第六章 覚醒02
深い霧がはれ、視界が広がる。
静まり返った深夜の廊を、尾ともなく、歩いていた。
廊下の窓から外を見下ろす。
車の中から抱きかかえられるように、一人の女性が出て来るところだった。一人の医師が出迎えに出ていた。
目を凝らす。
医師と一言三言と会話をし、やって来た看護師が明ける扉の灯りに、その顔が照らし出される。
兵藤だった。
目を瞠ると同時に、意識が飛ばされる。
視界が変わっていた。
そこには、白衣を着た采沢の冷淡な笑顔があった。
「たまに、あるんですよ。人目に触れずに子供を処分するには打ってつけなんですよこの病院は」
采沢の唇がそう動き、口角が少し上げられる。
軽く頭を下げ立ち去って行く采沢を、その視界はいつまでも見つめるものだった。
酷く目の奥が痛んだ。
くすくすと笑う声に、、視界を張り巡らせていく。
そこはいつの間にか、一面に芝生が植えられた庭だった。
笑い声は、白いブランコに乗る二人の少女のものだった。カメラを構える男性に手を振り、その先に采沢の姿を見つける。そこで僕の記憶はいつも途絶えていた。
揺らめく記憶の陰。その先を思い出す必要性を僕には感じられなかった。雨上がりの歩道橋。ベージュのレインコート。振り返り手を振る女性。鈍く光るナイフの先、血が流れ落ち、崩れ落ちる兵藤が口にした言葉。
「こんなことをしても、運命は変えられない」
「秘密を知る者は誰もいなくなった」
狂気に満ちた目が、微笑む。
その先にある答えを、僕はずっと前から知っていた。
それはまるで映画でも見ているようだった。
無精ひげを生やした采沢の、疲れた笑みが目の前に広がる。
「かわいそうに」
夫が言っている意味が分からない雅代が、首を傾げる。
「先生」
薬を手わされた采沢が、妻の手に針を刺す。
「ゆっくり休むと良い」
腕に刺された針。
ゆっくり薬が流し込まれる。
錯乱する思考に、僕は呻く。
目の前に見える扉を開く。
突然開かれた扉に、動揺しきった采沢の目が合う。
「なつかしいわ。母さんの匂いがする」
采沢の目に映る女が、薄く笑う。
素足の女は、並べられた標本の前まで行き、ガラスケースに手を伸ばす。
「こうやって、私の子も生きているのでしょ?」
気泡が立つガラスケースの物を指でなぞりながら、女が言う。
采沢は、デスクに置いてあった電話へ手を伸ばしていた。
不意に振り返った女が、采沢の手元に視線を送る。
「無駄よ。そんなもの通じないわ」
「止さないか」
「先生、私の子はどこに居ます? この子かしら?」
「何をバカなことを言っている? あなたの子は残念でした」
「本気で言ってらっしゃる?」
冷ややかな目をする女に、采沢は背筋に冷たいものを感じる。
「私、知っているんですよ。ここで何が行われているのか?」
ひたひたと足音を立てながら、女に近寄って来られ、采沢は息を飲む。
女と目が合った瞬間、采沢は身動きが出来なくなってしまっていた。
恐怖に満ちた采沢の目を見て、愉快そうに声を上げて笑い始めた女は、采沢の米神に人差し指を突きつける。
「そんな目をしないで。生きているとは思わなかった? あなたらしいわ。采沢先生。まさかね、思考を乗っ取られるとは、この女もバカよね。あなた、知っていて、私ね兵藤に良い薬を貰っていたの。素晴らしい発明よね」
女がケタケタと笑い声を上げる。
「さ、あなたも兵藤と同じ道を歩いてもらわなくちゃね」
「止めろ」
「母さん、止めて」
何重にも鍵が掛けられた扉の向こう側に、幽閉病棟の存在を知るものは、誰もいなくなった。




