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ブラック・ロックシューター【1】

 

 アルニム伯爵家が保有する皇都のセカンドハウスへ足を踏み入れたのは午後になってからだ。

 髪に白いものが混じる執事に案内されたのはサロンだった。三人用のソファが1脚、向き合って一人掛けソファが2脚、間にローテーブルが1台というのは一般的な作りの応接室だ。重量感に満ちた長方形のテーブルと本革張りのアームチェアは黒を基調とし、シャンデリア、装飾窓と合わせてデザイン性が高い。けれどどこか雑然とした印象を受けるのは、室内に統一感がないためかもしれない。カネはかかっていそうだ、とも考えてしまうのは俺自身が身構えているからだろう。

 入り口からサロンまでの短い通路幅も広くゆとりを持っており、壁には華やかな絵画が飾られていた。 

 もっとも、俺も、後方を歩くオスカーも、歩行中に絵に見惚れて余所見をするほど芸術的なセンスに優れているわけではない。

 開いたドアに立ち上がり、俺たちを迎え入れてくれたのがアルニム伯爵令息だった。

「ようこそいらっしゃいました」

「はじめまして。お招きありがとうございます」

 右手を差しだしあった握手はおざなりではなく、互い、しっかりとした力が入ったものだった。俺が好感を持ったのは、アルニム令息の瞳と髪の色がアーデルハイト隊長と同じだったからだけではない。軍服を纏った俺たち二人を前にしても、まごつき、物怖じするような小胆さがなかったからだし、逆に、見下すような素振りもなかった。俺と同年齢、あるいは一つか二つ、年下だったか?

 なかなか落ち着いている。

 アルバン・アルニムは王立学園を卒業後、総務省に官吏として働きつつ、皇都と伯爵領を行き来している。未だ独身。本人が望んでいないとも、父親が縁談を選り好みするせいでまとまらないとも伝え聞く。

 オスカーも交えて簡単な自己紹介を行う。

「どうぞ、おかけになってください」

 軍帽と外套を執事に預け、手のひらに指し示されたのは奥のソファだった。オスカーと並んで座る。

「突然のお呼びたてにもかかわらず、ご訪問いただきありがとうございます」

「こちらこそ。私も、お会いしたいと考えておりました」

「ミュラー伯爵よりお手紙をいただきました。ご子息が妹との婚姻を望まれているとのことでしたが…、よろしいでしょうか?」

(父からの手紙?)

 内心の驚きなどおくびにも出さないが、マルクスとしては魔道士部隊の一員として軍服に正装し、上司の家を訪ねたつもりだ。だから副長でもあるオスカー曹長を伴った。

 かたい声と表情をしたアルバン令息はシンプルなスーツ姿で出迎えた。どうやら父親とは趣味が違うらしい。マルクスが祝賀会で見た、刺繍とフリルに飾り立てられたアルニム伯爵の燕尾よりもよほど好ましく映る。 

「ええ。本来であれば、私のほうからご挨拶に伺うべきでした。遅くなりまして申し訳ありません。本日、お父上はご在宅でしょうか? よろしければ、」

「マイアー子爵」


 ……俺はいつ子爵になったんだ?

 

 隣のオスカーも「おまえのことだよな?」という顔をしている。

 

 そうだな。俺も初耳だ。だがアルバン令息は俺を見て話しかけている。

 ……俺のことだな? 手紙にはそう書かれているんだな?


 父か、シュルツ執政官の仕業だろうか。ミュラーは他国との小競り合いや魔獣討伐、街道を脅かす野盗誅伐などの功績に伯爵位以外にもいくつかの爵位を賜っていたはず。管理していたはず。

 本家を継ぐ前に地歩を固めておけということか? 結婚の申込みに赴く際、平民としてなめられないようにという親心か?


 このタイミングで届いていたということは、俺が辺境領に到着し、爵位継承を宣言した日の夜にはもうアルバン令息への手紙を携えた使者が出立していたということだ。ミュラーの伝令兵と早馬の仕組みならば可能だろう。なにしろ常駐戦場を謳う戦闘民族である。薫陶は一兵卒に至るまで行き渡っているし、装備もよい。

 通常、馬が一日に移動できる距離は常足なみあしに60キロ程度だ。とことこと散歩するような速度だが、何日も継続して長距離の移動が可能となる。全速力の襲歩しゅうほは時速にして60キロから70キロのスピードが出せるが、走り続けられるのはせいぜい5分程度。しかもこれをやらせれば馬は一日疲れきってしまう。移動距離としては4、5キロとむしろ短くなる。

 だがミュラーの軍馬は違うのだ。幻獣種スレイプニールとの交配から始まった直系の魔馬は、従来種と比較してロバと赤兎馬並みに体躯の差があった。初代を乗りこなせたのはマーロウのみ。小癪な人間を振り落とそうと跳ねる巨大な馬を、父は、己の四肢に屈服させやがった。膝、内腿に裸馬の馬体を締め付け、大剣を振り回す握力に首根っこを掴んだ。細身に見えて、どこにあれほどの怪力を秘めているのか。息子の目から見ても腹がたつほど見事な手並みだった。領主を認めた魔馬はミュラーでも選りすぐりの牝馬たちによるハーレムを受け入れ、二代目、三代目と系譜を繋ぎ、順次配備が急がれている。

 むろん速度や距離は馬だけによって決まるものではない。

 人を乗せているか、荷を運んでいるか。道の険しさ、天候によっても変動する。

 もっとも、他所よその伯爵家への使者だ。騎乗するのは外交にも通じた精鋭兵。父の直下に違いない。たった一枚の書面を懐へと忍ばせ、可能な限りに自らを軽量化。最少人数にて出立、襲いかかる敵は容赦なく排除し、駈け続けるだろう。他ならぬ彼らの領主の命なのだから。

 動くならば一気呵成だ。戦争の準備をしろとけしかけたのは俺自身だった。

 二十五にもなった息子に代わって婚姻の申込みなどと勝手な真似を。と、思春期のように反発する気持ちはあるが、都合がよいのも事実。

「妹は第五王子殿下と婚約中です」

「もうすぐ解消されますね」

 第五王子とアーデルハイト隊長の婚約はまだ破棄されていない。あの王子がどう考えているのは知らないが、言葉だけ成立するものではなかった。

 ミュラー辺境伯からの事前の連絡がなければ、まだ、マルクスから婚姻を申し出ることはできなかった。


「父は妹の婚約破棄を認めておりません」


「お父上に認めてもらう必要がありますか?」


 隊長はもう18歳だ。成人した。もはや法的にも親権者の保護下にはいない。

 建前にしろ、結婚は本人の意思だ。強制されるものではない。そして彼女自身には、国を捨ててでも生きていける能力があった。おそろしく偏り…尖ったものではあるが。一筋の光りさえあればいい。誰もが彼女の価値に気づく。

 フリードリヒが語ったように、テロリストを集めた監獄に放りこまれれば看守ごとまとめて制圧して君臨するような女王様だ。迫り来るスタンピートの牙を受けとめ、流し、迷わず、粘り強く。兵の離散による戦線の崩壊という最悪を防いだ。奔流となって街へと流れ込もうとする魔獣の群れへと立ち塞がった。ミヒャエルたちの村を襲った悲劇が再び起こらぬように。そうするしかないから、そうする。

 それでいて私服に街へと出れば、買い物一つに戸惑い、飲食店にすら入れないような物慣れない少女でもある。


 婚約破棄を機に、国外への移住も考えていたというアーデルハイトの告白がつい先ほどの出来事のように思い出せる。


 本当に、打ち明けてくれてよかった。

(独りでなぞ行かせるものか)

 悪い大人に食い物にされる想像しか浮かばない。あるいはそうであって欲しいと、酷いことを願ってしまう。

 俺以外の誰かが彼女の隣に立って彼女の手を握り、彼女とともに歩く未来は、俺にとって悪夢でしかない。俺に許されないなら、他の誰にも許さないで欲しい。離れた彼女の幸せを祈れるほど俺の度量は広くない。一度は諦めた。二度目。手放す覚悟はもうできない。

 だから追う。


 だからさっさと別れてくれ。

 婚約破棄の撤回なんて、無駄で、馬鹿な真似を始めようとしてくれるなよ。


 そもそもあの父親に決定権などありはしない。

「王族からの引きとめがありましたか? それとも、アルニム伯爵が縋っておられるので?」

「次代の辺境伯が傷物となった妹を望まれるのは何故でしょうか。貴方であれば、美女だろうが美少女だろうが、喜んで手をとるでしょうに」

 目の前の男は俺を警戒している。美少女の一言に、すさまじく不名誉なロリコン疑惑を挟んできた。アルニム伯爵が縋っている、の言葉が気にさわったのか? どこに怒りのポイントがあるのかを見定めるのは重要だ。オスカーの肩がぴくりと動いた。口角が不自然に持ち上がっている。

 こいつ、笑ってやがるな。

(まぁな、隊長の外見はアレだからな)

 俺としては肩をすくめたい。

 実年齢に問題はない。むしろ十八にはあるまじき胆力。忍耐力。過酷な状況下にも思考を投げ出さず、他者を慮れる誠実さ。惚れるには充分だ。

「アーデルハイト令嬢でなければ、誰に微笑まれても意味などありませんよ。傷物となったのはむしろ第五王子の側でしょう」

 婚約者のスカートに隠れて兵役逃れを企んだ王子様は、幼かった婚約者が婚姻という契約の履行を求められる大人になったとたん放り出したわけだ。そうして次のスカートを被るわけだ。

(失笑で済めばいいな?)

「私は彼女を尊敬しています。婚約解消も成立していないうちに何を言っていると思われているでしょう。ですが、誰にも奪われたくありません。ならば誰よりも早く申し込むべきだと判断しました」

「まるで貴方自身が妹を望んでいるように聞こえますね」


 俺自身の望み。

 それは、反転。


「父が手紙になんと書いたのは知りません。ですが、仰るとおり、私が望んだことです。アーデルハイト嬢とともにこの先の一生を歩んでいきたいのです」

 ミュラー騎士団の勇名は、新設の魔道士部隊など比較にならないほど古く、強く、帝国全土に鳴り響いている。

 そちらからの勧誘と受け取ったのか?

 たしかにラブコールはあった。しかし貴族の婚姻が家と家との契約でしかなかったのは過去のことだ。愛だってあった方がいいよね?というのが今の十代では主流だ。婚活の市場に名乗りを上げる以上、時流に、相手に合わせた認識のアップデートは必須だろう。

「妹が受けた王子妃教育は形だけのものです。あの子は、戦うことしか知りません。伯爵夫人の役割など、ほとんど理解していないでしょう」

「なんの問題が? 私自身、庶出です。嫡出ではありません。十年以上家を離れていました。役割がまわってきただけの身です。必要が求めるならば、二人で成長していきたいと考えています」

 状況への適応能力は知能指数に比例する。問題はないはずだ。

「それでは新しい環境に馴染むにも時間がかかるでしょう。失礼ながら、“マルクス大尉”としての申込みであった方がまだ信じられました。……ご自身が落ち着いてから、ゆっくりと考えてみてはいかがです。貴方は今、義憤にかられているように見えます」

 

(義憤ときたか)

 どろりと腹からあふれ、口からこぼれそうな欲を見せてやれないのは残念だ。


「貴女はなにもしなくてもよい、そこにいてくれればよい、と。婚姻を申しこむ無責任な男の言葉が信じられますか?」


 否定に傾きかけた天秤を、無理やり引き戻す。


「アルニム令息。俺はねぇ、彼女に剣と魔石は持たせても、モップやフライパンを握らせるつもりは一切ないんですよ」

「まさか、そのために伯爵位を継ぐと?」

「まさか」

 見開かれた目付きがまったくもって隊長に似ている。上向いた気分に笑いかける。

「この国の王子から婚約者を奪い、誰にも奪われないよう囲うためです」

「……ミュラー領に住む方々が納得するとも思えません」

 生真面目、横に振られた黒髪の髪質も似ているのだろう。ふれたのは一度だけ。告白に、抱きしめあった夜にだけ。

「残念ながら。現時点。俺以上にうまくやれる人間がいません。代わりのいない仕事はありませんが、父が偉大すぎます」

 幸い、兄の頭の中身は妹に似て聡明らしい。沈黙を守り、脳内シナプスの回転をあげようと必死だ。


 言葉が通じるのは喜ばしい限りである。


「しかし王妃様といい。アルニム伯爵といい。本人たちの意思をないがしろにしすぎでは? 彼らももう十八です。そろそろ自立を認めてやるべきしょうに」

「いつまでも子どもだと思っているのでしょう。……妹は、貴方との婚姻に同意しているということでしょうか」

「自分も好ましく思っている、との返答をいただきました。同じ墓に入ろうと約束してきました」

「─── …あの子が?」

「令息。俺には一つ、不思議だったことがあるのです」


 子どもだと思っているのなら。強弁するのなら。

 なおさら。


「アルニム伯爵はなぜ、娘にああも冷たく当たるのでしょうか」

「妹が賢くて可愛いからですよ」

「なるほど」

 力強く肯いた。

 

 理にかなった正論である。


「……いや。いやいやいや? なんでそれで納得してんだ?」

 ついてこれないのは。納得がいっていないのはうちの副長ただ一人だった。


「隊長は賢い。かわいい。無能に妬まれるほどにな。なにが不思議だ?」


「……は、ははははっ」

 こらえきれないとばかり。アルバンがふきだした。ひとしきり笑って笑って。目尻に涙すらもを滲ませていた。

「っはー…失礼。これで納得されたのはあなたが初めてですよ、マイアー子爵」

 口ぶり、姿勢がくだけたものに変わる。合わせる。

「俺のことはどうぞ、マルクスと」

「では、私のことはアルバンと」

義兄あにとお呼びしても?」

「もちろんです。妹をよろしくお願いします。ああ、ギュンター、茶の用意を」

 壁際に立ち、横向いて肩をふるわせていた執事に指示を投げる

「いやいやいや? なんでそれで分かり合ってんだ?」

「オスカー、おまえこそ何を言っている。俺たちの隊長は勇敢で可憐で、頭脳明晰、果断な行動力を持った天才だろ?」

「そうだけどそうじゃねぇんだわ」

 音を立てずに茶器を用意しながら、ギュンターと呼ばれた初老の執事が微笑んでいる。俺に対し、一気に好意的な態度になっているのがわかる。


いいねやブックマークなど、評価や反応が本当に嬉しいです。書く気力になります。もっとください(真顔)。こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。

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