今まで避けていた答えを口にした。
「人間でいてほしい」
こはくが少し驚いたようにこちらを見る。
「話せるし、一緒に飯食えるし、外も歩ける。人間のお前まで知ったから、なくしたくない」
「私が猫に戻るって言ったら?」
「止めたくなると思う。でも最後に決めるのはお前」
こはくは安心したように笑った。
「そのほうがいい。直人も嫌なものは嫌って言って」
そして、美咲の家で過ごした夜のことを話した。
楽しかったし、直人がいなくても眠れて、朝も一人で起きられた。
「でも帰ろうって思った」
「ここが家だから?」
「それもある。直人いるから」
猫だった頃は、ここしか知らなかった。
今は違う場所へ行ける。
その上で帰ってきた。
「私が帰りたいから」
こはくはそう言った。




