第一章 予兆09
オフィスを出た僕は、近くのファーストフードで時間を潰しながら、誰もいなくなるのを待った。
時計は8時になろうとしていた。
警備員に忘れ物をしたと事務所へ入れてもらう手はずだ。
最後に滿永が出て来るのを確認して、僕は帽子を目深に被り、警備員室へ向かった。
少し焦り気味で僕は事情を話す。
渋りがちだった警備員を何とか丸め込み、僕はひたすら低姿勢で頭を下げる。
「すいません、お手数をおかけして」
「そんな大事な物なんですか」
「はい」
「それはいけません。急ぎっていつまで届けなければならないんですか?」
「えっと」
まずい。予想外の質問に、僕は言葉を詰まらせる。
警備員がチラッと僕を見る。
怪しむ目に、逆に僕は冷静さを取り戻す。
特に興味など、持っていない。たとえここで本当のことを語っても、彼の心には一つもなこらない。
少しの間をおいて、僕は頭を掻いて見せる。
「もしかして、もう過ぎているとか」
曖昧に微笑む。
肯定も否定もしない。
これで僕は嘘つきにはならない。
暗がりを警備員が照らす明かりだけが頼りに、オフィスのドアを開けたのは僕。
「あれ」
一瞬、何かが動いた気がした。
「どうされました?」
警備員が怪訝な顔で、僕を押し退けて中を覗き込もうとする。
「いいえ、何でもありません」
咄嗟的に、僕は後ろ手でドアを閉める。
「いいから、どいてください。一応確認させてください」
「本当に良いんですか?」
「何を言っているんです。中に何があると言うのです」
「いや、だから信じてもらえないかもしれないけど、ここ、出るんですよ。実は僕、それも確かめたくって、まさかな。あの話が本当だったとはな」
「退いてください」
僕を押しのけて電気を点けた警備員が、つかつかと中へ入って行く。
その隙を狙って、僕は身を屈めている女性へ目配せをする。
サッと良い臭いがしたかと思うと、警備員が怪訝な顔をして戻ってくる。
「誰もいないじゃないですか?」
「だから言ったでしょ。幽霊がいたんです。丁度その窓付近。女の亡霊がボーっと立っていて、こっちを振り向いたんです」
さり気なく、自分のデスクの引き出しを開けようとしている僕の手を取った警備員が、何をしているんですかと凄む。
細身で青白い顔をしているその警備員は、思いのほか腕力があり、締め付けられた腕に痛みが走る。
「ま、ま、ま、ま、待って」
僕は悲鳴を上げる。
「こ、これを見て。僕、ここ辞めようと思って」
一番上の引き出しから辞表を出し、警備員の目の前でちらつかせる。
「わざわざですか。こんな時間に?」
「そうわざわざ。なんだかここの上司に気に入られちゃって、何度かお願いしてあったんだけど、叶わない夢というか、なかなか辞められなくって」
僕の疑いは晴れたわけじゃなかった。滿永のデスクに辞表を置くのを見届けた警備員は、僕を自分の前を歩くように促す。
「俺なら、黙って来なくしちまいますけどね」
「僕もそうしようと思ったんだけど、なんだかいろいろなこと考えちゃって。その後の光景が目に浮かぶっていうんですか。後味が悪いっていうか、でも結局、同じようなものか」
僕は警備員に頭を下げ、後はよろしくと言ってその場を離れた。
「あなた、なぜ、黙っていてくれたのです」
その声に僕が振り返ると、女性が一人こちらをじっと見て、立っていた。
「あなたこそ、あそこで何をしていたんですか?」
「やはり、見えていたのですね」
「見えるも何も、あなたは普通の人間でしょ? 誰だって見えると思うけど」
その言葉を聞いて、女性はふっと笑みを漏らす。
僕にはその笑みの意味が分からなかった。
その女性が僕の横をすり抜けて行く。
僕は、目を見開き振り向く。
そこにはもう女性の姿はなかった。
翌日、言うまでではないが、派遣会社を通じて僕は警告を受けた。
当分は、仕事を紹介して貰えないだろうと覚悟の上の行動だった。しかし、僕の予想は大幅に違っていた。
次の仕事が、その場であっさりと決まる。
電話を切った後、ポカンとなる。
余程、暇してはいけない人間なんだ僕は。
大慌てでリュックを背負い、自転車に乗る。
今度は家からそれほど遠くない精密機械工場。検品作業と言われた。時給も悪くない。断る理由、ないよな。ないんですよ。ブツブツと文句を言っているうちに会社の看板が見えてきた。
東京電子科学研究所。
ドアプレートを確認してから、僕はインターフォンを鳴らす。
「いらっしゃい。どうぞ」
え? 今の声って、きょとんとした僕に、早くお入りください。とインターフォンから催促をされ、慌てて開いたドアの中に飛び込む
「スイマセン」
自動で開いた扉の向こう側で、にこやかに出迎えてくれている人を見て、僕は顔を顰める。




