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紫苑の花を君に 〜武闘派令嬢の英雄譚〜  作者: 紺
第一章 後宮編
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空色の薔薇

 純白の衣装ドレスを纏い、ゆったりとした歩調で皇族の住む玻璃宮を歩く。露出の多さは始めこそ恥ずかしくて仕方がなかったが、この衣装にも慣れたものだ。着方がわからなくて毎回桃に着せてもらっていることを除けば、だが。


 衛士たちは六花を見るだけで重い扉を開け、態々六花を皇帝のもとへと案内することもない。

 六花の存在に慣れるのに半月はかかっただろうか。無害な小娘と判断されたようで何よりである。


「衛士は下がれ」


 六花は皇帝の前で俯いたまま口角を上げる。この時を待っていたのだ。警戒心の薄れるこの時を。




「園遊会の件、聞いておるな」

「はい」

「頼めるか」


 舞の後、珍しく口をきいた皇帝はグラスを揺らしながら六花に問うた。命令してしまえば拒否権などないのに、変なところで律儀な人だ。


「謹んでお受け致します」


 椿という女官の出自については柳家の当主と善爺が巧妙に偽ってくれているため問題ない。舞姫であることを女官たちに隠し続けるのもそろそろ無理があると考えていたところで、六花に断る理由など皆無。

 何より、柳家の当主と直接話ができるまたとない機会だ。これからの身の振り方のためにも、ここで会っておいた方が良いだろう。


「園遊会は半月後だ。準備をしておけ」


 丁度桜が咲く頃だろうか。

 それまでに何か手掛かりを掴まなければ、善爺や柳家の当主に顔向けできない。





 静々と皇帝の部屋を出て、出口とは逆方向に向かう。行動範囲外の衛士の配置は把握していないため、あえて堂々と歩いてみせる。さも当たり前のように長い回廊を進むが、衛士とすれ違うことはなかった。


 流石は皇族の住居だけあって、一つの屋敷と言っていい程の広さだ。もし衛士に怪しまれたら迷子を理由に逃げようかと思っていたが、冗談抜きで迷子になりそうである。


 それに皇族の宮殿だからと言って税金を使い無駄に灯をともしているわけではない。皇族がたった二人しかいない今、明かりが灯っているのは玻璃宮全体の一割程度。

 六花は暗闇がそう得意ではないのだ。

 普暗い回廊は薄気味悪く、己の足音と息遣いしか聞こえない静寂の中で、提灯(ランプ)を持つ右手は少し震えていた。




 六花はなけなしの根性を奮い立たせ、近くの扉に手をかける。しかしどの扉も鍵がかかっていて、開くことはない。


「そ、そりゃそうだよね…」


 使われない部屋の鍵が開いている筈がない。出直そうかと思いながらも、奥の扉の使い込まれた真鍮の取っ手(ドアノブ)が気になって仕方がない。


 まさか開くはずがないだろう。

 そう高を括って取っ手(ドアノブ)を捻ると、カチャリと音が鳴った。


「…開いてる」


 独り言が多いのは断じて怖いからではない。驚いたからだ。

 六花は取っ手を握ったまま数秒間立ち尽くしていたが、意を決してその扉を押した。


 ギイイと不気味な音を立てて扉が開き、恐る恐る中を覗く。真っ暗な部屋を提灯(ランプ)で照らすと、古めかしい植物文様の絨毯が見えた。

 かなり広い部屋のようで、奥まで光が届かない。扉の隙間に体を滑り込ませ、六花は部屋の中へと踏み込んだ。



 提灯を高く掲げて室内を見渡してみると、壁一面が本棚に囲まれている。どうやら書斎のようだ。

 柔らかい絨毯を踏み付けるが埃が舞うことはなく、掃除されているよう。部屋の奥へ進むと大きな机の上に(インク)(ペン)が置かれている。普段使われていないかと思いきや、案外生活感がある。


「これは…」


 机上に置かれた数枚の紙を手に取りその内容に目を通す。年始の儀の出欠表のようで、各地方の高官の名が並んでいる。日付印を見る限り今年のもので間違いないだろう。


 提灯を机の上に置いて本棚に近づく。分厚く古めかしい本に混じって、売れば大金貨数千枚はいくであろう壺や燭台などの調度品が並んでいる。龍がとぐろを巻いたような珍しい形の香炉は恐らく渡来品であろう。しかし成金のように珍しいものを見せびらかすようないやらしさはなく、部屋全体が落ち着いた雰囲気にまとまっている。


 今上の使う広間は調度品の類は殆ど無い。無駄なものを置かないたちの皇帝が、このような書斎を使うだろうか。


「もしかして…」


 先帝の書斎かもしれない。

 そんな期待が六花の頭を過ぎったとき。



 背を向けた机から、コトリ、と音がした。



 低い吐息と共に提灯の灯りが消え、六花は息を呑む。誰かがいる――-そう頭で認識した途端、バクバクと鼓動が早まり体が硬直する。

 足音がすぐ背後まで迫り、頭から冷水を浴びせかけられたかのように、指先から内臓まで冷えていった。




 背後から冷たいものが首筋に突きつけられ、六花の目は驚愕に見開かれる。


「何者だ」


 聞き覚えのある声が六花を攻め、唐突に床に引き倒されて強制的にその相手と対面する。

 窓から溢れる月の光が金糸の髪を照らした。


「そなたは、」

「っ…皇太弟、殿下………?」


 目を瞬かせるのは六花だけではなかった。

 秋の入軍式以来のその姿を見て、恐怖とは別の感情が芽生える。暫く止めていた息を大きく吸い込み、ごほごほと噎せた。


「その格好…そなたが兄上の?」


 困惑した表情で六花を抱き起こすのは、伽羅皇国皇太弟、璃玖に他ならない。闇が影を落としていても、澄んだ空色の瞳に間違いはなかった。


「申し訳ございませんでした。殿下がいらっしゃるとは思わず…」

「それは良いが、何故このような所に?」


 璃玖は訝しむ言葉をかけるが、首筋にあった金属は既に鞘に収まっている。


「お後架を探していたもので」

「この扉が後架だと思ったか?」

「…いえ」


 いくら皇族の宮殿でも、こんなに重々しい扉の奥に後架があってはたまらない。まるで気が休まらないだろう。

 言い訳が思いつかずに狼狽えていると、ため息を一つついた璃玖がいきなり窓を開けた。


「ここは危険だ。場所を変えよう」


 そう言ってヒラリと窓を飛び越えた璃玖は辺りを警戒するように見渡し、立ち尽くす六花を手招きする。頭が回らないまま璃玖に続いて窓枠に膝を乗せたところ、失礼、という言葉とともに両手で腰を抱えられ、ふわりと地面へ降ろされた。

 そして璃玖は器用に外側から窓を閉め、呆然とする六花の腕を引いて林の奥へと走り出した。



 慣れた道なのだろうか、森の中をするすると駆け抜ける璃玖に必死でついていく。森の奥といえば湖に浮かぶ離宮を思い出すが、どうも方向が異なるよう。


 目的の場所に着いたのか、璃玖はかなり大きな建物の前で立ち止まった。円形の煉瓦造りの建物で、天井は硝子張りの丸天井(ドーム)になり中から光が漏れている。

 不思議な外観に首を傾げていると、璃玖は何処からともなく大きな鍵を取り出して、これまた大きな南京錠に差し込んだ。


 重い扉を押すと、中からむわっと温風が漏れ出す。背中を押されて足を踏み入れたそこは、植物園のようだった。


「すごい…」


 部屋全体が松明で照らされ温度調節までされており、春の陽気に包まれているような暖かさだ。階段状の花壇に色とりどりの花が咲き乱れ、まるで楽園のようであった。


「驚いたか? 温泉の熱で温室をつくっているのだ」


 薔薇の花の前にしゃがむと、後ろからそんな声がかかる。温泉の豊富な土地だからこそ季節を狂わせるという高度な芸当ができるのだろう。

 紫色の薔薇はいくつか切り取られた跡があり、六花は仕事部屋の花瓶に生けられたものを思い出した。


「ここは殿下が管理されているのですか?」

「ああ。設備に関してはな」


 薔薇の花を無碍に扱わなくて良かった、とため息をつく。放置して枯らしでもしたら、疚しさに押しつぶされていたことだろう。


「松明では照明が弱いのだろうな…本来なら大輪の花が咲くはずなのだが」


 開花の時期を狂わせること自体信じられないのに、璃玖は花の大きさを気にしているようだ。申し訳なさそうに言う璃玖に対して、六花はとんでもないと首を振った。


「小ぶりでも、愛らしくて私は好きです」

「…そうか」


口元を緩めて微笑んだ璃玖は、空色の薔薇を一輪切り取った。初めて見るその鮮やかな薔薇は、六花の結った黒髪に差し込まれた。

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