表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/107

アンノウン・マザーグース【6】


 そりゃあ泡を食い、カジノくんだりまで飛びこんでくるだろうよ。


 放り出すように投げられた黄チップは二回まわってベッティングエリアに倒れる。

 これでいいんだろう、と言わんばかり。アルニム伯爵が深くスツールへとかけなおす。周囲の目を意識したのだとしても、ファイティングポーズを取り直せる程度の闘志が残っているのは結構なことだ。

 うすく笑い、俺もまたブラックジャックテーブルへと向き直る。増やしたばかりの黒チップを賭ける。

(三回まわってワンと鳴けば許されるとでも?)

 そんなラインはとうに超えている。

 アルニム伯が王家との姻戚関係を望んだのはわかる。野心を持つ伯爵ともなれば喝采すべき、言祝ぐべき縁故。口にはださずとも、娘の価値などそれだけだと考えている宮廷貴族は他にもいるはずだ。そこに私腹を肥やそうとするのも、また。金銭は万人にとって価値を持っている。カネが欲しかったという動機には、誰しもが一定の理解を示す。だが。そのために娘を魔道実験の被検体として差しだしたとなれば、人としての一線を超えている。

 なにより。ノブレス・オブリージュの正しさを本心より信じているならば、人体実験からの拒絶反応を抑える薬を盾にした脅迫などする必要はなかったはずだ。

 高貴なる者による自発的な献身という理想。そして位高ければ得高きを要すという思想。それが本物であれば、そうして育てた娘をただ信じればよかったはずだ。信じきれずに縛ったのは、伯爵自身がノブレス・オブリージュなんて理想を信じていなかったからだろう。彼自身が率先して体現すべき地の塩の如き教えではなかったという証明に他ならない。

 アルニム伯にとって、アーデルハイトはあまりにも便利な道具だった。領地の掃除屋、箒であり、王室との縁を繋ぐロープだった。

 美しい容姿。─── 変わらない姿。

 卓越した運動神経。─── 常軌を逸した魔力素養。

 それらを使いこなすだけの頭脳。果断な決断力。幼さなど感じさせない声と口調。一度でも戦場に遭遇すれば、俺たちにだってわかる。破格、別格、規格外。それが可憐な少女の皮をかぶっている。伯爵にとって、彼女はあまりにも身近にいたモンスターだったわけだ。

 腹に溜まった恐れ、嫉妬、妬みは娘の幸福を願うどころか。ともすれば足を引っ張り、これほど高貴な怪物を好きなように扱える暗い愉悦に夢中だったに違いない。


「ノー・モア・ベット」


 ディーラーの宣言に、意識を向けなおす。数字へと。確率の合理へと。カジノゲームの世界へと没頭する。

 確率はしょせん確率だ。計算のできる賢者ほど、さらなる確証を得ようと情報を求める。決断を先送り、躊躇する。けれど確率に数式のような絶対解は存在しない。

 魔道士の精鋭たち、タリスマンのなかでさえマルクスが勝てるのは勝負をするという意識が他よりも強いからだ。ハングリー精神に食いつき、食い下がってきたモーリッツにはまだ技術が足りない。メンタルコントロールに未熟。切り替えも遅い。だがまぁ、見所はある。手間隙をかけて育成する価値はある。息をしている以上、ノーリスクなど笑止千万。この世のどこにもありえない。

 ディーラーのアップカードは6。

「ダブルダウン」

 手を緩めることはしない。積極果敢な攻勢。それは、無駄に賭け金額を吊り上げることと同義ではない。相手の失敗バストを待つことも、誘うこともまた防御戦の本質だ。こちらの縦深じゅうしんは譲らずに。

 ……そもそも敗北にいちいち打ちのめされていて軍人稼業がやれるものか。北方戦線における四度の敗走、遅滞戦闘はすべてを投げ出したくなるほどに苦しかった。かんなに毎日精神を削られるようだった。これほどストレスフルな職場にはそうそうお目にかかれないに違いない。それでも俺たちが笑えていたのは、減らず口が叩けていたのは、隊長がいたからだ。首輪をはめられたイヌのようにただ一心に彼女だけを見つめていた俺は言うまでもなく。頭上に輝く星を追うように、俺たちはみな、彼女の背を追い、従った。魔道士部隊タリスマンとして纏まっていられた。ローレンツ大佐などでは駄目だ。俺が指揮官でも駄目だ。俺なら、眉間にシワを寄せたしかめっ面に部隊の士気を殺いでいた自信もある。

 そして五度目の防衛線だろうが、押し返せば帝国軍の勝利だった。受けとめ、耐え抜いての反転攻勢。機動戦による敵軍撃滅が嫌いな人種は軍人という職業選択を間違っている。


 ギャンブルに負けがこむのは何故か?

 焦りに思考を放棄するからだ。転がり落ちる坂道にすべてを手放し、投げやりになってしまうからだ。そして崩れたまま、立て直すことができない。仕切りなおすことができない。

 ─── 今のアルニム伯のように。


 カードシューのケースに、とうとうカットカードが姿を見せた。

 2ラウンド目が終了する。

 すべてのカウントを終えた俺もまた、息をついた。互いのチップの山を見れば結果は明らかだ。数えるまでもない。

 俺は倍に増やし、アルニム伯は三分の一に減らした。

「勝負はついたようですね」

「お父様。サインをお願いします」

 余韻も容赦もなく。足元に置いた小さなハンドバッグから、アーデルハイトが四つ折りの紙とペンを取りだす。

「ま、待て」

 まぁ、それは俺も同じだ。すかさず割って入る。

「そうですね。ここではゲームのお邪魔でしょうし。別室でいかがです?」

「ああ、それなら僕が用意しよう」

 ブルクハルトの提案はまったくもって予想外だったけれども。にこやかにお断り申し上げる。

「いいえ。お気遣いなく。そこまでしていただく必要はありません」

「そう言わず。ハイローラー用の部屋は押さえてあるんだ。ここまで来て仲間はずれは寂しいだろう?」

 いつの間に?

「そうでしたか。お言葉に甘えます」

 俺が再度の断りを入れるまえにアーデルハイトが同意してしまった。

 ここぞとばかり、ミュラー伯爵領の家紋が入った年間パスを使うつもりだった俺には肩透かしだ。しかしさすがはブラートフィッシュ侯爵家への対応である。

「かしこまりました」

 ベスト姿のディーラーによる合図に、すみやか、店員たちが現れる。

「換金を頼む」

 チップはテーブルを立つ前に現金へ戻しておくものだ。ブラックジャックのチップはレートの違うルーレットのテーブルでは使えないように、細かなルールがある。

 馬車や家の購入でもしない限り出番のない10万ライヒマルク紙幣を含んで分厚くなった紙入れをポケットにしまう。その前に、カジノチップではなく、礼としてのチップをテーブルに置いて立ち上がる。俺の真似するアーデルハイトにほっこりとした気分になるが、じつのことろ彼女の換金額が俺に次いで二番目に大きい。

「素晴らしいカードさばきでした」

 ディーラーと会話を交わしたアーデルハイトは、緑のチップ1枚は換金せずに持ち帰ることにしたようだ。小額であれば許されるようだ。大事そうにバッグへと仕舞っている。

「初デートの記念にします」

 ……かわいいことを仰る。

 しかし当初のカジノチップ額から考えると、えぐいほどの収益率。配当30倍のサイドベットを当てたのが大きい。大きな失態もなく、前後に基本戦略ベーシックストラテジーを貫いたためだろうが…。ナチュラルブラックジャックもキめていたようだが…。俺はこちらが見やすいよう彼女が開いてくれていたカードのフェイス面しか見ていなかった。追えていなかった。

 ついでのように。

「ああ。君はどうかな、アルニム伯爵?」

「は、ええ、……光栄です」

 そこで初めてブルクハルト様より声をかけられたアルニム伯に選択肢などなく。同じように席を立つ。

 ちょうど交代の時間だったのか。新しく現れた同じベスト姿に場所を譲り、ブラックジャックテーブルのディーラーだった男が先頭に立った。足音を吸いこむ厚い絨毯が敷かれた回廊を案内され、別室に移動する。

「綺麗なお部屋ですね」

 感心したように、アーデルハイトが周りを見回した。予想はしていたが。綺麗、とか言うレベルではない。ソファにワインセラーまであった。中央に鎮座するブラックジャックテーブルさえなければ、頭に『最高級』と注釈が付くようなホテルの内装に似ている。隣接する宿泊施設の客室をそのまま運んできたのだと言われても驚かない。

 手馴れた様子のブルクハルト様は早速セラーのウェイターにワインを頼んでいる。

「君たちもどうかな」

「すぐに終わります」

 素っ気ない俺の答えに、クリーム色のソファに座ってくつろぐブルクハルト様はくすりと笑い、ゆるく小首をかしげた。そうかい?とも、そんなはずはないだろ?とも言っているようだ。

「はい。すぐに終わります。どうぞ、お父様。こちらでサインをお願いします」

 ブラジリアン色のテーブルに第五王子との婚約破棄同意書を広げ、ペンを差しだす。

「アーデルハイト」

「はい。お父様。ゆっくりご確認いただいて結構です」

「……アーデルハイト、」

 察してくれと言いたいのだろうが、城下の盟を迫るアーデルハイト・アルニム少佐がそのような手心を加えるはずもない。

「はい。わかりづらいところがありますか?」

「……っ」

「おや…。お顔のいろが優れませんね?」

 わざとらしく声をかける。

「早くご帰宅なさったほうがよろしいのでは? 失礼ながら、この世の終わりを迎えたようですよ?」

 歩を進め、座るアルニム伯をはさみ、アーデルハイトとは反対側に立つ。

「サインは、する。だから戻り、魔獣の殲滅を、…おまえならできるだろう」

 予想通りに始まった泣き言、哀訴懇願があまりにも予定通りすぎてつまらない。鼻に笑う。

 王妃といい。父親といい。いなくなって困る相手なら、なぜ大切にしておかないのか。誰も彼もが彼女の献身を、ただひらすらに貪るだけなのか。この様子では第五王子も、警戒して警戒しすぎることはない。あまい夢から冷めたとたん、まるで取り置いていたチョコレートに手を伸ばすようにアーデルハイトの能力を求めかねない。

「伯爵。……約定を違えるのですか?」

「そうではない。サインはする。フランツ殿下とのことは…、諦めよう。だが、」

 最後までは言わせずに。肩へと手をかける。

「結構です。それではサインを。こちらへ。王妃陛下、第五王子殿下からは血判でもよいという許可はいただいております」

 見下ろす。

 手のひらの下、ギクリと肩を強張らせた男は信じられないと目を見開いた。

 2週間前までは味方だと。そして今でも、少なくとも敵ではないと信じていた二人の王族から切り捨てられたと聞かされて。二人の魔道士に囲まれて。ペンを握った指が細かく震えだす。

(残念だったな)

 裏切りと受けとめられる、なんて。そこまで深く考えられる知性、あるいは想像力を、奉仕されることに慣れきった王族の彼らは持ち合わせていなかった。

「どの指にしましょうか? ご希望はありますか?」

 肩を握った手に力をこめる。体型だけは維持しているようだが。筋肉の力強さは感じない。練りこまれた魔力素養も感じない。暴力的なまでの生命力に脈打つ魔獣の骨肉に比べれば、こんなもの。素手に握りつぶせる枯れ木と同じだ。

「アーデルハイト…!」

 肩で息をしながら。はくっ、はくっと唇をわななかせる。娘の名を呼ぶのが精一杯のようだ。


「……領地の状況はそれほど切迫しているのでしょうか」

「そっ、そうだ。おまえが帰ってこないからだ」

 この期に及んでの責任転嫁。領主の台詞とも思えない。

「北方遠征が長引いたことはご存知でしょう。軍令です。魔獣大発生(スタンピート)に背を向けるわけにはいきません。我々帝国軍の背後には、すべての帝国民がいます。何度も申し上げますが、他部署に所属する軍人を頭数にいれて領地の危機管理体制を考えるのはあまりにも危険です。緊急事態への対処に限った話ではありません。アルニム騎士団では人員と装備の不足が慢性化しています。いつも、いつまでも、私が足を運べるわけではありません。傭兵団の運用を含め、総合的な予算案と戦闘団編成について抜本的な見直しを。どうか、早急に行ってください」

 それができないから無能と呼ぶ。

「うるさい。わかっている。もう一度、もう一度だけだ、アーデルハイト」

 リスクマネジメントに対する己の能力不足を自覚しているのなら、まずは騎士団長のような肩書を持つ部下と話し合えばよい。そこへ魔獣退治における専門家である娘を同席させ助言を求める、改善を図ると言うならばともかく。

 目に見えてわかりやすい、一撃必殺の解決策だけを求め続ける。

 あまりにも虫のいい物言いに眉をしかめる。

「アーデルハイト嬢の輿入れ後はどのように対処するつもりだったんです」

 不快だが、むしろ純粋な好奇心をもって尋ねる。

 十八になったアーデルハイト・アルニムは軍籍を辞し、第五王子妃となって王家の一員となるはずだった。婚約はすでに為されていたのだ。昨年までの予定ならば、あとは日取りを取り決め、華燭の宴の発表を待つばかりだったはずだ。輿入れしてしまえば、俺などきっと二度と彼女には会えない。野営の天幕横に、ふたり、代用コーヒーをすすりながら星を見上げた夜は二度と訪れない。タリスマンの同窓会を目論むでもなければ、王宮のバルコニーに手をふるアーデルハイトの姿を遠目に見守るだけになっていただろう。想像だけで両手に顔を覆いたくなるような真っ暗な未来が潰えたのは奇跡だ。一筋の光りは今やどこまでも広がり、祝福の鐘とともに俺たちの頭上を照らそうとしている。

 誰にも邪魔はさせない。

「まさか、領地の魔獣対策がおぼつかないので娘を里帰りさせてくださいと申し出るつもりだったと?」

「フランツ殿下はお認めになっていた」


(……ああ、)

 ああ。そういうことか。

 対応のための準備期間は充分にあったはずなのに、誰も何もしなかった。

 父親と婚約者のふたりは。アルニム伯爵家と王家は骨の髄まで彼女をしゃぶりつくすつもりだった。

 結婚後もアルニム領の魔獣平定に彼女を貸し出す約束にかわり、品格維持費の横領に手を染めたのか。


 推測が大きく違っているとも思えなかった。

(反吐がでる)

 もういっそ、本当に指を斬りおとして破談同意書に包み、送りつけてやろうか。


 無言に見下ろす先のアルニム伯はさすがに気まずいのか、俯き、それ以上のたわ言を吐くことはなかった。


 たっぷりの沈黙を経て、アーデルハイトが口を開く。

「もう一度だけ、ですか?」

 磨きぬかれたデザインに洗練され、整えられた室内へ。凛とした声が響いて落ちて広がる。

「っああ、あぁ、もう一度だけだ…っ」

 縋らんばかりの父親からの即答に、俺へと視線をよこす。

「マルクス」

「……仕方ありませんね」

 引きつけ、引き伸ばしたうえで。アルニム伯からの命乞いに応じてくださいと告げておいたのは俺だ。

「では…!」

「ええ。それでは、もう一勝負といきましょう」

「……は、……はっ?」


(なにを勘違いしてやがる)

 まさか無条件、誰かが自分のために奉仕してくれるとでも? まるで世界を救った勇者の如き驕り高ぶり。

 喜色を浮かべ、唾を飛ばした男の隣席へ。音を立てて腰かける。先ほどまでの広い遊技場とは違い、プライベートルームに近いこちらの椅子は背もたれ付きだ。背を預け、足を組んで見せる。


「アルニム伯。あなたが勝てばミュラー騎士団の力を持って魔獣の殲滅に力を貸しましょう」


 手痛い敗北を喫したばかりだ。警戒し、躊躇するのは当然。だが、ベッティングエリアに乗せられた条件はあまりにも光り輝いていた。


「みゅ、ミュラーだと?」

「申し上げたはずです。マルクス・ミュラー・マイヤーと。俺は名乗りましたよ」

 粉屋(ミュラー)の性を持つ者など帝国には掃いて捨てるほどいる。とまでは言わないが。もっともポピュラーな性であることはたしか。だがマイヤーがミュラー領内に権利を持つ子爵家であることは貴族年鑑を開けばすぐにわかることだし、少し調べればここ数十年途絶えていた家系であることもわかるはずだ。

 そして俺はマルクス・マイヤーではなく、マルクス・ミュラー・マイヤーと名乗っている。ミュラーの名を捨ててはいない。随時更新される貴族院設置の最新版に辺境領のページを開けば、真新しいインクに記入された箇所にも気づけるだろう。

 笑みを含んだ優しい声に、ブルクハルト様が茶々を入れる。ワインを掲げる。

「紹介した方がいいかな。それとも自己紹介をお願いしようか?」

「一言ですみますよ。ミュラー辺境領の次代に指名されました、マルクス・ミュラーです。どうぞ、お見知りおきを」



毎日こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ