悪役令嬢は夢を見ない【1】
美しいカーテシーを披露した悪役令嬢を連れ、第四王子と共に、マイヤー子爵として昼餐会の席をあとにする。
強行突破を迫られるような万が一の可能性を考え、俺の礼服と同梱していたアーデルハイトの軍服と戦闘用チョーカーに荒事としての出番がなかったのは幸いだ。
着替えは側妃様のご好意により用意されたフィッティングルームで行い、ドレス姿だったアーデルハイトを補助するためのメイドたちも待機済み。ドアを開けて出てくるのは貴族の令嬢、令息ではなく、軍人の三人組だった。
揃いの制服をまとった俺たちを代表し、アーデルハイトが側妃様に礼を述べる。フリードリヒの母親であり、国王陛下の妻でもあるエルザ様は進み出て、息子の上司である少女の手をとった。
「協力できて嬉しいわ。また何かあったら声をかけてちょうだいね」
社交辞令というには目が熱い。両手を握られたアーデルハイトは側妃様の熱意が不思議そうだが、俺にはわかった。うふふと笑う彼女の表情は仲人のそれ。恋の先導者、いや扇動者であるキューピット役を務めた者が浮かべる、そう、アレだ。先端がハートの形に尖った矢をつがえ、心臓に狙いを定めている狩人の挙動。俺に見合いの釣書を持ってくる上官がよくしていた。アーデルハイトの右手、薬指を飾る緑の装身具を満足そうに眺めている。
「お二人のお話もぜひ、詳しくお聞きしたいわ」
フリードリヒが独り言のように呟く。
「母は、縁談をまとめるのが趣味なんです」
「…そうか」
富国強兵政策だな。このご時勢、人口を増やすのは大切なことだな?
結婚願望のある男女に出会いの機会を提供するのは間違っていない。
「有益なご趣味だな」
助けられた身としてはそれ以上に言うべき言葉はなかった。
王宮の正門より、威風堂々の退室。
送迎用の馬車は4頭立ての豪華さだった。
跳ね橋をくぐった場所に、ため息をついたのは三人全員だった。
「ご苦労さまでした。マルクス大尉。フリードリヒ大尉。休日出勤となり、申し訳ありません」
「ご無事でなによりです」
「こちらこそ、王族の我がままに付きあわせることとなり、申し訳ありませんでした」
さすがに思うところはあったのだろう、アーデルハイトが苦笑する。
「迎えに来てくださり、助かりました」
元婚約者の母親など無関係もよいところ。嫌です、無理です、失礼します、の言葉に振り切ってしまえばいいのだが、残念ながら相手は王族だった。腐っても鯛である。
政治と軍事の関係は未だ文民統制の域にまでは到達していない。王政のもとに議会がある。民衆が民衆自身の意思で政治を選べるようになるまでには時間が必要だ。識字率は徐々に上昇しているとはいえ、まだ充分とはいいがたい。教育制度は帝国の隅々にまで行き届いては居ない。将来のための学を身につけたいと高い志を持つ親子がいれば、給食を食べるためだけに学校へ通うという家庭があるのも事実である。
貧民街の路上に暮らす子どもたちだっている。国策として保護には動いているけれども、教会が運営する孤児院を嫌がって逃げだしてしまうケースもある。軍隊並みに規律統制された聖職者たちの場所だからだ。ナイフとフォークの使い方を知らぬ幼子たちに食事のまえのお祈りを強制すれば反発は当然。子ども一人当たりに対して国費からの補助金も出ているため、さらってでも子どもを集めようとする地域もあり、倦厭されているのだと思う。神職といえども人間の組織だ。不正もあるだろう。
だがミヒャエル、モーリッツ、ペーターの三人は此処で救われた。社会のセーフティネットに掬いあげられたのだ。魔力素養を持った孤児たちは鑑定を行った神官に勧められて魔道士を目指した。
この国から、どころか。この大陸から魔獣を駆逐するという壮大な野望を語るなんとも頼もしい新人たちだ。10ヶ月にも及ぶ北方遠征の初陣を生き残り、ますます意気軒昂。自信もつけたようだ。
愛は大きな原動力だが、憎しみだって侮れない。人によっては愛よりも強いと言うだろう。人生とは幼い頃に受けた傷を癒し、失ったものを取り戻すための時間だと、したり顔に語る年寄りすらいる。
己の手に大型魔獣を吹き飛ばし、薙ぎ倒し、剣の一撃に急所を貫く手応えも悪くはないが、育成の成果が目に見えるのは悪くない。ここで大きな称賛を与えて若い連中を伸ばしてやりたかったというのもマルクスの本音だ。彼らの殺意を逆手に取ったやりがい搾取を目論むつもりはない。軍功は正当に評価されるべきだ。貴族や将軍クラスの軍人たちが見守るなか、勲章を与えてやりたかった。よくやった、よく頑張った、よくぞここまで来たと、血塗られた村からの生還者である彼らを褒め称えてやりたかった。
十五のガキが雪のなかに震えて飯を食い、凍える手に剣を握って戦ったんだぞ?
拍手と感謝の言葉ひとつぐらいは寄越せ。そして俺たちを率い、不退転の意思を示し続けた隊長を喝采しろ。
それを台無しにしたのが第五王子だ。フランツ・フォン・フォルクヴァルツ。
挙句、2週間の休暇どころか。
(昇給と昇格すら一時見直しだと?)
ふざけている。隊長の抗議により、それらは時期をずらして行われることになったようだが…。俺の上申がどこまでの効力を発揮できたのかはわからないが…。
王室から軍令部あての公式謝罪が行われれば、詰まったパイプも流れだすだろう。そう期待するしかない。
王妃はアルニム少佐について命令権を持つ将官ではないが、軍令部が帝国を守る組織である以上、王族の意向は無視できない。しかもアーデルハイトはアルニム伯爵令嬢でもあった。なかなかに複雑だ。生きている以上、しがらみは呼吸に絡みつく。
しかたがない。立場のない立場など存在せず、ノンブレスに生きられる人間はいないのだから。
うなずくことで送迎への謝意を受け取る。気が緩み、唇が弧を描くまま、軽い口調に隣の同僚へと声をかける。
「それでは、第四王子殿下。本日の採点は?」
「84点というところでしょうか」
「手厳しいですね」
向かいに座ったアーデルハイトはそう言うが、俺としてもそんなものだと思う。
「とにかく時間がかかりすぎました」
「ええ。十点のマイナスです」
「ああ、なんだ。減点方式なのか」
フランツ王子に反省や後悔の弁を期待していたわけではないが、理解させることすらあれほど困難だとは考えていなかった。彼らの一連の行動は、企みともいえない企み、つまり何も考えていませんでしたと認めているようなものだ。もちろん誰だって思考はしているだろう。それが役に立つものか単なる時間の無駄と切り捨てられてしまうものかは時と場合による。昔から言うな? 馬鹿の考え、休むに似たり。
時間はかかったが、面談分の価値はあった。フランツ王子を追いこみ、兵役の名目に戦場へと引きずりだす当初の予定は変わらない。しかし当人の人となりと周りの人間関係を知っているというのは有用だ。
あれほど深読みしていたこちらが馬鹿のようだし、むしろ気恥ずかしいほどだ。
「残り六点の内訳はなんですか?」
今後の参考までに、とでも言うべき口調にアーデルハイトがフリードリヒへと尋ねる。
「マルクス大尉。『アァ?』はいけません。マイナス二点です。チンピラのようでしたぞ? 人語を発してくだされ」
人差し指と中指の二本を立て、声音まで真似してきやがった。
チッと舌打ちそうになるのをこらえる。アーデルハイトが居なければ確実にやっている。軍隊暮らしが長くなればその程度、まだ上品の部類だ。付き合いの長いフリードリヒは俺がそんな行儀のよい人間ではないと知っているだろうに。
「あとの四点はなんだ。『下がれよ、元婚約者』か?」
「いいえ。あれは言っておくべきでした。正しい対応です。婚約者につきまとう元婚約者など、蹴り飛ばされても文句は言えません。舐められてもいけませんからな」
「まぁな」
そうか。人語ならば良かったのか。さすがは言葉で殴り合う魔窟だ。リングアウトは不戦敗。戦う意思は言語を操ることで示す必要があった。
テーブルをこえて飛びかかり、首後ろを両手に引き寄せながら膝に顎下をカチ上げてやっても良かったのだが。
一時的な爽快感があったとしても、それ以上の面倒ごとになるだけだ。やるなら合法的に、非合法のラインを跨ぐ。それに、俺の怒りの矛先は分散されていた。
「アーデルハイト隊長。…いえ、アルニム伯爵令嬢。王妃陛下相手といえども、あそこまで付き合わなくともよいのですよ?」
「私の母親は十年前に亡くなりました。落盤事故でした。私は王妃様に、突然いなくなった母を重ねていました。家族が欲しかったのだと思います。片思いをしていたのだと思います。決断が遅くなり、部隊を危険にさらしたことをお詫びいたします」
「謝って欲しいわけではありません。そのとき、その場での最善を尽くすだけです。ただ、私たちは貴女が身を削ることを望みません。それを、知っていただきたいのです」
フリードリヒの指摘に、アーデルハイトは目を伏せはしたが、俯きはしなかった。
二心のない紅茶色の瞳。小さな唇が紡ぐ真摯な反省の弁。
そっと手を差しのべる。軍服をまとってなお、薬指を飾る指輪。そして甘い香り。詰襟の間から、わずかにのぞく白い喉。急速、霞がかかったように思考がぼやける。
(かたおもい?)
誰が、誰に?
アーデルハイトが俺の手を握りかえした。励まされたと思ったのか。控えめに笑う。ぎこちない。愛らしい。少女のように丸い頬。
「……わかりました。俺があなたの母親になります」
「んグふっ!」
フリードリヒが吹く。口元を押さえ、堪えてはみたようだ。横向いてはくれたようだ。
アーデルハイトは小首を傾げた。もう一度、と乞われているようだ。繰り返す。
「アーデルハイト嬢…。俺があなたの、母親に、家族になります」
「困ります」
眉根を下げた困り顔。駄目だったらしい。どうしてだ。なにが駄目だ。わからない。これが欲しいんじゃなかったのか? 頭が回らず、喉が詰まる。
隣のフリードリヒは腹をおさえ、喉奥に小さなうめき声をあげながら、びっくんびっくんしている。
剣だこのできた小さな手のひらが、俺の手のひらを覆った。サイズが足りずに、二つを使って。
「マルクスは私の婚約者なので。夫婦になるので。母親では、だめです」
「─── そうでしたね!」
力強く同意する。
「でも、家族にはなってください」
「喜んで!」
ハレルヤ。
俺は発見した。世紀の大発見だ。天使は実在する。
たった今、俺の頭上に祝福のラッパを吹き鳴らしている!
「っふ、ふはっ。あっはっは」
声をあげ、遠慮なく笑う同僚の姿に少し冷静に戻った。
手を離し、クッション張りの席へと深くかけなおす。
「…………」
おとこはどうしてばかになるのか。
(おそらく永遠の謎だ)
きっと女も同じだろう。アーデルハイトがそうかは知らないけれども。有史以来の繰り返し。どうせ踏むのだ、同じ轍。
穏やかな雰囲気をまとったアーデルハイトがフリードリヒへと視線をやる。
「それがマイナス四点ですか」
わざとらしい咳払い。失礼、と短い謝罪。笑みの余韻を残したフリードリヒ小隊長は彼の隊長へ答えた。
「いいえ。二点です」
「最後の二点はなんだ」
もったいぶるなと促がす俺に、第四王子殿下は紳士らしく厳かな忠告をよこした。
「マルクス大尉。かような馬車席、男は婚約者の横に座るものですよ。同僚の隣に座ってはいけません」
とん、とん、とっ。自重を感じさせない足音。
俺のエスコートに馬車を降りたアーデルハイトは軍令部の敷地内に立った。帰還を果たした。
建物のなかへと足を踏みだしかけ。今気づいたとばかり、後ろを振り返って俺を見上げた。
「マルクス大尉。おかえりなさい」
「はい。戻りました」
冬の空は澄みわたっていた。
俺たちを迎えたのは魔道士部隊の待機組、シュタイン中尉とブレン少尉の二人だった。時刻は昼のティータイムを過ぎた頃合。
「隊長! お帰りなさい!」
「生還おめでとうございます」
表情を輝かせるブレンとは対照的に、シュタインの眼差しは静かなものだ。皮肉な口調は通常運行。だが机のうえ、ガッツポーズを決めたのをマルクスは見逃していない。
帰還の挨拶と勤労への労わりを口にするアーデルハイトもまた、軍言葉に戻っている。
「警らに散らばっている副長ら、総員に連絡をいれます」
「ああ、頼む」
心配をかけていた自覚はあるのだろう、あっさりとうなずく。
そして。
「ブレン少尉。グリフォン退治の手際は見事だったとの報告を受けている。よくやった」
「はいっ」
にこにこ。嬉しそうに笑う、年若い尉官の青白い顔をしばし見つめ。続けて口を開く。
「だが何故、第五王子殿下を害そうとした? 殺人は大罪だぞ?」
「そうですけど。人なんかあちこちでたくさん死んでるじゃないですか」
あまりの言い様に拳骨の一つもくれてやろうとして、立ち止まる。
(……うん?)
これ、やばくないか?
「そうだな。ブレン少尉。少し、落ち着いて、お話をしよう」
「? はい!」
尊敬する隊長にかまってもらえて嬉しいのだろうブレンは頭に花を咲かせながら彼女のあとを付いて行った。お茶とお菓子を一緒に楽しんだそうだ。
医局の、カウンセリング室で。
心的外傷後ストレス障害が濃厚との診断を受けた。
まだはっきりしたことは言えませんが…と前置きされながらだ。断言はされなかったそうだが。
「……シェルショック……?」
「深刻なPTSDの症状が?」
「だいぶ、参っているようだ」
きらきらとして見えたブレン少尉の瞳はギラギラと輝いていた。ふとした弾みに、瞳孔が縦に引き絞られていた。魔力を使いすぎても起こる現象ではあるけれども。耳鳴り、頭痛、めまい、震え、健忘症などなど。自覚があるだけでもいくつかの症状に該当。
今後はできるだけ隊長も交えつつ、同席しつつ、治療を受けていくそうだ。カウンセリングのコミュニケーションを続け、緩やかな寛解を目指してゆくそうだ。昨晩は論文を書いていて一睡もできなかったと笑っていた少尉は今は医局のベッドにすやすやと熟睡中である。
「カモミールとラベンダーのブレンドハーブティーが効いたのかもしれない」
寝かしておいてやろうと言うアーデルハイト隊長に同意しながら、俺たちも落ちこんだ。まったくもって気づかなかった。いつもどおりに見えていた。しかし隊長には別の見解があるようだった。
「そうか? 初陣で火に囲まれてべそをかいていた准尉だぞ? たった10ヶ月で大変な成長ぶりだが…やはり、無理はしていたのだと思う」
誰も彼もが、環境が促がすままのバケモノへと転化を遂げるわけではない。
「夜ごと、ひどい悪夢を見ているそうだ。私は夢を見ないので想像するしかないが、眠らない、眠れないのは精神と肉体双方への負担が大きいはずだ」