キャッチミー・イフ・ユー・キャン【4】
シュタイン・シュミットはマルクス・ミュラーの幼馴染である。
ミュラー騎士団を支える魔道士として揺るぎない地位を築く祖父と父を持つ。15の年にミュラー領を飛びだした同い年の友人を追って皇都の魔道士塔へと入った。まぁ、仲は良かった方だと思う。家を出るとマルクス本人が伝えに来てくれたのはシュタインだけだったし、玄関口にその背を見送って、落ち着いた頃には手紙の一つも出してやろう、困っていることがあるなら手を貸してやろうと考えていた程度には。
だが両親はシュタインに鞄を持たせ、早く追えと玄関先へ押し出した。
なにがなんだかわからずに蹈鞴を踏む息子にむかって、父は言った。
「必ずお守りしろ」
フードを着せてくれた母は涙ぐみながら肯いた。
「身体に気をつけて」
呆然と立ち尽くしたシュタインを、有無を言わせず軍馬に乗せて辻馬車乗り場まで送ったのは祖父だ。当座の生活資金と連絡用の魔石加工品が入った袋を手渡された。
「シュタイン。我々一族は領主様に返しきれぬ恩がある。シュミット家の一員として、おまえも義務を果たせ」
……は?
両肩をつかみながらの、あまりにも突然で一方的な宣告を残し、祖父はすぐさまその場から離れた。ほとんど入れ違いにやって来たマルクスに見つからぬようにだろう、認識阻害の術式をかけた上でだ。
その夜の感想は?と今問われても、シュタインは『は』と『?』しか出てこない。
夕闇が迫る辻馬車の乗り場でシュタインの姿を見つけたマルクスは当然驚く。
「僕も行きます」
「……ああ」
驚いてはいたが、拒絶はされなかった。良かった。「断られました」と戻ったところで、シュタインの家がシュタインのためにドアを開けることはないのだと、恐ろしいほど急速に理解させられていたからだ。
この日、最後の辻馬車は隣領へ向かうものだった。それしかなかった。かくして選択の余地もなく、15歳の少年二人の旅は始まった。
そう、旅。馬車に揺られながら、うすい眠気に揺られながら。最初の衝撃が薄れたシュタインは長期旅行くらいの気分になっていた。だから行ってみたい所として魔道士塔をあげた。出奔した友人にも特に目的はなかったらしく、皇都を目指した。
守ってやらなければならない、というシュタインの気負いは一週間もしないうちにしぼんでいた。
物心をついた頃には母親であるマリーと二人、年に二度は住処を変える生活をしていたというマルクスは同い年とは思えないほど旅慣れていたからだ。
……それは、つまり逃避行では……?
とても不吉な予感が確信に代わるまで時間はかからない。素泊まりで借りる部屋の交渉をやったのはマルクスだった。翌朝は一人で朝市に出かけてゆく。買って来た材料にサンドイッチを作り、二人分のりんごジュースを並べてからシュタインを起こす。昼は移動中の馬車にマルクスが買って来た携帯用のカロリーバーをかじる。夜は夜で、長時間馬車に揺られた疲労からベッドに飛びこんだシュタインを横目に、浴室に湯を張り、荷をほどき、手早く洗濯を始めてしまう。
入浴まで済ませれば、「次、どうぞ」とシュタインを起こしてから眠りにつく。こちらの荷に手を出したり、必要以上の干渉をしてくることはないが、お世話しているのがどちらなのかは一目瞭然だった。今までに参加した狩猟遠征など、大人の保護者がついたボーイスカウトの団体旅行に過ぎなかったと思い知らされた。また、おとなしい坊ちゃんだとばかり思っていた友人の新たな一面を目にして、浴室の天井を見上げたシュタインはさらに不穏な可能性に気づいてしまった。
……マリー様はマルクスを連れて、領主様から逃げていたのでは……?
マーロウ・ミュラーは強く、賢く、美しい領主だ。自治権を与えられた、ミュラー辺境領の専制君主だ。帝国最強の伯爵が帝国最強の騎士団を率いる土地に、その一員として暮らしていることが素直に誇らしかった。だがそれは、ミュラー領でのマーロウを止められる人間がいないということでもあった。明るく、気さくで、やさしい方だという話は聞いていた。悪い噂はどこからも耳に入って来なかった。
離れに囲われたたったひとりの女性については、みな、口をつぐんだから。
皇都が近づき。どこからか入手してきた地図を広げ、今後の予定を立てるマルクスはここまでずっと落ち着いていた。食事のあと、何度か吐きそうになりながらも、喉を逆流するものを必死に飲みこんでいた。夜中、悲鳴をあげて飛び起きながらも、顔を洗い、水を飲んでもう一度横になっていた。食わねば死ぬ。休まなければ動けなくなる。それを、知っていた。
正直、助かった。母親の死に、「生きているのがいやになった」とか、「俺はなんで生まれてきたんだろう…」とか言い出されればシュタイン一人の手には負えない。「がんばれ」だとか、「生きていればいつかいいことがある」なんて、無責任なことは言えない。シュタインだって15歳のガキに過ぎない。そのときはミュラーの家族に助けを求めるつもりだった。
そんな心配とは裏腹。皇都についたあとのマルクスが口にしたのは真逆の宣言だった。
「魔道士塔に入る」
……は?
シュタインが振り返った先には、建物を十字に交差させ、その交点上に天をつく八角塔が、東西に四つの円塔が建つ建築物を中心にした学府と、それを見つめるマルクスの背中があった。
「ずいぶん簡単に言いますけど…あれ、帝国唯一の魔道士機関ですよ? 科挙の試験よりも難関ですよ? 念のために聞きますけど…門をくぐって『入った』とか、言葉遊びじゃないんですよね?」
「ああ。入学する。…おまえはどうする?」
肩ごしの視線をよこし、平然とそれを問う友人の襟首を掴んで締め上げ、ちょっとそこに座りなさいと2時間ぐらい説教してやりたくなったが、時間が惜しい。
宿を決めたあとの自由行動。魔石を使ってミュラー領と連絡をとった。
翌々日。新しい連絡用の魔石と共に、入塔試験の過去問10年分を持ってやってきたのは騎士団出入りの商人だった。恰幅がよく、愛想がよく、要領が良い。商人の鑑のような男だ。
宿に持ち帰り、早速マルクスに解かせてみた。昨年の問題集を使い、8割の点数が取れていた。
……は?
我が目を疑うシュタインをよそに、マルクスはむしろ不満そうだ。
「2割も落としたのか」
「初見ですよね!?」
「じっちゃんの試験の方が難しいだろ?」
ぐうの音も出ない正論だった。
脳筋と言われてはいるが、ミュラー騎士団の方針は根性論とは対極にあるものだ。座学の時間もしっかりと取られている。士気の高さで勝てたというのは結果論でしかない。20数年前の異常気象および飢えを経て、ミュラー騎士団は経験則による理論武装をも備えるようになった。帝国陸軍が発表する新戦術にもっとも早く対応するのがミュラーである。より洗練された戦争狂の集団へと進化を遂げていた。
根性で勝て!などという妄言で訓練、糧秣、情報および装備等の準備不足を誤魔化そうとするのはバカのやることである。精神論は物理的台座をしっかりと用意した上で、クリスマスツリーのてっぺんにそっと飾るお星様くらいでちょうどよいのだ。
父から受けた授業のいくつかをサボっていた自身を後悔しても遅い。20日後の試験に向けて、宿屋にこもり猛勉強に励んだ。食事と風呂はマルクスが用意してくれた。守れ、とか、義務とか。そういう脳の容量を無駄に圧迫しそうなことは合格してから考えることにした。
「どうです! 僕だってやればできるんですよ!」
繊細な蝶を象った伝令魔術式が運んできた合格証を掲げ、意気揚々と叫んだ僕はたぶんランナーズハイだった。受験ウォーズを勝利によって終えた解放感で胸がいっぱいだった。
「ああ。いっしょに来てくれて、ありがとう」
同じ合格証を広げた友人が微笑んでいた。
珍しくも素直で、直接的な感謝の言葉だった。なんと返したのかは覚えていない。
そうして塔に3年。軍に入って7年。10年におよぶ僕らの長期旅行は現在進行形だった。だが、帰宅の目処は立ったと言ってもいいだろう。
「これは酷い」
「そうですな。稚拙にもほどがある手口です」
思わず呟いた僕に答えるのはこちらも10年来の付き合いとなった商人だ。名はフォーゲル。クラウゼ商業組合の出身で、ミュラー領に独立し商会を設立、出世した分、横幅も増した男だ。
「業者と結託し、安物を納品させたにも係わらず、請求書と領収書は品格維持費の予算どおりの額面です。差額をキャッシュバックとして受け取って、一部を業者に還元することで口止め料を賄っております」
伝統ある手法。古式ゆかしい手口の横領である。
「しかしこれでは、アルニム伯爵が手にするメリットがどこにもないのでは?」
「金銭が目的ではないのでしょう。おそらく婚約者サイドにメリットをもたらすこと自体が目的ではないですかな。結託し、悪いことをしたつもりになって、勝手な仲間意識を募らせているように見えます」
「ばかばかしい。未成年の飲酒や喫煙ではあるまいし。そもそも真っ先に切り捨てられてようとしているじゃあありませんか」
「一時期は優先的な援助金で持ち直しましたからなぁ…。一度見た甘い夢を捨てきれないのではありませんか?」
「はぁ…。まずはご自分の浪費癖を直すところから始めるべきでしょうに」
「アルニム伯爵にとっては浪費ではなく、立派な営業活動なのでしょう。軍服で過ごす娘よりもよほど衣装持ちです。誰よりも豪奢な刺繍の入った燕尾服に貴族たちの賭場場へ出入りし、カネをばらまきながら申し訳程度に領地の畜産業をアピールし、広告塔としての役割を果たしている気分を味わっておられるのでしょう」
マルクスに語った伝手、フォーゲルからもたらされた報告書をテーブルに投げだす。商館の二階。皇都の一等地に構えられた店舗を保有しているのは彼らの商会だ。メインで扱っているのは軍馬の斡旋。右手が左手の横にあるように、伴う武器武具、魔石の購入取次ぎまで業務の内容は多岐に亘る。商談のための応接室は立派なものだ。
「隊長の努力を食いつくし、領地を食いつくしているのは魔獣よりも領主本人ということですか」
「収入の範囲内で生活するというのは案外難しいものですよ。シュミット大尉。領地の運営資金をご自身の財布と混同してしまう領主はそれなりにいるものです。指摘してくれるような忠義者を遠ざける傾向のある人間は特に。魔獣の被害を加算してみても、アルニム伯爵家の使用人の離職率は高すぎます。ひとが居つかないというのはそれだけで問題があると言っているようなものです」
陶磁のコーヒーカップを手に取る。酸味の強い豆が使われていた。好き嫌いなぞ、この男の前でこぼした覚えもないのに、カップのデザインまでもがシュミット好み。まったくもって素晴らしいおもてなしの精神だ。
「その点、ミュラー伯は流通に対するコストパフォーマンス意識までお持ちの優れた領主様です」
挙句、対比としての褒め言葉。ひとを称賛するために他人を貶める必要はないはずなのだが、シュミットが仄暗い満足感を覚えたのも事実だった。尊敬する領主を褒められて悪い気はしないし、共感に心をくすぐられるのは女性ばかりでもない。
「いち早い街道の整備。関税の撤廃。それに、我ら最強伯は領地民の流動についても寛容ですからね」
それらの施策はミュラー騎士団という暴力装置が守る安全と規律あってこそ可能だった。コツコツと積み上げた実績のうえに新たな実績を求め続ける飽くなき向上心が辺境領の発展という歯車を回し続けている。
「よいことです。領地の運営に、足踏みと言うものはありません。上がるか、下がるか。どちらかです。常に進み続けなければなりません。時流に乗れぬ者は沈むだけなのですから」
「経営学は、僕の友人にお願いします」
「そろそろ戻られた頃合ですかな」
「ええ。きっと。……それにしても、お仕事が早くていらっしゃる。覚えていますか? 僕があなたに品格維持費の行方について尋ねたのは三日前だったはずなんですよ」
両手を広げ、事前の調査を入れておかねば絶対に間に合わないと断言できるだけの質量を伴った報告書を指し示す。
「おや…。早くてお叱りを受けるのは閨の女性からだけだと思っておりましたが」
「あなたのシモの事情なんてどうでもいいです。…いつからです」
「さて。私どものもとへ依頼があったのは数年前、としか」
依頼をしたのは誰か?
決まっている。伯爵だ。フォーゲルの雇い主、そしてシュタイン・シュミットの主、マーロウ・ミュラーだ。
「宮廷雀たちが騒がしくなりますな」
「……は?」
フォーゲルもまたコーヒーカップを手に取った。シュタインとフォーゲルの間に上下関係はなかった。同じ主に仕えるという共通点があるだけだった。
「ミュラー辺境伯爵までもが第四皇子を推すとなれば勢力図の一部なりとも塗り換わりかねませんからなぁ」
“までも”がときたか。含みに顎を軽く持ち上げ、目を眇める。
「ブラートフィッシュ家ですか」
「末子であるブレン様を大切になさっているというお話は私どものような平民の耳にも入っておりますよ」
戦勝パーティの位置取りで、ブレンの両親に一番近かったのはシュミットだ。始まった断罪を前にした唖然と呆然が手に手を取って飛び立ってしまえば、残るのは夫妻ともに憤慨だった。父親は頬をひくつかせ、母親は手にした扇子をへしおりそうなほど。
あれを、なぜ、実子であるブレンが目にしていないのかが不思議なほど。
「なんでも村を一つ焼き尽くした息子の無罪放免を勝ち取るため、金山を手放してまで補償金をご用意なさったとか」
「死傷者が出なかったのは幸いですね」
廃村予定地だったからだ。傷病者は先に移動を完了していた。そうでなければ炎から逃れられず命を落としたものは片手の数では足りなかったはずだ。
火炎術式によって村だった場所を焼け野が原に変えた少年の話は、当時魔道士塔にいたシュミットらの耳にも入っていた。聞けば八つか、九つの少年が、独学に術式を描いたのだ。公式を知らずに第三次関数を解くようなもの。不可能ではない。不可能ではないが…大した才能である。塔からのスカウトが動いたとも聞いている。だがブラートフィッシュ家はそれを拒んだ。ブレンが自らの意思で魔道士塔へ入るまで。庇護を与え続けた。パーティでは互いに目も合わさない様子だったが、親子関係とはわからないものだ。
「第五王子に対する反発から、第四王子の支持に動くとか?」
「さぁ。どうでしょう。僕らには関係のないことですよ」
きっと、フリードリヒは望まないことだ。
皇都にやって来た僕らがあまりに眩しい自由の味に舌の根までもを痺れさせたように。
官舎の隣室に住む第四王子は出前のピザを指にくるくると巻いてかぶりつきながら「戻れる気がしませんな」と言う。衿の伸びきった丸首のシャツにハーフパンツなんてだらしない格好に「おやすみ」と挨拶を交わしあう。
王太子の基盤は磐石だ。だからこそ磐石より弾かれた者たちは次を探す。早々に王太子の支持を表明した第二・第三皇子はだめだ。
担ぎ上げようとするならフリードリヒなのだ。いくら本人にその気がないとは言え…まぁ。あれはあれで、やる気になりさえすれば王族らしい、下を省みない冷酷さもある。宮廷なんて魔窟に(で)だってうまく泳ぎきってみせるだろう。
シュタインがやることは決まっている。わけもわからないまま家を出たその日から。
「命令どおり。敵を殲滅し、守るべきものを守るだけです」
自戒をこめた。
シュタイン・シュミットはマルクス・ミュラーの幼馴染である。そして辺境領より送りこまれた護衛であり、ミュラーの内通者だった。
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