調べる幼馴染
事務所の窓から、朝日が差し込んでいた。
弁護士「香坂柚希」は、夜明け前から机に向かっていた。新人弁護士として、まだ半年。先輩弁護士から渡された資料の山と格闘する日々が続く。
誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰る。休日出勤は当たり前。それでも、柚希は決して弱音を吐かなかった。
「香坂さん、こんな時間から?」
パートナー弁護士の一人が、驚いたように声をかけてきた。
「はい。昨日いただいた案件の資料を確認していました。」
「ふむ......。」
パートナーは柚希の机に積まれた書類に目を通す。その瞳が、わずかに細まった。
「これは......全部目を通したのか?」
「はい。気になる箇所をマークしておきました。」
柚希が差し出した資料には、付箋が何枚も貼られていた。それぞれに、簡潔な分析と疑問点が記されている。
「......なるほど。」
パートナーは感心したように頷いた。
「君、なかなかやるな。」
それが、始まりだった。
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「香坂先生に案件を任せたい。」
半年後、事務所のミーティングで、パートナーがそう切り出した。パートナーとは、法律事務所の上級弁護士であり、法律事務所の共同経営者である。要は、事務所における柚希の上司の一人だ。
「新人には早すぎるのでは?」
「いや、彼女なら大丈夫だ。」
柚希の仕事ぶりは、事務所内でも評判になっていた。徹底的な準備と冷静な判断。何より、相手の立場に立った解決策を導き出す姿勢が、信頼を集めていた。
「ありがとうございます。その信頼に、全力でお応えします。」
柚希は、真っ直ぐにパートナーを見つめた。その瞳には、迷いのかけらもない。
「ああ。頼むよ。」
こうして柚希は、一つまた一つと案件を任されるようになった。
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それからも、柚希は弁護士として、着実に実績を積み重ねていった。
事務所内での立場も確固たるものになっていた。依頼者からの評判も上々だった。
「香坂先生、今回もありがとうございました。」
依頼者が深々と頭を下げる。柚希は軽く会釈を返した。
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そんなある日のことだった。
柚希は、事務所の代表でもある、シニアパートナーからの呼び出しを受けていた。
「香坂先生のおかげで、今年度の事務所の実績は大きく伸びた。ありがとう。」
シニアパートナーが柚希に向かって頭を下げた。入所から二年。柚希の手がけた案件は、ことごとく好結果を残していた。
「代表......。」
「これからは、もっと自由に動いてもらっていい。さらなる事務所への貢献を、期待しているよ。」
「......ありがとうございます。」
柚希は深々と頭を下げた。胸の奥で、小さく何かが弾ける感覚があった。
(これで……ようやく。)
長い時間をかけて積み上げてきたものが、報われた気がした。ずっと目指していた場所に、今、ようやく立てたのかもしれない。
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「百合園興信所さんですね。御社の調査能力には定評があると伺っています。」
柚希は、調査会社の担当者と向き合っていた。
事務所の実績を伸ばす中で、彼女は意図的に企業法務――特に反社会的勢力の排除に関する案件を担当してきた。
その過程で、いくつかの調査会社と関わりを持った。中でも、百合園興信所は群を抜いていた。徹底的な調査能力と、柔軟な判断力。
何より、依頼内容を決して漏らさない。
だからこそ――柚希は、この百合園興信所を取り込むため、優先的に仕事をまわしていた。
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「香坂先生からのご依頼なら、全力で対応させていただきます。」
担当者が頭を下げる。
「ありがとうございます。実は......。」
柚希は、いくつかの案件を持ち掛けた。どれも、事務所を通した正当な依頼だ。
「これらの案件、できれば御社にお願いしたいのですが。」
「ぜひ、させていただきます。」
担当者の目が輝いた。柚希からの依頼は、必ず大きな仕事に繋がる。それは、もう業界内でも知られていた。
(さて、これからが大切だ......。)
柚希は内心で息をつく。ここからが、本題だった。
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「──では、もう一件。個人的な依頼をさせていただきたいのですが。」
表情を変えずに切り出す。担当者は、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
「目的は、反社会的勢力との関係の有無の調査です。」
柚希は淡々と言葉を継いだ。
「対象企業の役員や従業員だけでなく、その家族や関係者についても、できる限り詳細な調査をお願いします。」
調査会社の担当者は、じっと柚希を見つめていた。
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「まだ設立して間もない会社ですが、急速な成長が見込まれます。私としては将来的な面も鑑みて、近く営業をかけたいと考えております。その前に、リスク管理として、万全を期したいのです。」
「なるほど......。」
担当者は頷きながら、メモを取っていく。確かに、柚希の言い分には一理あった。企業経営者の評判や交友関係は、その会社の信用に直結する。
悪影響を及ぼしかねない人物との関係は、早期に察知しておく必要がある。
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「では、調査費用の見積もりを──」
「お願いします。」
柚希は即答した。
その勢いに、担当者は、一瞬だけ驚いたような表情を見せた。しかし、すぐに平静を取り戻し、話を進めていった。
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会議室を後にした柚希は、エレベーターの中で深いため息をつく。メガネの奥で、目元が少し疲れている。
(これで……少しは、悠斗の様子がわかるはず。)
ふと、エレベーターの扉に映る自分を見た。
「……。」
目の下のクマは、日に日に濃くなっている。でも、そんなことはどうでもいい。
必要なのは――情報。それだけだ。
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給料明細を眺めながら、柚希は小さくため息をついた。
「今月も、ほとんど調査費用に消えちゃうな……。」
家賃と食費、最低限の身なりを整えるための費用以外、すべて調査会社への支払いに消えていく。贅沢な暮らしはできない。それでも柚希は満足していた。
なぜなら、その調査費用のおかげで、悠斗の様子を知ることができるから。
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「……まるでストーカーだよね。」
自嘲気味に呟く。でも、これしかなかった。悠斗の前に姿を現すことはできない。
せめて、遠くから見守ることだけは――許してもらいたかった。
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柚希は机の上の報告書に目を落とした。
悠斗の会社は順調に成長を続けている。新規事業も次々と成功し、業界でも注目される存在になっていた。
(よかった……。)
心からそう思う。でも、報告書の次のページを開いた時、柚希の表情が曇った。
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悠斗の女性関係。
それは、想像以上に激しいものだった。入れ代わり立ち代わり女性が現れては消えていく。来る者は拒まず、去る者は追わず——そんな印象だ。
「……私のせいなのかな。」
胸が締め付けられる。
かつての悠斗は、こんなタイプではなかった。女性と話すのが得意ではなかった。女性に対しては、どこか不器用で、慎重な人だった。女遊びなんて、まるで別世界の話のように思っていたはずだ。
それを――私が壊してしまったのだろうか。
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彼の中にあった、誰かを純粋に信じる心。ひたむきで、誠実だった、あの頃の悠斗。
それを、私が奪ってしまったのだろうか。
申し訳なさと自己嫌悪が胸を締め付ける。ぐるぐると自分への気持ち悪さが体を駆け巡る。
柚希は、深く息を吐いた。
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確かに、悠斗は今フリーだ。何の問題もない。
仕事関係の女性や、交際相手のいる女性、既婚者には関わっていない。
真剣な恋愛を求める女性は避け、夜の女性を中心にしている。
それに――仕事を疎かにして遊び歩いているわけでもない。仕事の空き時間を利用しているだけで、業務に支障をきたしている様子はなかった。
ある意味、スマートな女遊び。そう言えるのかもしれない。
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でも、弁護士としての経験から、柚希は不安を感じていた。
会社のトップが派手な女性関係を持つこと。それは、様々なリスクを伴う。そこに付け込もうとする輩は少なくない。
だから――柚希は、悠斗の女性関係についても、徹底的な調査を続けた。
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そして、ある日——。
「……まずい。」
調査会社からの報告書に、柚希は目を見開いた。
悠斗の最近の女性の一人に、反社会的勢力との関与が疑われる人物がいた。
このまま関係が深まれば、悠斗自身はもちろん、会社にも深刻な危険が及ぶ可能性がある。
「どうすれば……。」
焦りが込み上げる。でも、柚希には直接動く手段がない。自分から悠斗に警告することもできない。
このままでは——手遅れになる。
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「……一人じゃ、無理だ。」
取引予定の企業の信用調査という名目も、そろそろ無理が見えてきた。これ以上は、調査会社が探偵業法に抵触する恐れがある。当然、依頼人である私も罪に問われる可能性がある。
もっとしっかりとした正当な理由が必要だ。そして何より、悠斗の身近にいて、会社を守る正当な立場の人間。そんな人間が、協力者として必要だった。
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柚希は、机の上の写真を見つめた。そこには、悠斗の秘書の姿があった。
(この人なら……。)
会社の中で、悠斗の行動を把握できる立場。そして、会社を守る立場でもある。なにより、悠人の味方であると確信できる人物でもあった。
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柚希は決意した。もう一人では限界だ。彼女に接触してみよう。
――笹木玲奈。
悠人の秘書である、彼女の信頼を勝ち取り、協力者となってもらうしかない。
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