襲撃
長雨が続いていた。
在宅勤務なので良いが、このところ雨が多くて、外出がままならない。畑仕事が出来ずに村人は途方に暮れていることだろう。
夕食の席で、「流石に、こう家に閉じ込められてばかりだと、運動不足だな」と永太が愚痴ると、「あら、あの鬱陶しい人たちがやって来なくて、せいせいしているわよ」と美麻が感情をむき出しにして答えた。
「そんなこと言わずに、村の人たちと仲良くしてくれよ」と永太が言った時、ドンドンと雨戸を叩く音がした。
「何だ⁉ 何だ?」
永太が恐る恐る雨戸に近づく。
風なんかではない。ドンドンと誰かが外から雨戸を叩いている。しかも、「お~い。大変だ!逃げろ」と叫んでいるようだ。
「どなたですか~⁉」と永太が雨戸に向かって叫ぶと、「俺だ。御剣だ」と返事が聞こえた。
御剣次郎だ。
「何があったのですか?」
「村人が、村人が襲って来る!」
「村人が⁉ どういうことです」
「この村はな。盗人の村なのだ。あんたらのような余所者が引っ越して来ると、集団で襲いかかり、あらいざらい奪って殺してしまうのだ。早く逃げろ! 村人が襲いに来るぞ‼」
「・・・⁉」咄嗟のことで、次郎の話が信じられなかった。
「だから、警告してやったのだ。この村から出て行け――とな」
どうする? 信じられない話だったが、先日、少弐栄子から神社で大騒ぎをした若者の話を聞かされたばかりだ。若者たちは神社で大騒ぎをして、帰り道、崖から転落して死亡したと栄子は言った。だが、もしかして、若者たちは村人に殺されたのではないだろうか? 全てを奪われ、殺され、死体を車に乗せて崖から突き落とされた。
そんな想像をしてしまった。
「逃げよう」永太が言うと、「ちょっと待って、金」と美麻が走り出した。
貴重品を持ち出すつもりなのだ。
「金庫の鍵は?」美麻が聞く。
「机の引き出しの中、真ん中の引き出しの一番、奥」
美馬の後ろ姿を見送ってから、「そうだ!」永太は木刀があったことを思い出した。
玄関に置いてある。慌てて取りに走った。
「雨だ。撥水性のジャケットがあったろう。あれを着よう」
「OK~」美麻が通帳に印鑑、現金をバッグに詰め込みながら答えた。
「早く、早くしろ! かがり火が迫って来ている」と外から次郎が大声で急き立てる。
雨の中、村人が武器を持って双田家を襲いにやって来る。
「いいわよ!」、「よし行こう」
「美麻」永太は美麻の耳元に顔を寄せると、何事か囁いた。
「分かっている!」美麻が力強く頷いた。
永太と美麻は雨戸を開けた。
そこには片手に松明、片手に鎌を持ち、雨合羽を着こんだ御剣次郎が立っていた。
「こっちだ」
二人は次郎について走り出した。町へ逃げるのかと思ったが、「そっちは、やつらが待ち伏せしている。危険だ。一旦、山に入る。裏をかくのだ」と次郎が言った。
「なるほど」
「足元に気をつけろ」
雨脚は衰えない。地面がぬかるんでいた。
「急げ! うかうかしていると、やつらに追いつかれる」
次郎は言うが、雨の中、次郎が持つ松明の灯りを頼りに、道なき道を進んでいるのだ。ぬかるんだ地面に足を滑らせながら、何度も転びそうになった。山の斜面だ。足を取られると、ごろごろと際限なく転がり落ちてしまう。
永太と美麻は懸命に次郎の後をついて走った。
ふと気がつくと、前を走っていたはずの永太の姿が見えなくなっていた。
「御剣さん! ちょっと待ってください。主人の姿が見えなくなりました」
「何!」次郎が足を止めた。
ただでさえ暗い上に、雨で視界はほぼゼロだった。松明を翳して周囲を照らしてみたが、永太の姿が無かった。
「ふん。迷子になったか。まあ、良い。奥さん。全財産を持って来たか?」
「な、何を?」
「そのバッグの中だろう。バッグごと、俺に寄こしな」
次郎がゆっくりと斜面を下りながら、美麻に近づいて来る。
「御剣さん・・・村人が襲ってくると言うのは・・・」
「嘘じゃない。俺が、あんたたちを誘い出す役目なだけだ。さあ、バッグを寄こしな」
「嫌!」と美麻は胸にバッグを抱える。
踵を返し、逃げ出そうとしたが、足を滑らせて派手に転んだ。
「うへへへ~」次郎が不気味に笑った。
松明の炎がゆらゆらと揺れて、次郎の歪んだ表情を不気味に照らしていた。
「助けて。お金なら差し上げますから」
美麻は地面を這って逃げながら次郎に懇願した。
「ダメだ。あんたたちには死んでもらう。心配するな。旦那さんも、見つけ出して、後であの世に送ってやる」
次郎はぴょんぴょんと二歩、飛んで、美麻に駆け寄ると、ゆっくりと鎌を振り上げた。
まるで殺戮を楽しんでいるかのようだった。
「きゃあ――!」美麻が悲鳴を上げた。
「よいしょっと」次郎が鎌を振り下ろそうとした、その瞬間。ガンと鈍い音がして、次郎が手に持っていた松明が美麻の傍らに落ちた。
次郎がその場に崩れ落ちた。
次郎の背後に永太が木刀を持って立っていた。
「あんた! 遅いよ」
「悪い、悪い。雨で地面がぬかるんでいるからな。でも、こいつが松明を持っていてくれたお陰で、お前たちの場所はちゃんと分かっていた。しかし、用心しておいて良かった」
家を出る前に美麻に耳打ちしていたのは、このことだった。いなくなったと見せかけ、次郎を襲う計画だったのだ。
「だったら、もっと早く来なよ。あんた、まさか、こいつに私を殺させるつもりだったんじゃないよね」
「考えすぎだ。ちょっと待て」
そう言うと、永太は木刀を左手に持ち替え、足首に装着したホルスターからサバイバル・ナイフを抜き出した。そして、「あらよっと!」という掛け声と共に、地面に伸びた次郎の首筋にナイフを深々と突き立てた。
まな板の上に魚のように、びくんと激しく体を動かした後、次郎は動かなくなった。
「これで大丈夫だ」
永太は次郎の体を二、三度、足でつついて死んでいることを確認した。死んでいると分かると、足に力を入れて蹴り飛ばした。次郎の体は、ゴロゴロと斜面を転がって行った。
「熊が出ると言っていた。熊が掃除してくれるかもしれない」
「これから、どうするの?」
「残りは六人、全員が年よりだ。しかも、男は二人だけ。何とかなるだろう」
「でも、驚いた。この村のやつら、余所者が来る度に殺して、金を奪っていたのよ」
「ああ、そうだな。神社で大騒ぎをした若者たちが帰りに事故ったっていうのも怪しいものだ。単に、遊びに来ただけの連中だったのかもしれない。そいつらを殺して金を奪った」
「きっとそうよ」
「死体を車に乗せて、崖から落として事故に見せかけたんだろうな。質の悪い連中だ」
「前の住人だって怪しいものだわ」
「夜逃げしたってやつか」
「村のやつらが殺して、金を奪ったのかも。ふふ。でも、私たち、人のこと言えた義理じゃないけどね」
「まあな。やつらが襲って来なければ、こっちから行くつもりだった。一軒ずつ、お邪魔して、全てをいただくつもりだったのだからな。なんか、変なことになっちまった」
永太と美麻は、過疎化が進む村の老人たちを襲い、金品を強奪する強盗団の一員だった。村の情報を探る為に、若夫婦を装い、香月村にやって来たのだった。
一軒、一軒、時間をかけて村人たちの蓄財状況を調べ上げ、強盗団を呼び込んで一気に村人たちを襲う。その際、永太と美麻も被害者の振りをしておいて、事件後に「こんなところには住めない」と村から出て行く。この手口で、荒稼ぎしていた。
「これから、どうするの?」
「家には戻れないな。やつらが見張っているだろう。森は熊が出るって言うから、うろつくのは危険だ。相手は老人たちだ。俺一人でも何とかなるかもしれないが、仲間を呼んだ方が良い」
「そうね。生きの良い若いのを何人か呼んでよ。応援が来るまで、どうする?」
「大丈夫。その点も考えてある。ほら、この間、神社を見に行っただろう。丁度、良い下見になった。あのお社、ナントカという武将が立て籠もったって言っていただけあって、なかなか立派なつくりだ。あそこに籠ろう。なあに、仲間が来るまでだ。明日の朝には全て片付く。今夜、一晩だけの辛抱だ」
「なんとかなりそうね」
美麻の傍らで燃えていた松明が消えて、辺りが暗闇に包まれた。
「さあ、急ごう」永太はポケットから携帯ライトを取り出した。暗闇に紛れる為に、隠し持っていたのだ。
二人は神社に向かって、歩き出した。