第一章 予兆08
あれからひと月余りが過ぎ、苗代からは何の音沙汰もない。淡白な日々が戻り、吊るし売りされたスーツに身を包んだ僕は、就活に勤しんでいる。
派遣会社からの紹介で、一時しのぎで、渋々と池袋にある会社へ勤めに出たものの、もはや初日から嫌気がさしていた。
ただひたすら、伝票の数字をパソコンへ打ち込んで行けばいい単調な仕事だが、この環境にどうもなじめないのだ。
「しかし君、打ち込み早いね」
隣に座った野島が僕の手元を見て、惚れぼれとした様子で言う。
「いえ、そんなことはないです」
僕が、マシンガンのように打ち込んでいるのには、理由がある。
この会社は自分のノルマさえ熟せば、何時にでも帰って良かった。しかも日給制で、きちんと、その日の分は支払われる。女性だらけのこのオフィスに、いつまでもいる気がしない。というより辞めたいというのを、ここの責任者である満永が認めずにいる。
「俺を一人にしないでくれ」
が、理由らしいけど。
満永なる人物も、僕にとってはうっとしい存在でしかない。薄くなった頭を掻きながら、遠目で見る視線が嫌だ。おどおどした話方も気に入らない。最後のエンターを叩きつけるように押して、仕事を終えた僕は席を立つ。野島が、もう? と言う驚く声を無視して出口へと向かった。
ドアノブに手を掛けたときだった僕を、滿永が呼び止める。
「采沢君、ちょっと待って」
振り向くまでもなかった。気配で分かるほど近くに滿永が立っているのが分かった。 「明日なんだけど、来れないかな?」
来れないと言うよりも来たくない。ぶっちゃけた話、永遠にこことはおさらばしたい。
そんな思いを秘めつつ、無理ですと振り返り答えりる。
「え~、何か用があるの? それって明日じゃないとだめなのかな。明日、人が足りないんだよね」
苦笑いを浮かべながら、僕はオフィスを見まわす。
ざっと数えただけでも20名は超える人数の人が働いている。それに仕事の内容も大したことがない。パソコンや電話で注文を入れられた商品のどの管理が主。どう考えてもアップアップするような職種には思えない。
「残念だな~。じゃあ、夜はどう?」
きょとんとする僕の表情を見て、満永は目尻に皺を寄せながら、たまには食事なんかどうと聞いてきた。
ゾワッと僕の背筋が冷たいものが走る。
その瞬間、決心を固めた僕はまた、苗代の事務所を辞めた時のように、こっそり事務所に辞表を置いて、辞めてやろうともくろむ。




