テンガロンハット・クラブ
親父の書斎に入るのは久しぶりだった。
昔のままだ。親父が使っていた頃と変わらない。
親父は読書が好きで、書斎にある座り心地のよい革張りの椅子に腰掛け、いつも本を読んでいた。
僕も本は嫌いではない。
壁一面に据え付けられた本棚から一冊、本を引き抜いて、椅子に腰かけた。親父になった気分で本を読み始めたが、意外につまらなかったので、机の上に放り出した。
書斎を見回す。
アンティークな衣装スタンドに、テンガロンハットが掛けてあった。
テンガロンハットとは、西部劇なんかで、あのカウボーイが着用している帽子のことだ。親父が愛用していた。だが、何故か、何時も一人で外出する時にしか被っていなかった。
――親父はテンガロンハットを被って、何処に出かけていたのだろうか?
不思議だった。
机の上にマッチが置いてあった。親父は煙草を吸わない。何故、マッチがあるのか分からなかった。マッチには「クリスタルハウス」という店名と住所が書いてあるだけだった。
――どうせ今日は暇だ。親父のテンガロンハットを被って、机の上にあったマッチの店に行ってみよう。
と思った。俺はテンガロンハットを被ると、マッチを持って家を出た。
クリスタルハウスを尋ねた。
住宅街に溶け込むようにして建っている、ごく普通の喫茶店に見えた。
カランコロンと店に入る。
「いらっしゃい~」とマスターがカウンターの向こうから声をかけて来た。
そして、俺を見ると、「おやっ」と小さく声を上げた。
店内は空いていた。適当に腰掛けようとすると、「お客さん。こっち、こっち」とマスターが手招きをする。
「僕ですか・・・?」と聞くと、「うん、うん」とマスターが頷く。
カウンターへ向かう。
「飲み物は?」と聞かれたので、「ホットコーヒーを」と答えた。
「かしこまりました。さあ、どうぞ~」とマスターがカウンター横の「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたドアを開けてくれた。
軽く背中を押され、部屋の中に入った。
驚いた。
テーブル席が二席しかない、窓の無い狭い部屋で、正面の壁には大画面のモニターがあり、左右の壁は、陳列棚になっていた。棚は民法で放送されていた女の子に大人気の美少女アニメ「クリスタルムーン」のグッズでいっぱいだった。
背後のドアからマスターがコーヒーを持って入って来て、「テンガロンハット・クラブへようこそ~」と満面の笑顔で言った。
「テンガロンハット・クラブ?」
「そうですよ~このクラブの名前です」
「クリスタルムーンでいっぱいですね」
「ええ。だからテンガロンハット・クラブです。クリスタルムーン・クラブだと恥ずかしがる人がいますからね」
なるほど。美少女アニメ「クリスタルムーン」はセーラー服がユニフォームの美少女戦士の軍団なのだが、何故かテンガロンハットを被っていた。美少女アニメのファンだと知られたくない人間のためのファン・クラブなのだ。
「このクラブの入会資格はただひとつ。クリスタルムーンを愛していること。そして入会条件はテンガロンハットを被ってくることです」とマスターが自慢げに言う。
ここにはマスターが集めたクリスタルムーンのグッズがところせましと飾ってあり、「お好きなエピソードを見ることができますよ」と正面のモニターで美少女アニメ「クリスタルムーン」の全話が好きなだけ鑑賞できた。
「時間は無制限です。好きなだけ見て行ってください」と言い残すと、マスターが出て行った。
正直、美少女アニメ「クリスタルムーン」は、まともに見たことがなかった。だが、折角だ。初回放送分から鑑賞することにした。
――しかし、親父がクリスタルムーンのファンだったなんて・・・
意外だった。どちらかと言えば堅物な人物で、子供の頃は「漫画ばかり見ていないで勉強しろ」と小言を言っていた。美少女アニメに入れあげるような人ではなかった。
そんな親父が何時からか「クリスタルムーン」のファンになり、ここの存在を知り、テンガロンハットを被って、ここを訪れていたのかと思うと、自然と微笑みが溢れて来た。
――親父。今日はゆっくりして行くよ。クリスタルムーンの良さを、僕も知りたい。
僕はコーヒーを口に運んだ。




