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紫苑の花を君に 〜武闘派令嬢の英雄譚〜  作者: 紺
第二章 西香編
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交渉

「さて、これで交渉成立と致しましょう。異存はございませんね」

「はい」


 六花は緊張しながら史林侯の差し出す誓約書に印を捺した。そこには既に史林侯の名と領主印が刻まれている。初めて使われる西香の領主代行印は、少しの掠れもなく朱を乗せた。


 契約の内容はこうだ。

 堰堤(ダム)の適地調査から計画、設計、施工、完成後の管理まで、比呂教授を中心とした学院の研究室が技術提供を行う。

 素材は主に史林産の赤煉瓦と西香の石切場から採れる花崗岩。詳しくは現地調査後に決めるとのこと。

 人手は西香から募るとする。

 工費は国の援助を差し引いた残りから史林が三分の一と西香が残り負担するが、一先ず史林が全額負担し、西香は二十年かけて融資(ローン)を返却する。二十年間は無利子とする。


 対して西香に課せられた条件は、史林と未来永劫相互不可侵とし、半永久的な友好関係を築く。

 史林の有事において、西魁軍最大三万騎を派遣する。

 史林軍への継続的な武術指南と合同演習の実施。

 そして酉六花が考古学研究の被験者となることだ。


 明らかに史林の負担が大き過ぎる割には、史林侯はうきうきした様子。立会人の朱李は生欠伸を噛み殺しながら退室していった。特に文句はないらしい。


「さて、話がまとまった事ですし少々遠出を致しませんか?」


 そんな史林侯の誘いに、六花は一も二もなく頷いた。




 馬に乗れる服装で。そんな指示を受けた六花は、久々に乗馬服に袖を通した。勿論貴婦人の遊興向きではなく、鎧をつけても違和感の無いほぼ軍服のようなものだ。

 我ながら氷雨にしか見えない。鏡の中の六花は苦笑いを零し、景佳を伴って門へと向かった。


「六花嬢の随伴(エスコート)は私めに任せていただけませんか」


 供はいらない。言外にそう仄めかした史林侯を、景佳は怪訝な表情を隠さず見つめる。六花が緩く首を振れば、景佳は渋々ながらそれに従った。



「麗しきお嬢さんと遠乗りというのは乙なものにございますね」

「お嬢さんという格好ではございませんけどね」

「なに、中性的な容姿が尚更魅力的なのではございませんか。綻ぶ花の危うさが人を魅了するように」

「どんな花が咲くのだろうとわくわくするような気持ちですか?」

「ええ、まさに。そして無垢な花を手折る罪深い…いえ、この先は酒を酌み交わすお相手が教えてくださることでしょう」


 史林侯の言葉の意味が半分以上理解できないまま話は終わる。二人は昨日通った森へ差し掛かり、脇道へそれた。


 道中、史林侯は色々な話をしてくれた。幼い頃の朱李や蒼士の話。史林の歴史。地形や特産物。緊張せず喋れるようになってきた頃、六花は一番聞きたかったことを口にしてみた。


「なぜ史林侯は…いいえ、朱李くんや蒼士様もですが、こんなにも私に親切にしてくださるのですか?」


 園遊会で救われた頃の六花はまだ、亜嵐の養女という立場でしかなかった。亜嵐と史林侯は特別親しいわけでもなく、互いに面識がある程度。西香侯の妹である今となってはまだ理解できるが、当時の六花に親切にする理由が見当たらないのだ。

 いくら友好的でも堰堤建設費用の三分の一を負担するなど正気の沙汰ではない。助けてもらっておいて文句はないが、理由だけは明らかにしておきたかった。


「史林が文官を多く輩出していることはご存知で?」

「五割もの官吏が学院の卒業生だと聞き及んでおります」

「ええ。学院創立時よりほぼ割合は変わらず、少し前までは当然のことと受け入れられておりました。しかし最近蒼士や朱李が禁軍に入り、権力の偏りを危惧する貴族が出始めました。文だけでなく武まで掌握するつもりなのか、と」


 皇族の側近として重用されることは誉れであるが、同等の貴族からしてみれば出過ぎた杭。柏家を追い落とさんと虎視眈々と狙っている貴族は少なくないという。


「まさか、昨日の盗難事件も?」

「ええ、まさに。学院の研究結果を自らの手柄としようと考える輩が少なからず存在するようで、盗難には手を焼いていたのです。しかしながら帝陵の一件で君と朱李が友人であることが周知されてから、盗難がぴたりとなくなりましてね」


 一体どこで広まったのだろうと六花は首を傾げる。雪の紋入りの馬車で柏家華京邸に乗り付けたことなど記憶の片隅にも残っていなかった。


「酉家の内部の問題など他家にとってはたわいの無いこと。領軍最強の西魁軍に睨まれたら勝ち目などございません。昨日の盗難は余程莫迦な雇い主が命じたのでしょう」


 やれやれと溜息をつく史林侯はさして気にした様子もない。盗難にあった準㊙︎文書は史林侯の用意した偽物だったとか。


「しかし友好関係を示すだけで良いのではありませんか? わざわざ多額の投資をする必要があるのでしょうか」

「流石に騙されてはくださいませんね。………本来ならば禁城の中でも皇族と高官しか知らぬ事ではございますが、六花嬢には協力を願う身。特別にお教え致しますが、決して他言なされませぬように」


 柔らかな表情の奥に緊迫した空気を感じ、六花は神妙にうなずいた。


「ここ数ヶ月、軍国バルテアが戦争の準備を着々と進めているようなのです。そしてついに先日、皇国の南東にある小国が落とされました。伽羅侵略の足掛かりとするつもりなのでしょう」

「そんな…どうしていきなり?」

「私にも真相はわかりませんが、彼の国は国土の大半が砂に覆われています。伽羅の豊かな自然を羨んでのこと、と推測されております。…表向きは」

「表向きということは、真の目的は一体…」

「封印された魔術を狙っているのではないか、というのが私の見解にございます」


 瞠目する六花の前で、史林侯は余裕の表情を一瞬だけ崩した。魔術の封印を解いたのは他でもない六花と史林侯だ。思わぬ引き金を引いてしまった責任を感じているのだろう。


「その、それについての研究は進んでいるのでしょうか」


 残念そうに首を振った史林侯。あれだけ魔術に興味津々だったわりには控えめな返答だ。首をかしげる六花は、その後に続く史林侯の言葉に凍りついた。


「魔術を発現するには代償が必要なのです。それも、人間の生き血が。そよ風程度ならば血液一滴あれば事足りるのですが、突風ともなれば十数人の墓が出来上がることでしょう。その上、魔術に適した血というものが存在するようで、今のところ柏家の直系以外の血液では魔術の行使に至っておりません」

「そ、それは封印したくもなりますね」

「かつては魔獣と呼ばれる獣の血液を使用していたようなのですが、乱獲により数を減らし、絶滅してしまったようなのです。その後は人の生き血が使用されるようになり、乾涸びるまで血液を………失礼、ご令嬢には少々酷な話でございましたね」


 史林侯は六花の表情を見て、失敗したとばかりに眉尻を下げた。


「しかし迦楼羅帝が全てを抹消せず、封印という形で後世に遺した理由が解らないのです。綺麗さっぱり消してしまった方がこの国の為だとは思うのですが」

「………来たるべき時のため、子孫となる皇族にこの鍵を残したのではないでしょうか」


 六花は己の中指で光る指輪を太陽にかざす。覚えのない鎖模様が見えたような気がしたが、一瞬にして消えた。


「ほう、それは興味深い推理でございますね。詳しく伺っても?」

「例えばですが、大規模な天災や戦争など、魔術を解禁せねば国が滅びるような未来が見えていたのではないでしょうか。魔術が栄えていた時代ならば、先見の力があったとしても不思議ではありませんし…」

「…六花嬢、それは誰かに聞いた話ですか? それともご自身でその考えに至ったのでしょうか」

「こんな話をできるのは史林侯しかいらっしゃらないでしょう。ただの思いつきですよ」


 苦笑いで首を振った六花を、史林侯は見たことのない表情で見つめる。そして何かが腑に落ちたような声で呟いた。


「貴女はやはり………そうなのですね」

「え?」

「いいえ、こちらの話です。それよりも西香では素敵な二つ名を与えられたとか」

「朱李くんはそんな無駄なことをお話ししたんですか? 黒曜なんて大それた名、私には相応しくないのですが」

「いいえ、六花嬢以上に相応しい方など存在しようもありません。過去から未来に至るまで、黒曜の名は貴女を示す称号であり続けるでしょう」


 すっと馬上から降りた史林侯が優雅な所作で腰を折った。呆然とした六花が声をかける間も無く、彼は拳を手のひらで包み込んだ。


「黒曜の姫、ずっと貴女にお会いしたかった」


 跪き拱手を捧げるその姿は、淑女に対する最敬礼を意味した。

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