幼馴染と土下座
柚希が、悠斗の秘書である玲奈と会った、その翌日のこと。
調査会社から、緊急の連絡があった。決定的な証拠を掴んだので、報告をしたいとのことだった。
(まずい……。)
柚希が調査会社から受け取った情報は、悠斗の命運を左右しかねないものだった。それは悠斗が最近親しくしている女性についての情報だった。
学歴、経歴、過去の犯罪歴、反社会的勢力とのつながり、そして過去に実行した美人局の手口まで、詳細に記されていた。
美人局とは、女性がターゲットを誘惑し、関係を持ったところで恋人や夫を装う男が現れ、「不倫だ」「慰謝料を払え」と脅して金を巻き上げる詐欺や恐喝の手法だ。
今回の相手は裏に反社がいる美人局。かなり厄介な部類だ。
体の関係を持ってしまえば、何を要求されるかわからない。じわじわと会社を乗っ取られることになるかもしれない。
――時間がなかった。
柚希は足早にオフィスビルの出口へと向かっていた。手に持った封筒の中には、彼女が探偵事務所に依頼して集めた調査書が入っている。
(急がないと……。)
自分に言い聞かせるように呟きながら、柚希はスマートフォンを取り出し、再び玲奈の番号にかけた。しかし、やはり電話はつながらなかった。
(繋がらない...。)
こちらから連絡しないと約束したのは昨日だ。それなのに、昨日の今日で連絡があったら、無視されるのも仕方ない。
しかし、今回のこの緊急事態に対応するためには、玲奈の協力は不可欠だ。
(直接、報告に行くしかない。)
柚希はタクシーを拾い、悠斗の会社がある高層ビルへと向かった。玲奈を待ち伏せする以外に方法はない。
また、ストーカー行為だ。でも、そんな事言ってられない。もうストーカーにでも、なんでもなってやる。
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ビルの前で待機していると、玲奈の姿が見えた。エレベーターから降り、ロビーを通って外に出ようとしている。私は深呼吸をして彼女に近づいた。
「笹木さん、例の件で、お話があります。緊急です。」
玲奈は私を見るなり、眉をひそめた。予想通りの反応だ。昨日やっと話ができるようになったばかりだったのに、こんな形で接触するのは彼女の警戒心を高めてしまう。でも仕方ない。
「こちらから連絡すると言ったはずですが?」
玲奈は冷たく言い放ち、私を振り切ろうとした。咄嗟に私は彼女の腕をつかんだ。普段の自分なら決してしないような行動だ。でも、今は違う。悠斗のためなら—。
「時間がないんです!悠斗が危険なの!」
思わず敬語が崩れた。私の声が震えているのが自分でもわかる。いつもの冷静さはどこへ行ったのだろう。玲奈の表情が変わったのは、その必死さが伝わったからかもしれない。
「……ここでは話せません。人目につきます。」
「分かりました。」
「でも、変なことしたら警察呼びますからね?すぐにお縄ですよ?」
「分かっています。」
私たちは近くのビジネスホテルに入り、レンタル会議室を借りた。閉じられた空間の中で、私は思い切った行動に出た。会議室に入るなり、土下座をした。
「信じてください!」
こういうのは一発目のインパクトだ。弁護士として、こんな姿を見せることは決してない。でも今の私は、弁護士でも何でもない。悠斗を守るためなら何でもやる、ただのストーカーだ。
「土下座なんてやめてください!立ってください!」
玲奈は驚いた様子で言った。しかし私は姿勢を崩さなかった。
「これを読んでください。お願いします。」
私は低い姿勢のまま、封筒を差し出した。玲奈は困惑しながらもそれを受け取り、中身を取り出した。
「これは…。」
玲奈の表情が見る見る変わっていった。調査書を読み進めるにつれて、彼女の顔色が青ざめていく。
「……これが本当なら、シャレにならないですね。」
玲奈の声には、明らかな動揺が含まれていた。私はようやく顔を上げ、彼女をまっすぐ見つめた。
「本当です。調査会社が決定的証拠を得ました。彼女は詐欺師で、反社との繋がりもあります。美人局です。肉体関係を持ってしまえば、弱みを握られることになります。」
私の言葉に、玲奈は調査書をもう一度見直し、小さく頷いた。
「……今回だけは信じましょう。これが本当なら、会社が危険です。すぐに伝えに戻ります。」
その言葉を聞いて、私の中で何かが緩んだ。長い間保っていた緊張の糸が解けたような感覚。ようやく、悠斗を守れる。
「ありがとうございます。」
私はそう言って深々と頭を下げた。
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会議室を出た後、私は近くのカフェで結果を待った。心臓が高鳴り、カフェオレを手にしても、なかなか落ち着かない。
悠斗は玲奈の言葉を信じてくれるだろうか。警戒してくれるだろうか。あの女と距離を置いてくれるだろうか—。
直後、スマートフォンが鳴った。玲奈からだった。玲奈の声はやや興奮気味だった。
「急いで戻って、社長に報告しました。しっかり報告書も見せましたよ?」
「悠斗は!大丈夫でしたか!?」
「信じてくれました。今夜の予定はキャンセルになりました。体の関係もまだなかったみたいです。本当にギリギリでした。」
安堵の息が漏れた。
「……よかった。ありがとうございます。」
「いつもは女性と会うなと言われても聞かないのに、今回はちゃんと聞き入れてくれました。あの調査書の内容が、とても具体的だったからでしょうね?」
私は目を閉じた。良かった。間に合った。
「当方にて再調査の依頼をしました。落ち着いたら顛末をお話します。今度こそ、こちらからの連絡を待っていてくださいね?約束は破ったらいけませんよ?」
「……反省してます。」
電話を切った後、私はようやくカフェオレを一口飲んだ。熱さもほどよく冷めていたが、喉を通っていく感触が心地よかった。
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それから数日後、柚希の携帯電話が鳴った。玲奈からだった。
「あの女性の再調査が終わりました。」
「……それで?」
「真っ黒でした。完全な美人局でした。まるで教科書に載せたくなるような典型的な詐欺師でしたよ。」
柚希の背筋が冷たくなる。
「ギリギリでした。社長がもう少し彼女に深入りしていたら、会社にまで影響が出ていたかもしれません。香坂さんのおかげで、命拾いしました。」
「……そうですか。本当に良かった……。」
震える手を押さえながら、柚希は静かに息を整える。
「社長も社長ですよね?あんなのに引っかかるなんて。今回ばかりは徹底的にお説教してやりましたよ?いつも仏頂面で怖い顔してるのに、シュンとなって小さくなってました。笑えましたよ?いやー、痛快でした。写真ありますよ?送りましょうか?」
「……ぜひお願いします。」
(悠斗の写真……。待ち受けにしなきゃ。)
私が浮かれていると、玲奈は姿勢を正し真顔になって、言った。
「今回の件、本当に助かりました。お礼と言ってはなんですが、あなたの法律事務所に危機管理対応についての顧問契約の依頼をします。」
「顧問契約……?」
「担当弁護士は香坂さんを指定します。もちろん社長には内緒にしておきますね?社長には、あなたのせいで危機管理をしっかりやる必要が出たと言っときます。こちらにさんざん迷惑かけたんです。何も言ってこないと思いますよ?ざまぁです。」
柚希は一瞬、言葉を失った。
(私が、悠斗の会社の顧問弁護士に……?)
「でも、顧問弁護士となると、私の存在が悠斗に気づかれないでしょうか?」
「大丈夫。どうせ法律事務所名しかみませんよ?担当弁護士の名前なんて確認しないはずです。もしバレそうになっても、適当にごまかしておきます。それでも心配ならば、書類関係は柚希さんの上司の名前を書いておいて下さい。」
「……よろしいので?」
「社長のために、本心から動いてくれる人は貴重ですから。あなたが危機管理に通じていることは、今回の件でハッキリしました。正式な依頼です。」
初めて会ったことろ違い、玲奈の声は終始柔らかかった。柚希は、ゆっくりと息を整えた。
「ご依頼……謹んでお受けいたします。」
握りしめた携帯が、少しだけ熱を帯びて感じられた。
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それ以来、玲奈とはちょくちょく連絡を取るようになった。
最初は業務連絡だけだった。しかし、いつの間にか仕事の愚痴や他愛もない話をするようになっていた。気づけば、同じ苦労を共にする戦友のような関係へと変わっていた。今では、「玲奈」「柚希」とお互い呼び捨てで名前を呼び合っている。
(……友達、か。)
柚希は、ひさびさにそんな感覚を味わっていた。学生時代の友人とは疎遠になり、弁護士になってからは仕事一筋だった。でも、今は――ただ話しているだけで、少しだけ心が軽くなる相手がいる。
そんなある日、いつものように玲奈と電話をしていたとき、ふいに玲奈が言った。
「柚希ってアレですね?ニンジャみたいですね?」
「……は?」
「それともオンミツですか?忠義を尽くして、社長のこと殿とか呼んじゃいません?」
「……実はちょっとだけ、ニンジャみたいと思ってた。」
私は恥ずかしがりながら伝えた。玲奈の楽しそうな声が、電話越しに響く。
いつの間にか、柚希の頬がゆるんでいた。こんなふうに、くだらないことで笑い合える相手がいることが、ただただ嬉しかった。
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さて。
これで、悠斗とその会社を守るための、正当な理由と立場を手に入れた。また一つ、必要な準備が整った。
さらに、玲奈という協力者も得た。彼女は悠斗に直接影響を与えられる立場にあり、今後の対応にも心強い存在になる。
そして――悠斗の周囲を監視するための、正当な口実もできた。
これまでの行動が、ようやく表向きにも正当化される形になったというだけのこと。
それでも、少しだけ、自分に対する気持ち悪さが薄れた気がした。
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