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世にも不思議なショートショート  作者: 西季幽司
魔法がいっぱい
111/136

魔法のサイン

 俺はマウンドで汗を拭った。

 試合は五回表、ツーアウト三塁。ここを抑えることができれば、俺に勝ち投手の権利がついて来る。この試合に勝てば、勝つことができれば、俺は二百勝に到達する。名選手の仲間入りをすることが出来る。

 シーズン二十勝を挙げ、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を獲得したことがある俺だったが、近年は衰えが顕著で、ついに昨年は未勝利に終わった。

 今年は引退をかけてシーズンに臨んだが、ここまで勝ち星に恵まれていなかった。これでダメなら、二軍落ちとなるだろう。引退の二文字が頭をかすめた。

 今日のゲームでは、相手の拙攻に助けられ、二対一でリードを保ったまま、五回まで投げ続けることが出来た。だが、流石に限界のようだった。

 バッターボックスに敵チームの四番、クルヘが入る。今日は既に二安打を打たれている。俺の球が通用しないことは明白だった。

 ベンチは俺を交代させたいだろう。だが、二百勝がかかった大事な試合だ。勝利投手の権利を目の前にして、今までチームを支えてきたベテラン投手を交代させることなど出来ないはずだ。そんなことをすれば、ファンがそっぽを向いてしまう。チームが空中分解してしまう。ドキドキハラハラしながら、俺の投球を見守っているだろう。

 初球、甘く入ったストレートをファールにしてくれた。ラッキーだ。二球目、スライダーが外れたように見えたが、審判の手が上がった。これもついていた。

 ツーストライクに追い込んだ。

 ここで一球、外し、ワンボール、ツーストライク。

 次が勝負球。フォークボールを投げたが、クルヘはバットを振らなかった。

 ボール。ツーツーとなった。

 さあ、これで投げる球が無くなった。クルヘが追い込まれて見えているだろうが、実際に追い込まれているのは俺だった。

 その時、突然、昔の記憶が蘇った。


――魔法のサインを教えてあげる。


 あの時、老婆はそう言った。

 何処だったのか、正確には覚えていない。老婆から「あなたのファンなの」と言われ、サインを頼まれた。他にも選手がいたので、移動中だったのかもしれない。皆、足早に通り過ぎる中、俺だけが老婆の前で足を止め、サインをした。

「あら、良い人ね。あなたに良いことを教えてあげる」

「良いこと?」

「あなたの望みを叶えるサインよ」

「俺の望み?」

「そう。なんだって叶えることが出来るの」

「へえ~じゃあ、一度で良いから、寸分、違わず、思い通りに投げることが出来たら良いなって思っている」と、そんな会話をした。

 老婆は指揮者のように顔の前で右手を複雑に動かした。そんな複雑な動作、覚えきれないよと言うと、大丈夫、あなたはきっと覚えているからと老婆が答えた。そして、「注意して。一球だけよ。思い通りに投げることが出来るのは一球だけだから、大切に使ってね」と老婆が言った。

 そこで、時間切れとなった。老婆を別れた。

 当時、俺は全盛期、そんなサインに頼らなくても勝つことが出来た。

 そして、そのまま、老婆のことは忘れてしまった。

 何故か今、突然、あの時のことを、老婆との会話を思い出したのだ。


――次の一球、それだけで良い。思い通りの球を放ることができれば、俺は二百勝を挙げることができる。


 藁にも縋る思いだった。

 俺は顔の前に右手を上げた。不思議なことに、あの時、老婆がやった通りに右手を動かすことが出来た。


「どうしたのでしょう? タムラ投手がマウンド上で妙なサインを出しています」

 実況のアナウンサーがそう言っていることだろう。

 体に力が漲って来た。全盛期の頃のようだ。

 やれる。きっとできる。何故か、体の奥から自信が湧いて来た。

 ボールを握る。

 俺はセットポジションから外角低め一杯にストレートを投げ込んだ。

 糸を引くような球が行く。しかも、寸分、違わず思い描いた通りの球だ。


――どうだ!


 クルヘがバットを振る。

「クワ~ン!」

 ボールは快音を残して、スタンドへ消えて行った。

 逆転ホームランだった。

 呆然とした。

 ベンチからピッチング・コーチが走って来る。交代だろう。俺の二百勝の夢は終わりを告げ、恐らく、この試合を最後に俺は二軍落ち、もう二度と一軍のマウンドで投げることなく、引退を余儀なくされるのだ。

 俺はマウンドでうなだれたまま、ピッチング・コーチを迎えた。交代を告げられるのだと思い込んでいたが、ピッチング・コーチは「タムラ。今の一球、凄い球だったな。まるで全盛期のお前を見ているようだった」と言った。

「はい。思い通りに投げることが出来ました」

「打ったクルヘを褒めてやるしかないな。まぐれ当たりだ。あいつだって、あの球だったら、二度とホームランに出来ないだろう」

「ありがとうございます」

 慰められているのだと思った。だが、違った。

「今の球を投げることが出来るのなら、続投、出来るよな。監督がそう言っている。今日はいけるぞと」

「えっ⁉」

 俺は耳を疑った。

「続投だ。頑張れ」

「はい!」

 俺は直立不動で返事をした。

 そこから調子が良かった。全盛期に戻ったかのように、球がキレ、ズバズバとコースに決まった。打線が奮起をして、五回裏に逆転してくれた。

 俺は九回を投げ切り、勝利投手となった。

 そして、二百勝投手となった。

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