ブラック・ロックシューター【2】
向かいに座った令息に続きを促がされたオスカーが指を組んで肩を前にだす。
「あー…。娘の器量がよくて、頭がよかったら、伸ばしてやろうとするもんでは?」
返ったのは小首を傾げた微笑だった。
「よい父親ですね」
俺も笑う。
「おまえならそうするんだろうな。いいところの学校へ入学させてやるために必死に働いて、少しでも条件のいい配偶者を探してやろうとするんだろ。結果を出せば褒めてやる。一緒に笑って、躓けば励まし、慰める。涙には背中をさすって付き合い、自分の足で飛び出してゆく娘を見送ってやるんだろう。寂しさを隠しながらな」
「いや。娘だぞ? あたりまえだろうが。……そりゃあ腹がたつもこともある。生意気だわ、弁はたつわ。思い通りにはならねぇよ。仕事で家をあけている分、妻には苦労をかけている。あいつらの結婚だって、口をはさみたいのを我慢してる。なんだよ、もっと苦労が少ない男を選べってな、余計な心配をしちまうもんだ」
そこまでを口にした善良なオスカー副長はハッとしたようだ。あえて砕けた口調は腹をわったというパフォーマンスもあっただろう。しかし、もしかして、と飲みこんだ言葉とともに正面へと向き直る表情は真摯だった。
「……伯爵と、隊長は、」
「ああ、血はつながっていますよ。実子です。どうぞ。冷めないうちに。私も、あの子も、間違いなく。父子関係について鑑定済みです」
鑑定を行っている、必要だったという事実がまず衝撃なんだろう。
さらり、なんでもないことのように勧められた紅茶に手を伸ばすことなく、父親の肩書きを持つ男が絶句している。
「なんだ。いまさら。おまえだって、あの男に父親としての役割を期待するのは危険だと言っていただろう?」
遠慮などなく。手袋を脱いだ俺はソーサーを片手、ティーカップの取っ手に指を絡めた。
自らの腹から子を産む女と違い、男は「あなたの子よ」と言われれば信じるしかない一面がある。
家格のつりあい、領地への利益誘導のみを追求した早婚がなにを生み出すのかという壮大な社会実験の結果でもあった。マルクスとしてはその程度の信頼関係もない相手と結婚するなよと言いたいが、貴族社会の業は深い。大っぴらに推奨されるわけではないが、自身のような庶出が稀有というわけでもない。
しかし隊長と、この兄を見る限り、母親はしっかりしていそうなものだ。幼少期の教育の賜物だろう。
アルニム伯爵は入り婿だ。当時はまだ女性が爵位を持つことに対する風当たりが強かった。隊長の祖父母は娘を守ってくれる相手をあてがったつもりなのかもしれない。知性は顔立ちに現れると言うが、若かりし頃のアルニム伯爵はそこそこの男ぶりだった。傲慢さを男らしさと勘違いさせ、野心を向上心と錯覚させることは可能だったかもしれない。王立学園に通っていた頃から、自分はこんなところで燻っていてよい人間ではないと謎の自信に満ち溢れていたような男だ。
隊長の母親がなぜこんな男を選んだのかは疑問だが、誰しも若さゆえの過ちはある。そして子が生まれれば夫も変わってくれるかもしれないというか細い願望に縋ることもあるだろう。挙句、妄想じみた仮説を立証する為にガキをこさえてしまう。
魔道士の一員としてのマルクスは、自らが立てた仮説の実証実験は当然やるべきだと思うし、その探究心は称賛したい。
しかし抵抗できない無力な赤子を巻きこむのはいかがなものか。大人の責任として、せめて最低限の安全地帯確保、および勝率は最大限にあげてから挑むべきではなかったか…。
「部下の功績に嫉妬する上官なら、散々見てきたろ?」
マウントをとってくる奴は、とってくる奴自身に問題があるのだ。
「そりゃあ…。まぁな…」
「自分よりも優れた者を認めない。部下であろうが。娘であろうが。己の所有物であろうともな。妬み嫉みで腹のなかはあふれかえっている。度量も器量もないんだ。能力を伸ばしてやろうなんざ考えもしないだろうよ」
ミュラーの跡取りとして動き出せば、望む情報は向こうからいくらでもやってきた。シュタインの言うとおりだ。父はアルニム伯爵家の動きを注視していた。当初は俺を組みこんだ魔道士部隊が創設に及ぶまでを。そして矛先は部隊長であるアーデルハイトに移った。家族構成に至るまでだ。俺の気持ちに気づいていたかどうかは知らないし、知りたくもないが。
調査を進めるうち、内陸部であるアルニム領に突如現れた大型の魔獣という存在に注目を始めたのはミュラーだからとしか言い様がなかった。
どこから手に入れたものやら、あちら領地の等高線地形図までもが保有済み。広大な森林地帯を有するミュラー領とは違う。アルニム領の地理、生態系からも繁殖による出現ではないことは明らかだった。つまりは『ゲート』だ。定理も法則も未だ謎とされるそれが出現したのだ。それも、一度ではない。
権力が蜜の味と称される意味はわかった。わかってしまった。領主執務室に腰かけているだけで、集まってくる情報の質も量も段違いだった。自ら靴底をすり減らし、言葉を尽くし、交渉する必要もない。
たった一日。滞在した次期当主の前へ。シュルツが、文官たちが、いともたやすく積み上げたのはミュラー騎士団によって蓄積され、ミュラー伯爵家によって精査された記録だった。領主とは領袖だ。一族郎党を率い、手足のように自在に動かす。
執事の手によってテーブルへ並べられたのはサンドイッチとマフィンの軽食だった。侍女の姿がないのは、義兄となる男が信じるに足る味方の少なさ故か。
「ほとんどの人間はそのような反応ですよ、オスカー曹長殿。父親が娘を妬みなどするはずがない。あなたがしっかり育つように厳しくしたのだと、むしろ感謝すべきだとあの子に直接告げる者すらいました。まるで善意の第三者のような顔をしてね」
「ああ、反吐がでる」
思わずと言葉になった。
腫れ物にさわるような扱いも時と場合によっては不愉快だが…親に売られた子にそれを言える神経が信じられない。
「まったくです。…ですから、理由にもならない理由を、初対面の貴方が信じたことがむしろ意外と申しましょうか…」
オスカーの反応こそが正常なのだとフォローをよこす。
アルバンが配慮を見せるのは、同じ序列三位の伯爵家といえども家格に違いがあるからだ。歴史、人口、収入、領地の広さ。あとは名誉も重要か。マーロウを当主に据えてこちら、飛ぶ鳥を落とす勢いを持つミュラーに及ぶ伯爵家などなかった。自然災害、そして魔獣のスタンピート被害よりミュラー辺境領は急速に回復し、持ち直すどころか発展を遂げている。
あるいは俺個人が子爵位を持っていることも関係しているのかもしれない。隔意を持っていた当初は、だからこそ警戒していたのだろう。アルニム家の立場では、王家はもちろん、ミュラーからの婚姻申込みも、断るには勇気と覚悟が必需品だ。
乱暴な言葉遣いが出てしまったことを反省する。こちらが側が礼儀を尽くすべきだった。気を引き締めなおす。
「一方的な婚約破棄の場面で、アーデルハイト嬢の環境を甘やかして育てたと言い放った父親でしょう」
─── なに言ってんだこいつ。
あの場でそう感じたのは俺だけではない。
隣に座る副長をはじめとして、戦線を共にした戦友たちの総意である。
「娘を庇わず、生贄と差しだしたことを恥じてもいない。むしろこき下ろす。伯爵の人間性こそ疑うべきでしょう?」
まさしく礼儀正しく。笑顔に同意を求める。
「認知の歪みがひでぇな」
誰に言うでもなくオスカーもこぼし、額をおさえた。腹の底からのため息をついた。
「……それで、嬢ちゃんを逃がして、あんたらはやっていけんのかい」
「やるしかありません。個人の良心と義務感、戦闘能力に頼り切った領地経営などリスクが高すぎます」
「ですが、ご当主本人はそうとは考えておられないようだ」
行かないでくれと縋られたところで、マルクスはアーデルハイトをさらってゆく。そのつもりだ。
現在のマルクスたちは軍人で、主な任務は魔獣退治だ。その過程に助けられる人間がいればもちろん助けるし、殺せるのだから人殺しだってする。アーデルハイトをはじめとした少年兵らはまだ、同種であるヒトを殺したことはないけれども。それはオスカーとマルクスが決めて、実行しているルールに過ぎない。命令権を持っているのは軍であり、つまるところ国家だ。他国との戦争、あるいは内乱に投入されれば否も応もなく、手を汚すことだろう。
マルクスがはじめて殺した現生人類、ホモ・サピエンスは野盗だった。魔獣の襲撃に火事場泥棒の如く便乗する者たちだった。皇都から離れた、官憲や軍の目が届きにくい僻遠の地で小さな集落を狙った。なんなら魔獣が村を襲うよう誘導さえする連中だった。戦って負傷した男衆を殺してまわった。その妻と娘を犯し、赤子と老人の命乞いに尻をふらせ、村の財産全てを差しださせる外道たちだった。マルクスは呵責の一欠けらもなく、シュタインと共に十人と少しの集団を殲滅した。同じ人の形をしたものの喉を裂いても、カチ割った頭から赤い血が流れても、心はまるで痛まなかった。理不尽な暴力に対抗する暴力、これこそが軍人としての務めなのだとさえ思った。父を、母を、姉を殺され、涙に応報を望む少年には剣を貸してやった。止めを譲ってやった。善行ではないかもしれないが、必要悪だ。7年を経た今でもそう思っている。
突き詰めればピーア・ベッカー男爵令嬢の従軍もそうだ。学徒動員の是非はマルクスが如き一兵卒が口をはさむ余地もない国家の方針だった。一万人に一人と統計される治癒師、癒し手は貴重だが、だからと言って戦利が蔑ろにされて良い理由にはならない。
ノブレス・オブリージュという綺麗ごとに飾られて、アーデルハイトがやっていたのは里帰りついでのお掃除だった。自発的な人助けというだけだ。もうやりません、ご自身でどうぞと箒を手渡され、背を向けられても、引きとめる手段をアルニム領の人々は持っていない。
彼女を縛っていた乳母はもういない。その家族たちも。あるのは墓だけだ。伯爵夫人もまた、アルニムの地に眠っている。冷たく、物言わぬ十字架を守って戦って、抱きしめてもくれない母の墓誌のもとで膝を抱え、眠る彼女を見るのはいやだ。
(俺が、いやだ)
想像だけで、胸が引き絞られるように痛む。報告書の文字にすら目頭が熱くなった。現実に目にしてしまえば、俺はきっと泣いてしまう。彼女に縋り、抱きしめ、抱き上げ、さらって、何処へなりとも。
……幸い、アーデルハイト自身も転職について、移住について考え始めている。自由という甘美の実感はまだ先だろうが。何処へ行こうが逃がすつもりはないけれど。俺を連れて行ってくれればいい。マルクス、あそこへ行きたいと。言ってくれればいい。頼ってくれればいい。万難を排し、俺がすべての準備を整えよう。
「嬢ちゃんのことだ。話の通じない相手だろうが…、警告は続けていたはずだ」
低くすり潰すようなオスカーの台詞を皮切り、飲み干したカップをソーサーへと戻した。
アルニム伯爵家の騎士団には殲滅力がない。補うために雇いいれたはずの傭兵団もまた劣化は甚だしく。森をでて領地を襲う魔獣を機動防御に追い払うばかり。もっとも、戦術としてそれは間違いではない。隣領からの救援が、王都からの援軍が期待できるならば。時間を稼ぎ、敵の本拠地を探ることに注力すればいい。叩くべき場所がわかれば、あとは火力の勝負だ。心強い援兵たちと戦列を並べればいい。
アルニム騎士団は奇襲や後方かく乱、偵察に適した軽騎兵で構成されている。重騎兵も、魔道士もいない。装備を買い入れるための予算も人件費も減額される一方。代わり、ここ数年の領地の狩りを担っていたのがアーデルハイトだった。
現役、しかもこれから円熟期を迎えるであろう魔道士部隊の隊長。
アーデルハイトには、それができた。彼女がいれば、装備と人員が不足し、遅延防御すらままならない領地ですらも守ることができた。
個人の良心と義務感、戦闘能力によって。
「やるしかない、とは? どのような手段をお考えですか?」
少々意地悪く問うた。
アルバン・アルニムも、また。俺の目から見ればアーデルハイトの背を魔獣に向かって突き飛ばした加害者の一人だ。
意外だったのは、アルバンがその答えを持っていたことだ。
「私が当主になります」
「ええ。何年、あるは何十年後にはね?」
「ミュラー辺境伯は私がアルニム伯爵位を奪取するための力添えを約束くださいました」
「初耳です」
冷めた目付きになった自覚はある。あの野郎、勝手になにを約束してやがると内心に父親を罵ったことも認めよう。しかし。
「妹が摂取していたのは、ビタミン剤だったそうですね」
「……はっ」
俺の喉を突いてでたのは引き攣ったような嘲笑で、反対に、オスカーは息を詰まらせた。
「これも、教えていただきました。知らなければ、私はずっと、父に従い続けていたでしょう。魔石の拒絶反応を抑える薬だと…飲まなければ、…飲むのをやめれば魔力暴走によって死ぬ、と…あの子を脅していた薬は、ただの…っ!」
グッと握った拳には後悔があった。悲痛な声には死児の齢を数える嘆きがあった。そして頭を上げて、見開かれた紅茶色の瞳には覚悟があった。
「俺の妹は、あんな父親に浪費されていい子じゃない」
「……同感ですよ、義兄上」
アルニム伯爵は、肩をつかんだ娘の魔道刃に手首から先を切り落とされる自分を想像しなかったのかという疑いはあの夜から消えなかった。
アーデルハイトの戦闘能力を知らなかったと言うならば、危険な任務に小娘一人を送りだしはすまい。領地の防衛費を削ったりはすまい。
強いから。賢いから。知っていたから。過酷な義務を負わせたのだ。
親だから。家族だから。反撃されないと甘く見ていただけだろうと考え。それでも何かが引っかかっていた。
陸軍魔道士部隊の待機所。他の決裁待ち書類に埋もれるように、マルクスの執務机に置かれていたアイズオンリーの朱文字が躍る機密公文書の中身は、アーデルハイトが定期摂取していた薬物の検査結果だった。ここに来る前に読んだ。
彼女の成長が鈍化している原因は魔力の使いすぎではないのかと危ぶみ、転属させられた軍医が完成させたものだ。冬季遠征のさなか。腸を零しながらマルクスが持ち帰った薬の瓶。一部を預けた。
ひどく危険な橋も渡っただろうが…医師として、一人の人間として、やり遂げてくれたらしい。
結果は、嗤ってしまうほどにお粗末だった。そう。アルバンの言うとおり。ただのビタミン剤だ。そこらの薬局でも、なんなら少し品揃えが豊富な雑貨屋にも買えるシロモノだった。
(そんなもので)
そんなもので彼女を縛り、死に場所を定めるような決意を固めさせたのか。
目が眩むような怒り。だが、誰に向かえばいいのはわからなかった。
アーデルハイトは辛いとは言わなかったし、助けを求めることもなかった。薬が切れたある日突然、自分が動けなくなったときに困るだろうと副官である俺と、副長であるオスカーに打ち明けてくれたのだ。摂取をやめれば死ぬクスリをやらの事情を。補給が途絶えなければ、きっと、誰にも言うことはなかったはずだ。独りきり、淡々と抱え続けたはずだ。ああ、畜生!
真意はオスカーにのみ告げて、俺は単騎に馬を駆った。輜重隊を迎えに奔った。薬が手に入らなければ彼女は死ぬ。退くという選択肢はなかった。
だが。
脅していたのは、父親だったのか。
アーデルハイト自身が認識していたのが断片的な情報であるうえ、切迫した戦況下では何一つ調べることはできなかった。
おじいちゃん先生とやらも。研究所とやらも。皇都から遠く離れた場所には雲をつかむような話だった。教官とやらの特徴を聞いた。軍事関係者であるそいつだけは探すことができそうだった。
薬を飲むのを止めていた一時期にも、恐れたようにアーデルハイトの心臓が止まることはなかった。紅茶色の瞳が瞬くだけで。彼女が生きているだけでいいと思えたが、魔力はむしろ安定していた。身体は成長を始めていた。抑制剤の一種なのかと俺たちは疑った。それでも、王子妃となれば。誰かが─── フランツ殿下が彼女を守ってくれるのではないかと。救ってくれるのではないかと。愚かにも、俺は彼女を手放そうとした。
隣の副長からは、立ちのぼる殺意の色が見えるようだ。俺も同じに違いない。
いいねやブックマークなど、評価や反応が本当に嬉しいです。書く気力になります。もっとください(真顔)。こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。




