キャッチミー・イフ・ユー・キャン【3】
「わかっている。軽視されるぐらいならば畏怖を選ぶ。それが抑止力の役割を担う軍組織の正しい在りようだと理解している。私とて腰かけとはいえ2年の兵役は終えて、」
「ピーア・ベッカーとは何者です」
失礼を通りこえた無礼を承知しながら遮る。
「……王立学園の二年生だ。治癒師の適性を見出され、ベッカー男爵家の養女となった令嬢だ」
目を眇める。そんな表面のプロフィールが欲しいわけではない。
「昨晩は要人接遇用の貴賓室にお泊めしたようですな」
フリードリヒが気楽な官舎ではなく王宮に戻ったのは母を安心させたいという気持ちからだけではない。タリスマンの一員として与えられた役目を果たす目的もあった。
「侍女をつけ、身辺護衛まで用意されていらっしゃる。一介の男爵令嬢に対する待遇とも思えません。フォルクヴァルツ家の総意として、彼女を王家に迎えいれるつもりがおありか」
「それは無理だ」
「何故ですか」
逡巡は長くなかった。ふっと力が抜けたように、フェルディナントの拳が開く。代わり、指を組んでテーブルに肘をつく。
「ベッカー男爵家が他国の間者と接触した形跡がある」
「スパイである、と?」
「まだわからない。ファビアンが王室近衛師団を主導して調査を行う」
登場した第三王子の名に、少し考える。侍女は監視役で、護衛は外部からの接触を断つためか。王室近衛が動くならば、男爵家への捜査協力要請は強制力を持つ。だが権力を持つが故に目立ちすぎる。
「フランツ殿下は、そのことを?」
「知らない。言えるわけがない。あれは、令嬢本人に疑惑をもらしかねない。…賢い子だったのに…」
どうしてこうなった。
呑みこまれたであろう最後の後悔に、家族としての引導をくれてやる。
「昔から、片鱗はありました。兆候を放置せず、違和感を無視せず、早急に対処すべきでしたな」
もう遅いと突きつける。
彼らの言う“愛らしいフランツ君”とやらは大人になったのだ。自らの行動がなにを生みだすのか、想像力の一つも持っていい頃合だ。清潔で、安全な、整然とした時間はたっぷりとあった。図体の成長に中身が伴わなかったのはフリードリヒの知ったことではない。
刃先を潰した模擬剣に接待を受け。得意げ胸を反らし、賢しげな助言、見当違いの苦言を父親よりも年上の騎士に吐き散らす第五王子の居場所に背を向けて。ノブレス・オブリージュの呪縛を軍服として身にまとった第四王子は血でぬかるむ泥沼へと進んだ。
悪気があろうがなかろうが関係ない。弓を張り、矢をつがえ、狙いをつける。クロスボウの引き金にかかった指を動かす一連の行動がすべてだ。
「捜査を官憲の手に委ねるおつもりは? この際、軍を巻きこんでは如何です。情報部の協力を仰いだほうがまだ、秘密裏、ことを為してくれるでしょう」
「王家の醜聞だぞ」
「醜聞以上の実害が起こる可能性があるのでしょう。非難や批評を恐れている場合ではありません」
「まだ可能性だ。誇りも持てず、王族ではいられない」
(…なにをいまさら)
仄暗い嗤いを噛み殺す。
「幼い婚約者のスカートに隠れて兵役逃れを企んだ時点で誇りなど地に堕ちております。フランツ殿下はぬるま湯の安全地帯に身を置きながら、自身に代わって過酷な環境に耐え、虎口がごとき危険に身をさらす令嬢を裏切り、婚約破棄をつきつけました。王家に捧げられた忠義を足裏に踏み躙ったのです。衆人環視のなか、泥にまみれた枯葉のように。価値なきものと葬りました」
それを。
(傲慢などと、どの口が?)
「フェルディナント殿下。貴方の仰る誇りとは、誰に向けられたものなのですかな?」
君主は国家第一の僕である。ならば王家も同様だ。
国王ですら、人民の主人であるどころか、逆に、その第一の従僕に過ぎない。
事実だが、目を逸らしたい事実であるからこそ、異母弟からの問いはフェルディナントの喉を詰まらせる。
「フリードリヒ。おまえは我々を、……守ってやれなかった私たちを恨んでいるのか」
「まさか」
思いがけない返しに瞬くフリードリヒの瞳に嘘は見受けられなかった。
「私が守るべきは母と妹です。彼女たちの折り目正しい生活です。畢竟、帝国を守る行為につながりましょう。恨みなぞ、どこにも」
胸に手をやり、優しげな微笑みを見せる異母弟の姿に、フェルディナントはぞわりとした寒気を感じる。
「……あ、アルニム令嬢には充分な補償を行う。部隊の名誉挽回は必ず行う。時間が、欲しい」
「では、早急に動くべきですな」
こちらが待つ筋合いはない、と。丁寧な言葉遣い、ゆっくりとした話し方、伸びた背筋の挙措は王族らしい気品にあふれている。命のやりとりが日常である軍人としての威圧にあふれている。肉親の情を盾に、弟とこちらへと引きこむのは不可能だとフェルディナントが悟るために過不足はなかった。
「アルニム伯爵令嬢の様子はどうだった? 昨晩の祝賀会について何か、不満をこぼしてはいなかったか?」
「お元気です、とでもお答えすればよろしいか? まさか不満がないとでも? っはは、さすがに。お気になさらず、とは私が言ってよい台詞ではありませんからなぁ」
「最悪でも国内に留まるよう、ひきとめてくれ」
「…ああ、もしやもうヘッドハンティングの接触が? さすがは隊長です。まぁ、ずいぶんと派手な婚約破棄でしたからな。目ざとい者はいるでしょう」
「共和国から天使真教の神官を通じての打診があった」
思考を止める一撃。
「─── …ベッカー男爵令嬢は別れさせ屋であったと?」
一瞬の空白を誤魔化すために茶化せば、第二王子は頭をふった。
「本人にどこまでの自覚があったかはわからない。だがフランツに近づいたのはハニートラップの一環ではないかと疑っている」
呆れた、と。ことさら大袈裟なため息をついたのはフリードリヒだ。
「何故もっと早く引き離しておかなかったのです」
「学生のうちぐらい自由にさせてやりたいと…王妃が…」
そっと目を逸らされる。
「話になりませんな。複数の異性と同時に付きあうことは刑罰を伴う犯罪行為ではありませんが…。それが、誇りある行動とでも? 王族として相応しい行為とでも?」
血反吐をはきながら。なんなら折れた乳歯をはきながら。フリードリヒの女王様は気高く立ち上がり続けると言うのに。
「フリードリヒ。……おまえはアルニム伯爵令嬢と親しいな?」
「無理です」
「浮いた噂一つ聞かない。おまえにお付き合いをしている女性はいないな?」
「いやです」
「しかし、三つの年齢差なら似合いだろう? たしかに姿形は少々幼いが、おまえが彼女を妻とするなら王家の面目は立つ」
「生きた兄弟間で婚約者をスライドしようという発想がすでに気持ち悪いのでは? 面目が立つどころか首を絞めて水に沈めるほどに身勝手な提案だと、口にする前に気づけないところにフォルクヴァルツ家の問題点があるように思います。隊長の意思はそこにはありません。引きとめたいのであれば、これ以上の不興は買わぬよう、慎重にふるまうべきです。まずは彼女の希望をうかがい立てるべきでしょう」
もっともらしく返す否定は、つまりは今頃、常日頃の怜悧さを置き忘れたまま、初恋にふりまわされる少年の如くデートに挑む副官のための援護射撃だ。
「……駄目か」
「駄目です」
そうか、と肩を落とす兄へは真面目くさった顔に返しつつ、昼間に会ったマルクス大尉の姿を思い返す。─── まずは襟元、わずかに窺える純白だ。洗い立ての、アイロンのかかったシャツを着ていて、視線を上げれば珍しく。前髪をハーフアップに撫でつけていた。眉は整えられ、髭の剃り残しはなく、脇に抱えた軍帽はいつもより黒く艶やかだったし、帽章はぴかぴかと輝いていた。軍令部の、飾り気のないソファに本のページをめくる指の爪は切って揃えただけではなく、爪やすりが使われたのだろうなめらかさ。
窓から差し込む陽光に輝く副官殿は普段の3割増しにお洒落でハンサムだった。
「……ふ、」
思わずもれた笑いを手の甲に隠す。気恥ずかしいほど柔らかく、あまりにも場違いなものとなった自覚があるからだ。
正直なところ。フリードリヒとしては、アーデルハイトが義妹になるならそれでも良いかと思っていた。守るものが一つ、増えるだけ。あるいは肩を並べて戦い続けるだけ。できれば後者であればよいけれども。告げることも、奪うこともできぬ友人が指を咥えて見ているだけなら好きにすればいいだろうとは思っていた。第五王子があれほど無能で薄情な男であるとは知らなかったせいもあるが。なにしろ言葉は大切だ。伝える努力は必要だ。行動を伴わない愛などない。祈るだけの愛ならば、それは信仰なのだ。
フリードリヒはアーデルハイトという女王様に跪き、足先に口付けたいと願うことがあっても、妻にしたいとは思わない。
「本日中には情報統制を敷く。軍務尚書も事態を重く見ている。扶助の言質はとりつけた。明日の朝には緘口令と同時、魔道士部隊には皇都からの移動禁止令をだす。フリードリヒ。おまえもだ。長期休暇直前にこんなことになってしまって申し訳ないとは思うが、アルニム伯爵令嬢のこと、頼むぞ」
扶助の約束をとりつけた時点で。それはもう相互扶助としての言質をとられたと受け取るべきなのだが。奉仕されることに慣れた兄は、こちらが差しだすものがあることや、奪われるものがあるかもしれない可能性には留意していないようだ。
「具体的には、どのように?」
そもそも、遅い。いまさら情報統制など敷くだけ無駄だろう。
10ヶ月にも及んだ冬季戦線の勝利を、事前、対外的にも大きくアピールしていたこともこうなれば裏目に出ている。重ね重ね不思議だが、異母弟はなぜ、糾弾の場にあのパーティを選んだのか。皇都の報道機関のみならず、諸国の情報機関、軍部に知れ渡る醜聞となってしまった。もはや揉み消しは不可能だろう。
おとなのおしごとをじゃましちゃいけませんよ?と教え、諭してくれる教師や学友はいなかったのだろうか。
……まぁ仮にも王子がそんな軽率な真似を企んでいるとは誰も思うまい……。
「花なり菓子なりを贈って様子をうかがって欲しい。できれば先走った真似をしないよう、引きとめて欲しい」
「女性官舎ですよ?」
「難しいのか?」
半眼になった。
士官の男女比は下手すれば100対1。女性の社会進出は進んでいるが、軍隊は男性社会だ。2年間の兵役は男性と、王族に連なる女性に課せられた義務だ。女子寮とは元々ノブレス・オブリージュを体現する貴族子女のために造られた建物なのだ。男女の寮は並んで建っているとはいえ、警備の質は女尊男卑もいいところ。戦場上がり、あまりの女っ気のなさにトチ狂い、いい匂いがしそう…とふらふら女子寮に忍び込んだ変態の末路は語り草になっている。
「まぁ…、そうですね」
簀巻きにされて三階の窓から吊るされたのだ。逆さまだった。人間の体が180度回転すると、直立の状態よりも多く心臓に血液が流れていく。そうなると心臓から血液を送りだすためにはより強い力が必要になってくる。二、三時間もすればまずは眼球に異常が発生、続いて心不全に陥る。子ども、高齢者、心臓の悪い人間には行為そのものが危険なので絶対にやってはいけない。
しかし我々はこの世でもっとも頑健な『軍人』という職種の成人男性ですからな…。
彼女たちに容赦はなかった。家族のため、生活のため、尊き志のため。様々な理由を持ち、志願して軍人になるような女傑たちである。互い、日々を身体を鍛えることに費やしている身だ。耐久訓練の一環と言われてしまえば弱い。未遂とはいえ、婦女暴行を企んだブタ野郎相手に手加減を要求する聖人は存在しなかった。
まぁ本人は女性の部屋の匂いをかぎたかっただけだと主張していたのだが。
女性の集団から蛇蝎を見るような目に睨まれ、それを言える度胸は買える。
きっちり一時間の逆さづりは敢行された。それ以上の罰はなかった。激戦区送りになっただけだ。クビにするよりも、減俸に士気を下げるよりも、訓練された軍人の有効利用だ。大丈夫、手柄を立てれば帰ってこれるから? 励まされて、肩を叩かれ。最前線に見事な更生を遂げた。銀狼よりも女性が怖いという名言を引っ提げ、誰よりも勇敢に突撃し、生還した。退職金を受け取って故郷へと帰って行ったそうだ。
そういった恐ろしい事情を知らずとも、あまりに軽率な異母兄の言葉である。
「善処しましょう」
ニコリと笑い。この世で一番無責任な言葉に返してやるのも致し方ないだろう。
マルクス大尉の出発時間はオスカー副長より知らされた。厩舎に集まり、一日で収集した情報を共有する。
「それで、大尉はどこまでやるつもりですかな?」
「決まっている。やれるところまでだ」
旅支度という名の軍装を整えた同僚を眺める。その首に巻きつくレザーチョーカーは右手に赤、左手に青。アーデルハイトと同色の魔石が埋めこまれ、鈍く光っている。
マルクスの言葉はフリードリヒの胸へ、奇妙に静かに、ゆっくりと沈んだ。
(…そうか)
(やるのか)
(とうとう)
─── ならばやろう。やれるところまで。
「合理主義者が二人そろえばこうなるのですな」
マルクス大尉は一度、実家に戻ってくると言う。迂遠かもしれないが、伯爵位を継ぎ、次代のミュラー伯としてアーデルハイトを迎えたいという男としての見栄は良くわかる。
「さすがですなぁ。理解しがたいほどに展開が早い」
自分を選んで欲しい。そして選んだ彼女に後悔して欲しくない。同時、後悔する彼女を見たくない。この帝国の第五王子よりも俺を選んでよかったでしょうと見せつけたいのだ。この、悪女の猟剣は。
プロポーズを受け取ったというアーデルハイトの真意はわからないが、生涯を誓ったと言うならばそのままさらってしまっても、彼女は嫌がらなかったかもしれない。逃げよう、と手に手を取り合って今すぐにでも帝国を出奔することも可能だったろう。
だがマルクス・ミュラーにとってそれは最終手段だ。考えないわけではない。カードの一枚として、常に胸に忍ばせてはいる。捨てるほどに善人でもないのは知っている。それでいい。それでこそ。
(天使様の横に立つに相応しい)
マルクスという男は、アーデルハイトの労苦を取り除くためならば己の手を汚すことなどなんら躊躇いはすまい。だが彼女の手を、貧しく苦しい生活に荒らすのはいやなのだ。トップクラスの戦闘魔道士が二人そろって何を抜かすかと思いはするが。
交渉と言う面倒事を、マルクスは選んだ。
議論の手間から逃げず、討論という勤労に挑む。
ただ強いという思考停止に逃げ込んで、周りを押さえつけてしまうことを良しとしない。
勝利と同じように。人としての幸せを求めることを諦めようとはしない。
「留守を頼む。行って来る」
「「「「武運長久を」」」」
それでは私も行動を始めよう。
仲間のために。友人のために。
戦場に墜とされた女王様のために。
深夜にほど近い王宮内部。副官を見送った足に戻った王族のプライベートエリアを堂々歩く。
明かりのついた執務室は長兄のもの。四回のノックに扉は開いた。こんな時間にも係わらず、頭を下げて迎えいれる侍従長の姿に乱れはなかった。
大股に進み出る。真正面へ。ようやくサインの手を止めた男は真っ黒い目にフリードリヒを見た。茶も、椅子も、勧めることなく。
「……なんだ」
前置きは不要だと、用件だけを求める。
「兄上。フリュヒテゴット王太子殿下。私は国も臣下も望みません。今このとき、この部隊で、この仲間たちとともに闘えることを誇りに思いながらフォルクヴァルツの名を背負い、護国の泥に沈んでみせます。ですからどうぞ、私の部隊に政治的介入の横槍を投げることはご容赦ください」
わらう。
ほんの僅かといえども。
己と同類の男が浮かべる戸惑いの色がおかしかった。
フリードリヒ・フォン・フォルクヴァルツは帝国の第四王子だ。そして魔道士部隊の第二小隊を率いる小隊長だった。




