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世にも不思議なショートショート  作者: 西季幽司
不思議な話・その四
123/137

霧の町

短編小説にできそうなホラー作品です。

 濃い霧が出ていた。

 俺はバイクを飛ばしていた。隣町のダチの家に行くつもりが、霧のせいで道を間違えたようだ。気がつけば山道を走っていた。霧が出ているので、何処をどう走っているのか、さっぱり分からなかった。

 気がつくと、町にいた。

(へえ~こんなところに町があったんだ)と思った瞬間、バイクのエンジンが止まった。

 ガス欠――のようだった。

 途方に暮れた。山の中の見知らぬ町でガス欠なんて最悪だ。何処かにガソリンスタンドがないかと、バイクを押しながら歩いた。

 相変わらず濃い霧が出たままだ。昼間なのに、辺りは薄暗かった。しかも、余程、山の中にいるのか、電波が届かないようで、アンテナが立っていなかった。

 狭い町だと思ったが、バイクを押しながら歩いてみると、何時まで経っても町を抜け出せないでいた。へとへとになった。疲れ果てて、道端にしゃがみ込んだ。

「おにいさん。どうかしたのかい?」

 どこからともなく声をかけられて、俺は飛び上がった。

「だ、誰だ⁉」

「驚かせてしまったようだね。申し訳ない」

 霧の中から一人の男が姿を現した。背広をぱりっと着こなし、細面の顔立ち、跳ね上がった眉毛、口ひげまで生やしており、鄙びた山の中の町の住人とは思えない洒落た中年男性だった。

「ガス欠のようで、動けなくて困っています」

「それは大変だね。うちはこの近所だ。霧が晴れるまで、休んでみてはいかがかな?」

「えっ! 良いんですか?」

「紅茶で良ければご馳走するよ」

「ありがとうございます」

 渡りに船だ。霧が晴れるまで時間を潰させてもらうことにした。

 お屋敷と言って良いほどの立派な邸宅だった。表札に平井と出ていた。洒落た人物は平井さんと言うらしい。

 洒落た洋間で紅茶に茶菓子としてマロンケーキをご馳走になった。

「滅多に人が来ないところですから、客が珍しい。ゆっくりして行ってください」と平井さんが言った。

「遠慮なく」と答えると、平井さんが「そうだ。娘を紹介しましょう」と言って部屋を出て行った。

 やがて、平井さんが娘さんを伴って洋間に現れた。

 美しい。透き通るような白い肌に、大きな目、長いまつ毛、スラリと長い手足。触れると壊れてしまいそうな繊細さだった。一目で好きになった。

「エルザといいます」と平井さんが娘さんを紹介してくれた。

 平井さんは俺とエルザさんを二人切りにしてくれた。物静かな人で、饒舌ではなかったが、俺の退屈な話を辛抱強く聞いてくれて、つまらない冗談にころころと笑ってくれた。

 俺は時間が経つのを忘れた。

「夕食をご一緒にいかがですか?」と平井さんに誘われた。

「えっ⁉ それは・・・」あまりに図々しいように感じた。

「霧が晴れませんし、よかったら今日は泊っていってください」と平井さんが言う。

 躊躇っていると、エルザさんに「是非。お願い」と言われた。

 相変わらず濃い霧が出ているし、もっとエルザさんと一緒にいたかった。俺は「じゃあ・・・是非」と答えた。

 妙な夕食だった。

 食べきれない程のご馳走を出されたが、平井さんもエルザさんも赤ワインを嗜むだけで、食事には手をつけようとしなかった。

「遠慮なく。我々は、夜はあまり食べないものですから」と平井さんが言う。

 確かに二人共、痩せてスタイルが良い。

「この部屋を使ってください」と案内されたのは、二階にある豪華な部屋だった。天涯という飾り天井のついたベッドなんて、初めて見た。家具は一目で分るアンティークな高級品だし、まるで高級ホテルの一室だった。

 ただ、テレビが無いのには参ったが、エルザさんが部屋に来て、話し相手になってくれた。テレビなんかより、ずっと良い。

 彼女と話をしているだけで、楽しかった。


 夜中に目が覚めた。

 深夜を回っていた。何処かから人の話声がする。階下だ。平井さんかと思ったが、一人ではなさそうだ。耳を澄ませると、どうやら屋敷の大勢の人間が集まって、何事か話し合っているようだった。女性の声がする。エルザさんかもしれない。だが、儚げな彼女と違い、甲高い声で、高飛車に指示を出しているような感じだった。

 盗み聞きをしてはいけないと思いながらも、好奇心を押さえることができなかった。

 俺は部屋を出ると、階段に腰掛けて、下の階の様子を窺った。女性の声は甲高いので、よく聞こえる。

「――バートルの後は、ゲラン。次は――」

「ちょ、ちょっと待ってください。我々は、誠心誠意、エルザ様に奉仕して参りました。それなのに、ゲランの後だなんて」

「私の決定に不服があるのですか⁉」

「いえ、そんな。決してエルザ様に逆らおうなんて、そんな大それたこと、考えている訳ではありません」

「では、私の言葉に従いなさい」

 まるで印象が違うが、女の声はエルザさんのようだ。

 人々が集まって、順番を決めているのだ。いやエルザさんが順番を決めて、それを伝えている。一体、何の順番を決めているのだろうと思った。

 そして、次に彼女が言った言葉を聞いて、俺は青くなった。

「若くて生きの良い獲物です。心配せずとも、十分、町の皆さんに行き渡るだけの血液を持っているでしょう。久しぶりの獲物で、みな、飢えていることは分かります。それでも、節度を持って順番を守り、血を(すす)るのです。我々の餌となってくれる、あの若者に感謝の気持ちを忘れてはなりません」

「はい!」と大勢が声を上げた。

 どういうことだ⁉ 血を啜る? 獲物? ここは吸血鬼が住む町なのか? そして、エルザさんが、この町を支配している。俺は彼らの餌なのだ。俺の血を吸う順番を決めているのだ。

 逃げ出さなければ! ここから逃げ出さなければ、俺は殺されてしまう。

 取るものもとりあえず俺は屋敷を抜け出した。

 真夜中だ。しかも、霧が出ている。どっちにどう歩けば良いのか分からなかった。だが、一歩でも屋敷から遠くに逃げたくて、暗闇の中を俺は闇雲に歩いた。

 歩いて、歩いて、疲れ切って、俺は叢に蹲って眠ってしまった。

 どれだけ眠ったのか分からなかった。

 目を覚ますと辺りは濃い霧で覆われていた。まだ、霧が晴れない。辺りが薄暗いことから、昼間なのが分かる。

 俺はよろよろと立ち上がると歩き始めた。

 とにかく、山を降りよう。吸血鬼の住む町ではなく、本当の町へ行こう。

 俺は気力を振り絞って歩き続けた。

 やがて、舗装された道路に出た。この道路を歩いて行けば、町に着くはずだ。俺は歩き続けた。


――もう歩けない!


 と思った時、民家が見えて来た。

 どこかの町に着いたみたいだ。あれだけもう歩けないと思っていたのに、民家を見た途端、俺は走り出していた。町に逃げ込んで、警察署に行こう。そんなことを考えながら、俺は走っていた。

 途中、道端にバイクが停めてあるのが見えた。


――どこかで見たような。


 と思った次の瞬間、俺は青くなった。

 足を止めた。

 どこかで見たはずだ。俺のバイクだった。俺は呆然と立ち尽くした。


「探しましたわよ。戻って来てくれたのね」


 霧の中からエルザさんが姿を現した。

 背後には平井さんが、そして町の人々が。

 そうか。この深い霧は、彼らが直接、太陽光線を浴びないように町全体を覆っているのだ。この霧に、俺は方向感覚を狂わされ、町の周りをぐるぐると歩き回っていただけだったのだ。


「さあ、いらっしゃい」とエルザさんが手招きをする。

 俺は吸い寄せられるように、彼女に向かって歩き始めていた。

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