第20話:本物の間者と遭遇。実戦では全く光らない宝石が、師匠のハグで大暴走します!
王都からの監査官が逃げ帰ってから数日後の、深夜。
私は喉の渇きを覚え、自室から厨房へと水を飲みに向かっていた。
(……ん?)
薄暗い廊下の角を曲がろうとした時、微かな足音が聞こえた。
城を警備する騎士たちの、重い鎧の音ではない。布で足を包んだような、軽くて不自然な足音。
私は壁際にピタリと背中を預け、息を殺した。
そっと角から視線だけを向けると、黒ずくめの怪しい男が、ヴァルター様の書斎の扉の鍵をピッキングで開けようとしているところだった。
(間者……っ!)
先日ヴァルター様が言っていた通りだ。辺境の城には、機密文書を狙う敵国の忍びが入り込むことがある。
以前の私なら、悲鳴を上げてその場にへたり込んでいただろう。
だが、私の身体は驚くほど冷静だった。
極限の精神的プレッシャー(師匠の至近距離での顔面攻撃)に比べれば、ただの間者の背中など、全く恐るるに足らない。
私は音もなく間者の背後に忍び寄った。
「……何をしているのですか?」
「なっ!?」
間者が振り返り、懐からナイフを取り出そうとした瞬間。
私はヴァルター様に教わった通り、あえて中途半端に距離を取らず、一気に相手の懐へと潜り込んだ。
そして、ナイフを持つ手首を両手でガシッと掴み、自分の体重をかけて思い切り捻り上げる。
「ぐぁっ!?」
関節を極められた間者は、たまらずナイフを落とし、床にうつ伏せに倒れ込んだ。
私はすかさずその背中に馬乗りになり、腕を背後で拘束する。
(やった! 師匠の教え通りにできたわ!)
自分の成長に感動していると、廊下の向こうから凄まじい足音が近づいてきた。
「ルナリア!!」
バンッ! と書斎付近の廊下に飛び出してきたのは、剣を片手に持ったヴァルター様だった。就寝中だったのか、シャツの胸元が大きくはだけている。
「し、師匠! 間者を捕まえました!」
私が得意げに報告すると、ヴァルター様は床に転がる間者と、無傷の私を交互に見て、ふうっと長く震える息を吐き出した。
チャキッ、と剣を鞘に納めるなり、彼が大股でこちらへ歩み寄ってくる。
「……っ、お前という奴は! なぜ大声を上げて騎士を呼ばない!」
「えっ? でも、私一人でも十分に対処できる相手でしたし――」
「そういう問題ではない! 万が一、お前が傷でも負ったらどうするつもりだったんだ!!」
ヴァルター様は私の腕を掴んで間者の上から引き剥がすと、そのまま私を力強く腕の中へと抱きしめた。
「ひゃうっ!?」
「無事でよかった……。本当に、無事でよかった……っ」
首筋に顔を埋められ、ギリギリと骨が鳴るほど強く抱きしめられる。
怒っているのに、その声はひどく震えていて、私を失うことを心の底から恐れているのが伝わってくる。
(あ、ああ……っ、だめ、師匠、そんなに強く抱きしめられたら……っ!)
ドクンッ!!!! ドクンッ!!!!
間者と対峙していた時はあれほど冷静だった私の心臓が、大音量で暴れ始めた。
『ピカァァァァァァァァッ!!!!』
その瞬間。
私の胸元で大人しくしていたサファイアが、深夜の廊下を真昼のように照らし出すほどの、強烈な青い閃光を放った。
「なっ!? ここへ来て警報が作動しただと!?」
ヴァルター様が私を背中に庇い、再び剣を抜いて周囲を鋭く睨みつけた。
「まだ見えざる敵が潜んでいるのか! ルナリア、俺から離れるな!」
「ち、違います! 敵はもういません!!」
「だが警報の光がどんどん強くなっている! お前の命が、今まさに脅かされている証拠だ!!」
(脅かされているのは私の乙女心です!! 実戦ではちっとも光らなかったのに、師匠が抱きしめた途端に光ったじゃないですか!!)
「ご、誤作動です! さっきの戦闘の余韻で、魔力が遅れて反応しただけですってば!」
「馬鹿な、魔力石が時間差で作動するなど聞いたことがない! やはりこの城にはまだ――」
「お願いですから、剣をしまって少し離れてくださいぃぃっ! 近いと光が止まらないんです!!」
私は青く光り輝く胸元を必死に手で隠しながら、過保護に庇おうとする師匠の背中を押して距離を取ろうと奮闘した。
……騒ぎを聞きつけて駆けつけた騎士団長レオンたちが、
「(公爵閣下……本物の刺客と戦っている間は全く光らなかったのに、閣下が抱きしめた瞬間に発光する防具の意味を、少しは疑っていただきたい)」
「(ああ。ご本人は『俺が守らねば妻の命が危ない』と大真面目に警戒しているが、奥様の心臓の危機を招いているのは完全に閣下ご自身だ……)」
と、青い光に包まれる私たちを見ながら、手際よく気絶した間者を縛り上げていたことなど。
強すぎる愛の発光を隠蔽するのに必死な私が、気づくはずもなかった。




