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魔物の住む町  作者: Satoru A. Bachman
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第3章 醜形恐怖症(Ⅰ)

 第3章 醜形恐怖症(Ⅰ)


 8月下旬。

卓は3度目の150メートル流しを走り終えると、地面に手をついてしゃがみ込んだ。全くやる気が起きない。9月の初めには市内で大会もあるというのに。

「おい、大丈夫か?」

卓の後に走り終えた郷野が声をかけてくる。

「ああ、くるぶしの辺りが痛むんだ。シンスプリントってやつか」

「早く治せよ、大会近いんだから」

卓は立ち上がり、陸上トラックの150メートル流しのスタート地点とは違う方向に歩き出した。

「ちょっとションベンしてくる」

部活仲間たちにそう言い、卓はトイレへ向かった。

「羽田くん、大丈夫?」

マネージャーの花香も彼に声をかける。

「ああ、大丈夫」

卓はこのとき、返事はするが、誰のほうも振り向かなかった。

痛むところがあるなんて嘘だった。朝から気分が優れない。トイレへ行くと言ったのはほんの数分練習をサボる口実だ。宙に浮いたメダカの卵のようなスフィアの3つの目玉が相変わらず卓を見つめている。

「ヒー、ヒョー、ヒー、ヒー、ヒョー」

また聞こえた。

あの不気味な鳴き声が聞こえる度に気分が悪くなる。そして彼は辺りを見回す。グラウンドのそばのミッション系大学の十字架と鬱蒼と茂る林と楓川学園の古びた校舎と頑張って練習に励む仲間たちの姿とスフィア以外は何もない。ほっと一息つく。あの銀色の目をした猿がどこかから自分を見ているのではないか。そんな気がしてならない。

お前は醜い。お前は醜い。お前は醜い。お前は醜い。お前は醜い…。

常に聞こえる声。複数の人間の低い声が重なり合ってお経や題目のような響きで卓の耳にまとわりつく。耳をちぎって捨てちまいたい。


 卓は部室棟のトイレに着くと鏡に映る自分を見つめた。いつもと変わらぬがちょっとばかり疲れた彼の姿を鏡は映し出す。まずは額の汗を手で拭い、走りに走ってぼさぼさになった髪型を整えた。そして、また自分の顔を見つめる。俺は醜いのか?本当に醜いのか?顔のところどころに出来たニキビが気にかかるが…。周りの人間はみんな俺のことを不細工だと思っているのか?キモイと思っているのか?嘲笑っているのか?外見が命と同じくらい大切だった卓が“お前は醜い”だなんて繰り返し言われて外見に自信を無くし、情緒不安定になっていった。


 練習の後、また仲間たちと楓川の川岸の芝生で座って雑談タイムに入るが、卓は寝っ転がってずっと黙っていた。

「大丈夫か?」

明らかに魂の抜けたような青ざめた顔の卓を心配して郷野が彼の肩を揺すった。

「ああ、なんか俺、体調悪いのかも知れない。そろそろ帰る」

「そうしろ」

そう言い、卓の肩を叩く郷野。

「お大事にね、羽田くん」

花香も心配そうに帰っていく彼を見送った。

夏休みは終わり、卓はその後、数日の間、部活を休み、謎の声とスフィアに怯えて過ごした。



 9月。

 社会の授業中、大須賀先生が黒板の前でアメリカ開拓時代の話をし終え、クラスのみんながノートを取り終えると、また熱く語り出した。

「みんな知ってるか、みんなが住んでるこの美船という町は茶葉の産業と海の行楽で栄えた町なんだ。ミフネリーフという珍しいハーブが取れて、それは柑橘類とアールグレイを足したような香りがする。イギリスのフィールズ・ティーという紅茶会社が目を付け、この町に支社を作った」

生徒たちは「またアーノルドの熱弁が始まったよ」と思いながら仕方なく聞いている。この町について研究することが趣味であり、郷土史を書いている彼は歴史の授業で生徒たちに世界史を教えるだけでなく、この美船という町のことも知ってほしくて仕方ないのだった。

36才の大須賀隼人は美船市出身で、少年時代はただの悪ガキだった。喧嘩や家出を繰り返すが、地元愛が強く、この町を出たいと思ったことは無い。美船外語大学で教職課程に進み、教師になる。31才のときに結婚し、妻の地元である東京の江東区で一時的に暮らすが、美船が好きすぎて1人で帰ってきてしまった。田舎嫌いな妻とは別居中。

「この町の道の駅やコンビニに売っているミフネリーフクッキーやミフネリーフティー、それからミフネリーフ煎餅なんて知ってるだろ?それらはご当地商品だが、全てフィールズ製だ。東楓町の時計塔のそばにあるマーズカフェという喫茶店は、みんな知っているかな?スターバックスやタリーズに行ってる暇があったらみんなもマーズカフェに行くべきだ。マーズカフェではミフネリーフティーやこの町で取れる茶葉を使ったスイーツが堪能できる。フィールズ・ティーはアジアや欧米諸国に沢山の支社を持っている大企業だ。つまり、この美船市は世界と繋がっているということなんだ」



 授業の後、いつものように卓はトイレの鏡の前にヘアスタイルをチェックしに行った。ぺったんこになりやすい直毛の髪をなんとか立たせようと手で頭のてっぺんの髪を持ち上げる。髪は整っても自分の顔は吹き出物だらけで、目の下にはくまが出来ていて、冴えない顔になっている。ああ、かったりい。授業もめんどくさいし、部活もだるいな。醜いな、俺。





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