アンノウン・マザーグース【5】
「プレイス・ユア・ベット」
賭けてくださいと両腕を広げたディーラーが勝負の再開を宣言する。
黄チップ1枚を賭けた俺に対し、アルニム伯は黄チップの2枚から始めるようだ。差を縮めようと前のめり、肩を乗りだしている。
ブルクハルト様は気分が良さそうに黒チップを差しだす。
アーデルハイトはまた緑のチップから始めるようだ。
右端の男爵にはいくら負けても良いが、とにかく席を立つなと言い含めてある。
「ノー・モア・ベット」
ベッド終了を告げたディーラーがブラックジャックテーブルに着く全員を見回した。
カジノはどんな金額でもあろうとも、それが最低賭け金と最高賭け金の範囲であれば受けて立たねばならない。
そしてカジノ・バーデンではプレイヤーサイドとても、一度乗っかったゲームに降参のルールはない。
カードが配られる。
ジョーカーを除く52枚のカードを1デッキと呼ぶ。賭博場では6~8デッキを使うのが一般的だ。バーデンでは8デッキを使うため、ビリジアンの半円形テーブルに乗せられるカードは416枚に及ぶ。
ブラックジャックはむろん1デッキ52枚でもプレイ可能なゲームだが、その場合ディーラーであるカジノ側が圧倒的に不利となる。すべてのカードを使い切るようなゲームでは、カウンティングを使うことでプレイヤーが勝ち越すことが容易に可能となるためだ。
だから複数のデッキが使用されるし、デッキ数が少なければ頻繁にシャッフルが行われる。さらにすべてのカードを使い切ることができないようにカットカードを利用する。ディーラーが差しこむ二度目のカットカードに、ゲームに使うカードと使わないカードを予め仕分けておくのだ。シューケースに収まったカットカードまでカードを引き終えたら再度のシャッフルを行い、ゲームは続行される。
どんな場末の賭博場であっても、カードカウンティングは常に警戒されている。公営カジノにおいては複数デッキ、カットカードの使用などの対策が必ずとられている。
猛威を揮い、必勝法ともてはやされた発見当初の頃とは違う。あくまでも勝率を上げるための戦略というだけだ。
残りのカード枚数が多い状態でのカウンティング精度はさほど高くない。できれば半分以上がオープンになった状態が望ましいが、だからこその8デッキ。そしてカジノのディーラーだってプロなのである。カードを凝視し、暗記しようとするカードカウンターには用心している。
男爵はディーラーの注意を引いてくれればいい。カードに傷をつける、マーキングのような派手な行為はもういらない。あまり怪しい素振りを見せ続ければ突然カードの使用率が大きく変わる可能性もある。
1ラウンド目はこちらが優位に立っている状態でゲーム時間を短縮する。アルニム伯の焦りを誘う。戦争をしている兵士にストレスを与えるというのは立派な攻撃手段なのだ。かつ、作戦を敢行、目的を完遂した男爵は退室を促がされることなく囮、あるいは前衛としてテーブルに留まっている。勲章ものの奮戦だ。
正直、カードカウンティングなんぞ何度もやれる手ではないのだから。
俺に配られたカードは3と8。合計11。
ヒットの一択だ。何を引こうがバストすることがない。
とん、とん。人差し指にテーブルを叩いて意思表示を行う。
追加されたカードは3、そして6。合計20。ここでスタンド。
アルニム伯の手元はAと6。
「ダブルダウン」
宣言し、黄チップ2枚を追加。
つまりは倍プッシュ。
Aが手元にあるときのダブルダウンは悪手ではないが、ディーラーの手も悪くない。表向きとなっているカードはKである。そして伏せられたカードが10である可能性は32.5%にも及ぶのだから。
(なかなか強気だ)
あるいは焦っているのか。
アルニム伯が追加したカードは2。Aは11と数え、合計19。
ディーラーの伏せカードはJの絵札。合計20。
俺は引き分けだが、アルニム伯は負けだ。
俺の黄チップは増えも減りもせずそのまま返ってきて、アルニム伯の賭け金、黄チップ4枚は回収される。
ブラックジャックは勝負を終えるたび、カードがすべてオープンとなるゲームだ。その特性を利用し、消費されたカードを数え、デッキに残るカードを推測する作業をカードカウンティングと呼ぶ。
次に引くカードが2~6の『低い』カードなのか。
それともを10や絵札など、『高い』カードなのか予測する。
高いカードが多い場合はプレイヤーにとって有利な状況となるため、賭け金を増やす。『高い』カードがデッキに多く残る状況が何故、有利なのか。それはカジノディーラーは17となるまで必ずカードを引かなければならないから。バストが期待できるからだ。
数字をそのまま暗記する必要はない。
2~6までのカードは+1。
7~9までのカードは±0。
10からAまでの5種は-1を割り当てる。
一般的に広まっているカウンティングがこれだ。
俺が使っている計算式はカウント値を四つに細分化し、さらなる精度の向上を目論む。
まず-1のカウントを省く。
4と5のカードが+2。
2と3、6と7のが+1。
8と9、Aが±0。
10~Kまでのカードが-2。
サイドカウントとトゥルーカウントの追加要素を招きいれながら。
(ようするに累積加減算だ)
とは言え上級者向けであることはたしかである。理系の筋肉マンと影に呼ばれるタリスマンですら、8デッキにこれをこなせるのは俺だけだ。メモをとりながらカウントを続けた同僚との答え合わせを待つまでもなく。他の連中は途中で両手を上げてギブアップを宣言していたからだ。
リズムよく、テンポよく。
目の前のゲームをこなす。
頭のなか、カードを4つのグループに分類、箱に放り込んでゆく。そのたび、箱の側面に書かれた数字が切り替わる。
カウンティングを行うならば。ルールを、そして攻略のための基本戦略を理解していることはむろん前提。
416枚のカードを相手取り、プレイとカードカウンティングの作業、そして勝率計算を同時進行しようと試みれば、凄まじい記憶能力と迅速な暗算能力が要求される。
楽しんでいるか?と問われればまったくもって楽しくない。デートにおいて、これは致命的な欠点だろう。こめかみが引き攣る感覚。こんな真似を二度もやれるはずがない。
一度やれればたいしたものですけどね、と幼馴染は呆れ混じりだったけれども。
勝って、負けて、引き分けて。
足して、引いて、プラマイ0。
ツキの偏りは必然だ。三連敗を迎えたこちらを他所に、アルニム伯は三連勝。強気の賭け方もあり、息をふきかえしている。ウェイターを呼び止め、シャンパンとはいえアルコールを受け取っている。
基本戦略を押さえているとはいえ…。酒を飲んで勝負? 本気で勝ちたいとも思えない。
しかもほぼ確実に空きっ腹だ。夕飯を食べ損ねるであろう時間帯を誘導した。空腹は苛立ちを誘う。粘り強さを奪う。そこへアルコールの摂取とは。
楽しいのか。
ふと気づいた。
(…楽しいんだろうな)
心の底からギャンブルが楽しくて、本気で遊戯としてのギャンブルをやりたがっている人間がいることに俺は意外さを覚える。
どこのカジノも最終的には胴元が儲かるようにできている。そうでなければ商売として成り立たない。いかに気持ちよくカネを落として貰えるかにかかっている。
(なるほど)
レジャー施設のコンセプトには合致している。
ハイソサエティな雰囲気を楽しむにはいい場所だ。
だが俺は勝ちに来た。楽しむためにここに座っているのではない。
重要なのはメンタルコントロールだ。大切な気力をアルコールに損なうなど論外である。
なにしろ天秤は傾き始めている。
配られたカードは3と8。合計11。
ディーラーの表向きカードは9。
「ダブルダウン」
ヒットによってQを引き当て、21。勝った。
次のカードは合計17だった。
ディーラーカードは5。
「ダブルダウン」
ディーラーがバスト。プレイヤーの勝利。
カウントが0になれば当然、元通りの賭け方だ。基本戦略に忠実に。
さらなる戦果拡大のチャンスはやってくる。
ディーラーのアップカードは9だった。
俺の手元に舞い降りたのはダイヤとハートのAの2枚だった。
人差し指と中指を広げたハンドサインにスプリットを宣言。ベッティングエリアの二箇所に黒チップをベット。
ヒットにより、追加されたカードは10とQ。21のハンドが二つ成立。
カードを引くのは時計回りだ。まずは俺から見てテーブル右端の男爵から。そしてアーデルハイトは先にスタンドを宣言している。
俺の隣、アーデルハイトは7と9のカードを引いて、合計16にストップさせている。
そんな彼女を見て鼻に笑っていたアルニム伯は、俺が二つ揃えた21に表情を一変させた。
「……ヒットだ」
ヒットとスタンドを口頭に宣言するのはむしろNG行為なのだが?
言った言わないの水掛け論を防ぐべく、カジノではハンドサイン以外の宣言を認めていない。
無言のディーラーより催促の視線を受け取ったアルニム伯は忙しなくテーブルを叩いた。人差し指に、掻きこむようにヒットのハンドサイン。伯爵のカードはKと4だ。合計14。
(俺ならスタンドだな)
─── そして冒頭に戻る。
後半に『高い』カードが集中した、理想的な展開へと。
Kを引き当てたアルニム伯爵は24のバスト。
ディーラーの伏せカードはJ。合計19が確定。
ナチュラルブラックジャックに21を完成させ、勝利した場合の配当は2.5倍だ。2枚の黒チップは5枚となってベッティングエリアより俺の手元へと返却される。
一気に突き離した。
愕然と。テーブルに拳を握ったアルニム伯が呟く。
「イカサマだ…っ」
だがアルカイックスマイルを浮かべたディーラーが手を止めることはない。勝負を終えたカードを回収し、ディスカードラックへと移動させる。客の文句も言いがかりも、日常だと言わんばかりだ。
俺も取り合わない。視線もくれず、盤面に現れたカードのカウンティングを続けるだけだ。
偏ったカードの現れ方をイカサマと呼ぶのは勝手だが、カジノで、しかも敗北者として吐いた戯言など失笑を買うだけだ。やれやれと肩をすくめる紳士淑女のギャラリー様方には困らない。それに、なんのために『シャッフルからスタートする二回勝負』とルールに定めたと考えている。カジノによってはそもそも途中参加を認めていない場所もある。8デッキを使用したクラブ・バーデンでは不要とされているカードカウンター対策というだけだ。ブラックジャックのテーブルが常に満員御礼なんてケースはほとんどなく、プレイヤーは好き勝手に入れ替わっている。回転率はそのまま収益率に繋がるし、途中参加を表明した新規プレイヤーに「次のシャッフルまでお待ち下さい」するのはそれだけ儲けのチャンスを捨てていると胴元は考えるからだ。しかしテーブルに着席せず、ギャラリーとして安全にカードをカウントしながら『高い』カードが多く残る有利な展開を待ってから勝負を始めようとする玄人のプレイヤーは貴族のなかにもいる。ちょっと遊ぼうという感覚ではなく、稼ぎにきているのだ。そんな連中とても、アルニム伯からあがった『イカサマ』は一笑に付すというもの。
「お父様はカードを繰ったことがあるのですか?」
アーデルハイトからの声かけに、アルニム伯はこちらを暗く澱んだ青い目に睨みあげてくる。片手を上げて彼女を制し、代わって答える。
「我々の部隊では、カードを使った確率の実証実験を行ったことがあります。面白いものです。1デッキ、52枚を何度、誰がいくらシャッフルしても、赤と黒のカードは交互には並ばない。5枚や6枚は赤と黒が連続します。つまり5連勝や6連敗など、いつでも起こりうる確率です」
「だからどうした」
「簡単なことです。“運命がカードを混ぜ、我々が勝負をする”」
「……詩人だね」
ブルクハルトが笑う。
「ええ。クリスチャン・エラの詩人の言葉ですよ」
過去には親ガチャと言い換えられた時代もあったにしろ。
帝国という先進国に生まれた時点で、勝負のテーブルはマルクスの近くにあった。物心つくまでを生き抜いたならば。あとは勝負の準備をしながら席に着くチャンスを狙えばいい。虎視眈々。招かれてもよいが、奪い取ってもよい。
過酷な状況から勝ち星を奪おうとするなら諦めてはいけない。幸運の女神の関心を得るためには、過度な要求であれやるしかない。綺羅星のような勝利を、高嶺の花を手にしたいならば。
「プレイス・ユア・ベット」
ディーラーが迫る。賭けてください。賭けないならば、退席を。そう迫る。
勝負を降りるという選択肢にアルニム伯は縋りかけた。迷った。軽く浮かせた腰を、ふたたびスツールへと下ろす。
(そうとも)
降りてどうする。領内の治安改善に対し、娘に縋る以外の、なにか妙案でも?
援助を乞うたフランツ王子は新しい女とキャッキャウフフするばかり。頼りにならないどころか。国王からの謹慎処分をくらい、会えもしない。門前払いに追い返されているのだ。
今後アルニム伯爵領の経済が劇的に改善する見込みもない。そもそも維持管理には創造よりもカネがかかるもの。安全管理にかけるカネを惜しめばそれはもっと巨大な災厄となり、最悪な時期に返ってくるという典型。
アーデルハイトが前線に出て10ヶ月が経過、アルニム領の治安は急速に悪化している。同時に経済活動も停滞。誰もがイケイケドンドンの気分であれば領地への投資も呼び込みやすいが、王立学園に幻獣種が現れる現状。投資はともかく、投機は避けたいというのが大半の投資家の本音だろう。
娘を次の後援者に売るという選択肢も消えた。俺という子爵の婚約者が現れたからだ。
“運命がカードを混ぜ、我々が勝負をする”
アルトゥール・ショーペンハウアーが言ったとされます。正確な出典は不明。実際は詩人ではなくドイツの哲学者でした。