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異分子

短編小説「神憑きの村」は、「大魔神」のようなものを書きたいと考えている内に生まれた作品。

 県道から車が一台、やっと通ることの出来る細い道を延々と登って行く。

 途中、片側が崖になっていて、ハンドル操作を誤ると、谷底へ真っ逆さまに転落してしまう箇所がある。車がすれ違うことができないので、鉢合わせになると大変だ。どちらか、崖沿いの道を延々とバックして行けなければならない。

 右に左にカーブしながら山道を登って行くと、急に視界が開ける。山間に盆地が広がっていた。

 そんな場所に、香月村はあった。

 断層と村の中央を流れる香川がつくった盆地だ。川に沿って、瓜のように盆地が広がっていた。晴れた日には、陽の光が盆地全体を包み、閉ざされた楽園といった雰囲気を感じさせてくれる。

 香月村には五世帯の住人が暮らしていた。御剣家、少弐家、河東家、藤仲家、矢追家の五家だ。過疎化が進む村とあって、住人は老人ばかりだった。

 御剣家の当主、御剣次郎(みつるぎじろう)が村長を勤めている。六十代、痩せて白髪の幽鬼のような男で、一人暮らしをしている。

 少弐家は六十代の女主人、少弐栄子(しょうにえいこ)が一人で暮らしている。村外れ、香川の上流にある「香月神社」の宮司を勤めてきた家系だ。数年前に夫を亡くし、宮司の席が空席のままになっている。栄子が代理を務めている状態だ。

 河東家は御剣家の分家だ。香川の東に居を構えた為、河東を名乗ったという。現在は当主の河東栄治(かわとうえいじ)が妻、真理子(まりこ)と二人で暮らしている。夫婦は六十代、本家の次郎と仲が良い。

 藤仲家はかつて香月村の地主だった家柄だ。戦後に没落し、昔の羽振りの良さはない。現在は六十代の藤仲朋子(ふじなかともこ)が一人暮らしをしている。

 矢追家は七十代の矢追峯昭(やおいみねあき)敦子(あつこ)の夫婦が二人で暮らしている。

 五家、七名が村の住人の全てだ。

 この何もない香月村に、双田という若い夫婦が引っ越して来た。

 この二人の夫婦の村入りが、淀んだ水面に落ちた一滴の水滴のように波紋を広げ、村を絶望の底へと引きずり込んで行くことになる。

 そのことに誰も、まだ気がついていなかった。


「そう言うなよ。素朴なだけさ。僕たちを歓迎してくれているのさ。家庭菜園のことだって、色々、教えてもらっているだろう」と双田永太(そうだえいた)は妻の美麻(みま)をなだめた。

 永太は三十代。最近、肥満気味でお腹の周りの肉がドーナッツのようについている。顔も膨れてしまったが、痩せている時はメトロノームを逆さまにしたような顔をしていた。

 美麻も三十代。小柄でくるくるとよく動く。丸顔で、黒くて丸い目もくるくると落ち着きなく動いていた。

 昼間に村人が突然、やって来て、「畑で収穫したものだ」と言って大根を三本、置いていった。

「毎日、何かしら理由をつけて、うちをのぞきに来るのよ。あなたは仕事部屋に引きこもっていれば良いかもしれないけど、相手をさせられる私は大変なの。お茶やお菓子を出さなければいけないし、突然、来られたら、化粧が間に合わないのよ。それに、延々と家族の愚痴を聞かされるのは、もう、うんざりなの」

「まあ、まあ。悪い人たちじゃないから」

 永太はそう言うが素朴な村人といった感じがしないのだ。この村の人間は、みな、腹に一物を抱えているように見える。

 永太と美麻は大学のワンダーフォーゲル部で知り合った。二人共、山登りが趣味で、自然に溢れた、香月村のようなところで暮らすのが夢だった。だが、夢だけでは生きて行けない。僻村で暮らすには収入が必要だ。

 永太が動画編集、美麻がイラスト製作の仕事を覚え、自宅で作業ができ、収入が安定してきたことから、思い切って山村の一軒家を買い、引っ越して来た。

 香月村を選んだのは、盆地の景色が気に入ったのが一番の理由だが、仕事をするために必要な通信環境が最低限、整っていたことが大きな理由だった。

 廃屋となっていた家を買い取り、リノベーションを経て完成し、二か月程前に、香月村に引っ越してきた。

 村人は若いカップルを歓迎してくれた――と思っていた。

 仕事の傍ら、裏庭で野菜を育て始めると、村人がやってきて、野菜の育てかたを色々、教えてくれた。美麻が一人で苦労していると、畑を耕したり、雑草を駆除したり、手伝ってくれる。だが、美麻が言うには、「あの人たちにとって、私たちは余所者なのよ。口じゃあ、『若い人が来てくれて嬉しい』なんて言っているけど、心の中じゃあ、余所者に村を荒らされたくないと思っているに違いない」とのことだ。

 心当たりがないでもなかった。

「気分転換に、ちょっとその辺を歩いてくるよ」

 永太は家を出た。

 村の中央を流れる香川を中心に盆地一杯に畑が広がっている。香川の土手にある村の幹線道路といえるあぜ道を歩く。生憎、散歩には向かない天気だった。空を厚い雲が覆い、山影になった盆地の村は妙に薄暗かった。陽の光に包まれている時は、楽園のように見えるが、一旦、陽が陰ると、村は別の顔を見せる。この世の果ての異世界に迷い込んだ気分になるのだ。

 村ではカラスの姿を見かけない。

 代わりに黒い体に白いお腹をした鳥が、村中を我が物顔に飛び回っていた。村人はこの鳥をカチガラスと呼んでいる。カササギのことで、スズメ目カラス科なのでカラスに近い。穀類や昆虫、木の実などを食べる雑食性だ。

 ギギギギギイイイ――と何処か金属的で、断末魔のような鳴き声を立てる。初めて聞いた時は、鳥の鳴き声だと分からずにドキっとした。

 あぜ道を散歩していると、畑で雑草を抜いていた河東家の栄治が顔を上げ、「こんにちは。生憎だな~天気が悪くて」と声をかけてきた。魚のような顔だ。

 永太が答える。「ええ、本当に。精が出ますね」

「雨になりそうだ。家に帰った方が良いよ」

 確かに雲行きが怪しい。

「振りだしそうですね」

「熊に気をつけな。今年は、お山で餌が不足しているみたいだ。村に降りて来るかもしれん」

「熊が出るのですか⁉」

「まあ、大丈夫だろう。毎年、駆除しているから」

 河東はそう言うが、心配になった。

「それじゃあ――」と別れを告げて、あぜ道を進み、ふと視線を感じて振り返ると、栄治が顔を逸らすのが見えた。

 永太の後ろ姿をじっと見ていたのだ。

(監視されている?)と思った。

 家に帰ると、早速、「野菜を持って来てくれるのはいいけど、直ぐに家の中に上がり込もうとするのよ」と美麻がまた愚痴った。

 一挙手一投足、監視されているのだろうか。

「俺たちの暮らしに、興味津々なだけさ」

 そうは言ってみたが、気になった。家の中に木刀があったはずだ。剣道を嗜んだ訳ではない。昔は観光地の土産物として木刀が人気だった。何処かで父親が買ってきたものだ。「護身用だ」と言っていた。それを持ってきた記憶があった。

 翌日は朝から雨だった。

 雨が降ると村は一気に陰鬱な雰囲気に包まれてしまう。

 一日、家で仕事だ。朝から根を詰めて仕事に励んだので、仕事がはかどって、昼食を食べた後に一息つくことができそうだった。こういう時間の都合が利くところが在宅勤務の良さだ。

 雨戸を少し開けて、外の空気を吸った。

 まだ、雨が降っていた。

「おいっ!」突然、頭上から声が降って来た。

 辺りを見回す。庭の一部に丘がせり出しきており、その丘の上に男が一人、立っていた。

「御剣さん?」

 御剣次郎だ。香月村の村長の御剣だ。村に引っ越して来た時に、挨拶に行ったが、鋭い眼光で睨まれ、「何故、ここに来た⁉」と批難するかのように怒鳴られた。第一印象は最悪だった。

 その御剣が丘の上に鍬を持って立っていた。河東栄治と親戚らしいが、栄治がふぐのような顔をしているのに対し、次郎はサメのような顔をしていた。

「御剣さん。こんにち――」永太が挨拶しようとすると、「この村から出て行け!」と御剣が丘の上から怒鳴った。

「えっ⁉」

「聞こえないのか! 一刻も早く、この村から出て行けと言っているんだ。さもなくば、お前たちに災いが降りかかるだろう。この村にいてはならん。早く出て行け!」

 御剣が鎌を振り回しながら叫んでいた。

 ギギギギギイイイ――と何処かでカチガラスが鳴いた。

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