線香花火
「花火」を題材にしたシリーズ第三弾となります。
澱んだ空気の中、懐かしい臭いがした。
あの実家に戻った時に一瞬、感じる、懐かしい臭いだ。
自宅に戻るのは、どれくらい振りだろう。親父が亡くなり、お袋が施設に入ってしまったので、自宅に足を踏み入れることなど無くなってしまった。
俺は実家を離れて都会暮らし。年に一、二度、子供たちを連れて、実家に帰省するだけになっていた。
幸い、荒らされた様子はなく、掃除すれば、直ぐにも生活できそうだった。
居間の押し入れの奥にある金庫に向かった。実家に来た理由は金庫に仕舞ってある母親の預金通帳と印鑑を持ち出す為だ。
金庫の暗証番号は覚えている。
金庫を開けようとすると、その上に何か乗っていた。
――何だろう?
と手に取ると、花火セットだった。
何故、こんなところに花火セットが置いてあるのだ? 燃えたりしたら、危ない。多分、親父が生前、買っておいたものだろう。そう思った時、昔、親父と交わした会話を思い出した。
「都会じゃあ、公園で花火も出来ない」と言うと、親父が言った。「じゃあ、うちに来た時に、庭で花火をやれば良い」と。
俺たちと花火をやろうと買っておいたのだ。
俺は花火を手に持ったまま、暫く、親父との思い出に浸った。
実家に泊ることにした。
ホテルを取るのは勿体無い。一晩、実家に泊って、明日、お袋の施設への支払いを済ませ、家族の待つ家に戻るだけだ。
夕食はコンビニで弁当を買って来て済ませた。
食事を済ませてから、暫くテレビを見ていたが、テーブルの上に置いた花火が目に入った。
――火薬が湿気ていて、火がつかないかもしれない。置いて帰るのは物騒だし、持って帰っても、うちの周りで花火が出来るところなんてない。もう子供を連れて、実家に来ることもないだろうし・・・
と考えていたら、花火をやってみたくなった。
いそいそと準備を始めた。バケツに水を汲んで、ライターを持って庭に出た。もうぼちぼち夏だ。花火をやっているやつがいてもおかしくないだろう。
庭で遊ぶ為に買ったのだろう。派手な打ち上げ花火はなかった。懐かしい。線香花火を手に取った。
しゃがみ込んで、線香花火に火をつけた。
――綺麗だな。
子供の頃、スーパーで花火セットを見つけると、「買って、買って」とねだったものだ。毎年のように、親父と二人、庭で花火をして遊んだ。俺が花火で遊ぶ姿を、親父はにこにこと見守っていた。
線香花火がぱちぱちと音を立てて、火花を飛ばした。
美しさと共に儚さを感じさせてくれる。
ふと、顔を上げると、目の前に親父がいた。しゃがみ込んで、俺のことを笑顔で見ていた。
――親父!
思わず声が出た。
線香花火の火球が落ちて、辺りが真っ暗になった。親父の姿が見えなくなった。
どういうことだ?
俺は、二本目の線香花火に火をつけた。
すると、また目の前に、親父の姿が浮かび上がって来た。にこにこと人が良さそうに笑っている。
「お父さん。久しぶりだね」と声をかけてみた。
答えない。ただ、にこにこと笑って、俺のことを見ているだけだ。俺の記憶にある親父が、そこにいた。
線香花火が消えると、親父の姿がまた消えた。
線香花火が燃えている間、親父の姿を見ることができるようだ。
――そうか。まあ、良い。また、会えるなんて思ってもいなかった。だから、話なんかできなくても良い。親父の顔を見ることができるだけで十分だ。
俺はもう一本、線香花火に火をつけた。




