悪役令嬢は夢を見ない【2】
夕刻、定時前には俺が医局へとブレン少尉を迎えに行った。
「誰にでも起こりうることです」
引き取り確認のサインを行う俺に、白衣の軍医は真剣な面持ちで声をかけてくる。
「もちろんです。彼らを臆病者であるという冤罪に処刑するのは前時代の愚か者たちだけで充分でしょう」
「ええ、そのとおりです」
シェルショック。戦場ではストレスが兵士を衰弱させる。その神経症を根本的な人格の欠如、勇気の不足であると見做す根性論の悪癖は軍部では根強い。ナンセンスもよいところ。
一緒に昼飯を食った仲間がその夜、目の前で食い殺される食物連鎖を見せつけられて頭のネジが吹っ飛ぶのは正常な反応だし、そんな日常が続けば自制心や発語能力は低下する。慢性的な状態ともなれば視覚は狭まり、記憶が飛ぶ。判断力は著しく失われる。
「ご理解いただきありがとうございます」
角砂糖三つ分の安堵を滲ませる軍医に、ペンとバインダーを返す。
「軍医。夢を見ないという状態は一般的ですか」
「正常な睡眠がとれている人間はみな、一晩に3つから5つ程度の夢を見ています。夢を見ていないのではなく、覚えているか覚えていないかの違いに過ぎません。心配せずとも大丈夫です」
主語を使わない問いをどう思ったのか。軍医は優しく答えた。
「逆に、悪夢がなにかの警告というわけでもありません。誰かに見せられているのではなく、神からの啓示でもありません。過度に反応する必要はありません。夢は自分自身からでている内側からのサインです。上手に付き合っていきましょう。自身や仲間が傷つき倒れ、失われしまうことを恐れるのはすべての兵士に共通することです。恥じる必要はありません。夢は心理的、生理的な要因で内容を変えます。鼻がつまって息苦しい夜は溺れる夢を見たりもしますからね? むしろ自分が今、何を気にしているのか、体調に気になるところはないか、発見するための手がかりになります。睡眠は日中に得た膨大な量の情報を、強い感情を整理し、処理し、記憶するための大切な時間です」
精神論をふりかざす脳筋軍人たち、そしてすべては天使様の思し召しだと有神論をふりかざす神職者連中にも聞かせてやりたい台詞である。
「アルニム少佐からは部隊全員の健康診断依頼もありました。お気軽にお立ち寄りくださいね」
「……どうも。お気遣いありがとうございます」
仕切りカーテン前に一声をかけて、洗濯のし過ぎにか、ややくたった木綿生地を横へと引く。
そこには警戒心ゼロに寝返りをうち、上着を脱いだシャツの腹部をさらし、ぷうぷうと気持ち良さそうに眠る少尉がいた。
(……これだから)
シェルショックだなんて想像もしていなかった。むしろ異常に気づけた隊長を尊敬する。
「ブレン准尉。起きられるか?」
ため息を飲みこみ、穏やかに話しかけた。
定時退勤した翌日の俺たちを待ち受けていたのは麻袋につめこまれた書類の山だった。
何故か増えている。なかには王国語、共和国語など、他国語で書かれたものもあった。
「整理と翻訳を頼むと置いていかれました」
情報部経由らしい。保存状態、扱い方からすれば、おそらくどこかの現場で押収されたもの。
「どう考えたってうちの仕事じゃないだろ…」
「困ります、とは伝えたんですが。上官に確認しますとは答えたんですが。人手が足りないの一点張りで。魔道士なら読めるだろうと言われてしまって」
暴論である。
申し訳なさそうなデニス准尉もまた20代の前半と若い。不条理を感じても命令だ。お持ち帰りを提案するなんて選択肢はなかっただろう。さすがは情報部。俺や隊長、副長、小隊長に加え、毒舌のシュタイン中尉が不在の隙を狙いすまして来たらしい。
「わかった。ただでさえ予定外のルーチンワークのところへすまなかったな」
連絡係として待機していた部下が小さく肩を丸める様子をアーデルハイトが労わる。それぞれの日程が記入された壁の任務表へと視線をやる。本日魔道士部隊の待機所に登営するのは俺たち三人だけだ。
本来ならば部隊の再編にあてられる期間であり、魔道士部隊には休暇が与えられるはずだった。オスカー副長は非番だが、フリードリヒ小隊長は他四名の第二小隊隊員と警ら任務に街へと直行している。
アーデルハイトは愚痴の無駄口をたたくことなく、デニス准尉に並んで書類束の仕分けを始める。こうなれば俺とて従うしかない。情報部がよこしたものだ。放置もできない。せめて重ねて保管できる状態に分類しておかねば、鍵のかかるキャビネットにすら収まらない。
「あれ、アーデルハイト隊長。古代神聖語まで読めるんですか?」
「ああ。簡単な読み書き程度なら問題ない」
「さすがですね。あの、僕も読みたい本があるんです。帝国内でも古代神聖語が習えるところってあるんですか?」
古代神聖語は天使真教の総本山がある共和国内でも一般的ではない。神職者が使う宗教言語だ。帝国内で扱えるのは研究者と共和国から派遣された神官ぐらいだろう。天使真教の教理を理解しようとすれば必須言語であるというだけだ。
「私の場合は王子妃教育の一環だったからな。民間だと、よくわからない。むしろ魔道士塔の方が詳しい気もするが。参考にならなくてすまないな」
「っいえ、無神経なことを…」
でかい図体を丸め、癖のある茶の短髪をかいたデニス准尉がごにょごにょと言葉を濁す。
「座学の時間は嫌いじゃなかったぞ。そうだな、むしろ好きだった。たくさん本が読めたし、地図や地形を眺めるのも面白かった。知らないことを知るのは、楽しいな」
「わかります」
物柔らかな雰囲気をかもしだす二人の会話に聞き耳を立てていることなどおくびにも出さず。俺の手はちゃんと仕事をしている。長机に袋ごとのナンバーをふり、言語別、書類その他を分けてゆく。
「私に古代神聖語を教えてくれたのは、私とあまり年の変わらない神官だったんだ。軍付きになっているらしいから、会えれば家庭教師を斡旋してもらえないか尋ねてみようか?」
「あー…、神官様はちょっと…。魔塔出身というだけでもあまりいい顔をされませんからね」
「ユーモアもあって良い方だったぞ。王子妃から神職への転職も勧められたくらいだ」
「アーデルハイト隊長、その神官の名前は覚えていますか?」
口をさしはさむ。
「いや…。すまない。そういえば名前は知らない。顔は覚えている、が…。そうだな、成長していると思う。当時は私とあまり背の変わらない少年だったが…。今、会ってもわからないかもしれない。あの頃の関係者は全員、役割で呼び合っていた」
「そうだったんですね」
(暗号名で呼び合う教育団か)
第五王子妃の育成には当初から表向きには言えない後ろ暗い目的があったんですよ?と自ら吹聴せんばかりに怪しさが爆発している。仮想敵国を混乱させるための間諜、暗殺者を育成していると打ち明けられた方がしっくり来る。現実は下方修正だったわけだが。
「しかし軍付きの神官ともなれば少数ですからね。探せるかもしれません」
関係者が軍内部にいるなら手は伸ばしやすい。現役ならばなおさらだ。辿れるかもしれない。
「どう、だろう。向こうは望まないかもしれない。解散から一度も会っていないからな」
第五王子に代わって入隊したアーデルハイト・アルニムの所在、所属は隠されていなかった。会おうと思えば機会はいくらでもあった。自分は懐かしく思っているが、相手はもう会いたくないのかもしれない、と彼女は言いたげだ。否定は難しい。人体実験の加害者が被害者から距離をとりたがる理由ならば十やそこら、即座に思い浮かぶけれども。
「そういえば、魔塔への協力要請が出そうです」
「魔塔へ?」
デニス准尉からの話題転換に乗っかる。
「はい。街中での相次ぐキメラ目撃情報への対処と分析のためだそうです」
「学府としての協力要請か」
「そうみたいです。昨日会った知り合いがそうこぼしてました。資料だけくれればいいのに、と」
「その資料をわかりやすく作って欲しいんだろ。手に負えない分野だから外注に出したいんだろ。…まぁ魔塔の連中が現場に出たくない気持ちはわかる」
あぶないところへ近づいちゃいけません、なんて幼児でも知っている鉄則だ。
魔道士の全員が攻撃術式の合間をぬって剣をふるうような運動神経の持ち主ではない。奇襲に防御術式を展開させるような反射神経の持ち合わせはない。30秒も走れば顎が上がる。
(…いや、20秒だな)
100メートルを全力疾走に完走できるかどうか。軍令部が魔道士部隊を増やそうとしているのは薄々感じてはいるが…。
だが逆に。戦闘系魔道士である俺たちもまた、彼らのように帝国の技術の発展へ寄与することはできない。せめてあの頭脳集団が無駄に浪費されることがないようにと祈る。適材適所ということだ。
…ああ、なるほど。戦えるヤツが戦えばいい。隊長の言うとおりだな?
アーデルハイトは手を止め、考えているようだった。
「デニス准尉はキメラの姿を見たか?」
「直接にですか? いいえ。遭遇はまだありません。リュディガー少尉がそれらしき影を見た程度です。僕たちは表通りがメインの持ち場ですし…、それに、広い皇都にたった数人の魔道士を配置してもあまり意味がないのでは?」
「魔獣に対しての抑止力としてはそうかもしれないな」
「魔道士部隊の制服を着た人間が目立つ所に立っている事実に意味があるんだ」
不安や動揺からしでかす人間、そして良からぬことを企む人間への抑止力だ。
「どこから来て、どこへ隠れているんだろうな」
独り言のように、アーデルハイトが呟く。それは俺も考えていた。学園から出現した幻獣種に端を発した騒動だ。
音楽室のグランドピアノ下から突如グリフォンが湧いて出ただと?
寝言は寝て言え。
シルクハットの奥底から飛びだす鳩と同様、タネも仕掛けもあると考えるのは自然なことだ。
デニス准尉がためらいがちに口を開く。
「アーデルハイト隊長は意図的な『ゲート』の使用があるとお考えですか?」
そうでもなければ説明のつかない瞬間移動、空間離脱。
「影の見える距離まで近づいた貴官らが魔獣を取り逃がすという事態がおかしい」
「デニス准尉とリュディガー少尉のバディは斥候を得意としていますからね」
上官が部下を褒める機会を増やしてやるのも副官として重要な任務である。
「使いこなすのが難しい暗視鏡の術式を展開し、さらに互いの死角を補える技量は見事だ」
期待通りの結果に、デニス准尉がわかりやすく喜び、照れている。
「あ、あの。…ありがとうございます。ですがその時点では広域での探索術式の使用許可はおりていませんでしたので…、目視に頼らざるを得ませんでした。夕暮れの時間帯のうえ、人工的な遮蔽物が多すぎました」
「まぁな。使用許可がおりたところで冬だからな」
「ええ。周りに魔力の波動が多すぎます。今は目視と探索術式の併用も行っていますが、難しいですね。温度と明度確保ためにどこの店でも家庭でも、日中から魔石を使っていますから」
密林地帯も似たようなものではないかと指摘する者は魔道士ではない。ひとは誰しもその身に魔力を秘めていて、息をしながら動いている。生物の気配がうすい荒野でもない限り、幻獣種級の大容量魔力が出現でもしない限り判別は容易ではない。
「しかし『ゲート』の実用化に成功したという話はどこからも聞いたことがないな」
存在自体を認めない部署もある。たとえば教会。特に極端なのは天使真教の原理主義者たちだ。
あってはならないから、存在もしない。そういう理屈だ。どうしてそうなる。ならばどうして、奴らは片翼の天使の再臨を求めた?
「はい。すみません。不適切な発言でした」
「なにかが起こっているのはわかっている。このまま終息してくれるなら喜ばしいが、可能性は低い。貴重な意見をありがとう。デニス准尉。気づいたことがあれば、いつでも報告してくれ」
「はい。アーデルハイト隊長」
早番のデニス准尉は昼前には退勤した。つまりは俺とアーデルハイト令嬢の二人きりである。とは言え公私混同をするつもりはない。婚約者となったからこそ、勤務中は節度を守ると決めている。軍隊に職場婚は珍しくないが、夫婦ともなれば部隊は離される。周囲に支障のでる馴れ合いや甘えが起こる可能性は排除できない。同僚が働きづらさを感じるようでは駄目だからだ。小さな組織であればいざ知らず、帝国陸軍の規模であれば配置転換先には困らない。女性の側が辞めるケースも多い。
婚約届は昨日のうちに貴族院へ提出、そして職場の人事部へ報告している。子爵位を継いだこと、ミュラー伯爵位の次代に指名されたこともそうだ。俺がミュラーを継ぐことが決定した以上、遠くない未来に辞表が提出されることもまた決定した。マルクス・ミュラー大尉、アーデルハイト・アルニム少佐両名のものだ。俺は彼女を連れていく。
だがこれほどに混乱している時期だ。俺たちの人事は喫緊の課題とはならない。
ランチの同席程度は部下と上司の距離感だろう。壁時計を見て、話しかける。
「昼は外へ食べに出ますか?」
「軍食堂でいいだろう」
「金曜日は屋台が近くまで来るんですよ。ハムとチーズのホットサンドが美味いそうです。買ってから食堂に持ちこんでもいいです。試してみませんか?」
「……行ってみる」
「はい。昨晩はよく眠れましたか?」
「ああ。問題ない」
王国の国語辞書を閉じ、ペンを置いたアーデルハイトが下手くそな咳払いを行う。
「マルクス大尉。アルニム伯爵への、父への挨拶のことなんだが、今、いいだろうか」
「ええ。もちろんです」
まさか彼女から切りだしてくれるとは思わなかった。身体ごと向き合い、真摯に耳を傾ける。
「王妃様へ提出する婚約同意書への署名徴収も兼ねて。仕返しが、したい」
「アルニム伯爵の指を斬りおとしますか? それとも手首ごともっていきますか? どちらがお好みでしょうか?」
「……それは駄目だとフェルディナント殿下が仰っていただろう」
「ええ。無血解決への努力をはらうようにとのことでしたね。それが?」
輝かんばかりの笑顔を浮かべている自覚はある。
アーデルハイトは若干怯んだようだ。
「たしかに、最終的には強いパンチに黙らせるしかないだろうな、とは、考えていた。が、そこまで過激な真似は極力避けたい」
「そうですね」
極力、と来る。ゾクゾクする。選択肢からは排除はしない。それでこそアーデルハイト隊長だ。俺の隊長だ。デモデモダッテの思考回路とは清々しく無縁。なにしろ目的がはっきりしているのだ。決断が早い。
「言葉で説得することは不可能だと思う。昨晩一晩。よく眠って考えたが。私では拳の実力行使以外の方法が思い浮かばなかった。なのでマルクス、協力して欲しい」
「もちろんです。万事お任せください」
「……軽蔑はしないのか……?」
「軽蔑? どうしてです? アルニム伯爵はあなたと第五王子との婚約破棄に同意しないでしょう。自らの権益が失われると強い危機感を持っているのです。娘という武力を手放そうとはしないでしょう。つまりマイヤー子爵との婚約は支持しない。故に拳で黙らせるしかない。肉親の情に惑わされることのない、的確で迅速なご判断です。素晴らしいです」
むしろここで父親に対し、話せばわかるなどと言い出された方がよほど厄介だと考えていた本音は腹に隠す。
(それはそれで)
やりようはいくらでもあった。
貴族の結婚に家と家の関係は切り離せない。挨拶は必須だが…。
仮にミュラー伯爵がアルニム伯爵令嬢をさらったとしても、あの男にできるのはせいぜい抗議文の一つを貴族院に提出することぐらいだ。きゃんきゃん鳴いて騒ぎたてたところで、辺境領からは迷惑料の名目に金品が送られて終いだ。肝心の娘は返ってこない。アーデルハイトは帰らない。自領のみの力で複雑な国境線を支えるミュラー騎士団とのガチンコ勝負は軍部だって避けたがる。法の前には平等を謳いながら、ミュラーとアルニムにはそれほどの実力差がある。
「アルニム伯爵はギャンブルがお好きなようですね」
「ええ。とても。好きですが、強いわけではありません」
「では、明日の夜はカジノデートとしゃれこみませんか」
「奇襲ですか? 待ち伏せですか?」
「待ち伏せのうえでの奇襲を検討しています」
「……ブラックジャックで?」
「お嫌いですか?」
カードゲームが。ギャンブルが。俺のやり方が。
「いいえ。とても、頼もしいです」
紅茶の瞳にはわくわくとした光りさえ浮かんでいる。令嬢言葉に、婚約者を称える。
「ですが、一点、アーデルハイト嬢の力を借りたいところがあります」
「なんでしょうか」
信頼と期待。向けられたそれに胸が熱くなる。
「アルニム伯爵に提示してください。俺たちに勝てば、アルニム伯爵領の魔獣殲滅に力を貸すと。おびき出してください。その条件であれば伯爵は勝負のテーブルに乗ってくるでしょうから」
勝負のテーブルと書いてまな板の鯉と読む舞台へ、まずはご招待しようか。




