皇太弟璃玖
璃玖は六花に付いてくるようにと告げ、ゆったりと歩き始めた。小さな川程もある水路には点々と飛び石が浮かび、璃玖はひとつめの石から六花に手を差し伸べた。脚にまとわりつく衣装に配慮してくれたのだろう。お姫様のような扱いに気恥ずかしい気持ちになりながらも、璃玖の左手に右手をのせた。
飛び石を一歩ずつ渡って辿り着いたのは、庭園を一望できる四阿。六花を先に座らせて隣に腰を落ち着けた璃玖は、一呼吸置いてから六花に向き直り、こう切り出した。
「そなたは、剣舞の少年だろう?」
あの場所で何をしていた。そんな質問をされると思っていたのに、予想とは異なるその質問に六花は言葉を詰まらせる。
怖い人ではなさそうだが、腰に提げられた剣がその存在を主張した。
「剣舞とは? 身に覚えがありません」
「いや、確かにそなたであった」
「見間違いでは?」
「見紛うものか」
両肩を掴まれて璃玖の方を向かされる。痛い程ではないが、その力は強く振りほどけない。
透き通った目を直視すれば抵抗など無意味に思えた。真っ直ぐな目で偽りなど簡単に見透かしてしまうのだろう。
念押しのように再度同じ質問をされ、六花はゆるゆると頷き肯定する。やはりと呟いた璃玖は、改めて六花を頭のてっぺんから爪先まで眺めた。
冷静になって考えてみれば、とてつもなくまずい状況だということに気がつく。いくら優しく紳士的でも、敵か味方かもわからない相手に六花の正体を見破られてしまったのだ。
いきなり真っ青になって震える六花の肩から手を離し、璃玖は六花の頬に手を添えて顔を上げさせた。情けない顔を見せるまいと唇を引き結んで璃玖を睨みつけると、璃玖は困ったような表情で言った。
「ずっと礼を言いたかった」
思いがけない言葉を受け、ぽかんと口を開ける。まるで意味がわかっていない表情を見て璃玖は苦笑した。
「私はあの日、そなたの剣舞に救われたのだ」
禁城内にある高い塀に囲まれた競技場を思い出す。六花の目に映ったのは、周囲の視線や圧力に今にも押しつぶされそうな少年であった。
城の最奥でぬくぬくと育った末の皇子がいきなり名代を任され、不穏な憶測で騒つく官吏たち。逃げることすら叶わずなす術もなく立ち尽くすたった一人の少年。
「私に皇帝の名代など務まるわけがない。兄上がやるべきなのだと、自分でもそう思っていた。しかし、そなたは私を信じてくれた。そなただけは私を認めてくれた。それがどれだけ私の励みになったかなど、そなたにはわからぬだろうがな」
眦を下げ親指で六花の頬を撫でる姿は、大きすぎる玉座で不安げに目を揺らしていた少年とは似ても似つかない。一年も経っていないのに、あの頃と比べ随分と大人びたように思う。
「まさか、あの勇ましい少年がこうも愛らしい姿で再び目の前に現れようとは、夢にも思わなかった」
「これが本来の姿なのですが」
なんだか馬鹿にされている気がしてむっと璃玖を睨むと、そう拗ねるな、と子供相手のように宥められてしまった。
「本当のそなたは、こうも小さいのだな」
璃玖はしみじみと言いつつ、六花の丈を確かめるように頭に手を置く。程々に筋肉がつき、すらりと背の高い璃玖からすれば六花など小さく見えることだろう。
「殿下は、男らしくなられましたね」
今の璃玖を見て、ひ弱な末っ子皇子などと揶揄する者はいないだろう。目の前にいる凛々しい顔つきの青年を見て六花はそう思った。
しかし六花の言葉に顔を花のように綻ばせる姿は、愛らしい子供のよう。
「少しは頼り甲斐のある男になったろう?」
「それはもう。あの頃は虫も殺さぬようなお顔をなさってらしたのに、今では害虫と見るや一瞬で仕留めそうなお顔をされています」
「…精悍な顔つきになった、と言ってくれぬか」
呆れ顔の璃玖を見ていると、思わず笑いが溢れる。すると六花につられて璃玖も破顔し、植物園に笑い声が溢れた。
出会ったばかりなのに、かねてからの友人のように気さくに話しかけてくる璃玖。どうにも心を開かないわけにはいかなかった。
柔らかい鐘の音が聞こえ、就寝時間が迫る。
すっと立ち上がった璃玖が差し出した手に、今度は躊躇うことなく己の手をのせる。ふわっと笑う璃玖を直視して、このことは女官たちには絶対に秘密にしようと心に決めた。
璃玖に手を引かれ、すたすたと迷うことなく森を抜ける。すると女官宿舎の明かりが見え、二人はどちらからともなく手を離した。
「椿、明日も会えるだろうか」
「え…」
「植物園で待っている」
それだけ言い残し、六花の返事を聞かずに走り去る璃玖。少々強引なところは何とも皇族らしいが、そのくらいでないと皇族などやってられないのだろう。
「よし、何だか上手くいきそう!」
皇太弟と仲良くなれば、一気に先帝への道程が近付くはず。六花にとって大きすぎる収穫だ。
怪しまれないように先帝のことを聞き出す算段を立てるため、纏わりつく衣装を蹴散らし駆け足で仕事場に戻った。
「え? お召しはないのですか?」
「はい…陛下から、『半月で余に相応しい舞姫となってみせよ』と」
しょぼん、と尻尾を垂らして皇帝からの言伝を伝えに来たわんこ、もとい貴翔。彼曰く、今晩から皇帝の元へ行き舞を披露する必要がなくなるらしい。半月に迫った園遊会のため稽古をせよとのこと。
毎日のように続いた紫の薔薇攻撃が無くなるのは願っても無いが、漸く捜索開始というところで玻璃宮への立ち入り許可まで無くなるのは痛い。
六花がどうしたものかと眉を寄せていると、貴翔は何を勘違いしたのか泣きそうな顔で励ましてきた。
「そんな顔しないでくださいよう……陛下の御心が離れたわけじゃありませんって! 陛下は舞姫様を気遣ってお休みをくださったんですよ!」
誰もそんなことを心配しているわけではないのだが。六花はそこそこ空気が読める女であるため、貴翔の励ましで元気付けられたような演技をして見せた。
衛士のはずなのに使いっ走りが板についた貴翔と涙ながらにお別れした六花は、残った仕事を片付けながらふと疑問を口にした。
「陛下に相応しい舞姫になれって………これ以上を求めるつもりなの?」
まさか自分の舞が皇国一などとは六花も思っていない。舞を専門に勉強してきた花街の芸妓や舞台の芸人には、六花にも勝る舞い手はいくらでもいるだろう。
もとより貴族の嗜みとして教えられたものであり国一番になろうなどとはこれっぽっちも考えたことがない。
今まではそれで良かったのだ。しかし今回は。
「あの人は、一番にしか興味が無いんだ。」
皇帝は、他の誰よりも美しく全ての人を魅了するような舞を求めている。そして、その舞を六花に求めているのではないか。
「皇国一になれって言いたいの?」
むくむくと湧き上がる闘争心。
「お前なら出来るだろう?」と、頭の中の蛇顏が言う。
ばんっと机を叩いて立ち上がった六花は、仕事もそこそこに雲鶴の元へ走った。
「お前さん、まんまと嵌められおって…」
「そんなことはどうでも良いのです! 早く私に稽古をつけてください!」
「わかった、わかった。ちと静かにせんか」
ゆるりと煎餅片手にお茶を飲んでいた雲鶴。女官たちへ舞の指導が丁度終わったところで、一服していたところに六花が乗り込んできたようだ。
嵌められた。何となくそんな気はしていた。
六花自身も良く飽きないな、とは思っていたが、皇帝は毎日代わり映えのない舞に退屈していたらしい。それでここぞとばかりに六花に稽古をつけさせようと考えたのだろう。
「園遊会ことは聞いとる。衣装はもう夏智が作らせとるそうじゃ」
「情報早くありませんか? それに衣装って、丈も合わせていないのに」
「夏智が言うておったぞ。胸も腰もお尻の大きさも一寸の狂いなく記憶している、とな」
今まで見た中で最上級の美人の笑顔を思い出して、俄かに鳥肌が立つ。とても優しく美しく聡明で、琴の腕前は国一番の夏智だが、突飛な言動が色々と残念な人なのだ。
「…奴は変態じゃが、天才じゃ。任せておけば悪いようにはならん」
何故六花の身体について六花よりも詳しいのかは、敢えて聞かないでおいた。
「それよりも…どうなんじゃ、本業の方は」
「…行き詰まっています」
「園遊会で各地方の領主が今上陛下に恭順の意を示せば、もう先帝陛下を生かしておく意味はなくなる」
先帝を監禁したまま殺さないのは、恭順の意を示さなかった場合の保険のためでしかない。恭順を渋る場合、先帝の名の下に領主を支配するつもりなのだろう。
「もう時間は無いぞ」
そんなことは良くわかっているけれど、どうすれば良いのかわからないのだ。
力なく項垂れる六花を横目で眺めながら、雲鶴はばりばりと煎餅を食べ進めた。
「女官が話しとったんじゃが、ちと面白い噂を聞いてな」
「一体どんな?」
「後宮のいずこかにある離宮に幽霊が出るらしい」
ふと思い出したような雲鶴の言葉に、六花は勢い良く顔を上げる。幽霊などという怪しげなものに好んで近づく趣味はないが、行き詰まっている今は不確かな情報でも手に入れておきたいところ。
「それはいつの話ですか!? どの離宮で !? 誰が見たんですか!」
「儂が知るか! 小耳に挟んだだけじゃて。それを調べるのはお前さんの役目じゃろう」
「ですよね。それでは早速、」
「待て。稽古はどうした」
「…そうでした」
そんなこんなで雲鶴による血反吐を吐くような猛特訓がはじまり、ようやく解放された頃は既に太陽が沈んだ後であった。




