016 アリシアの危機 ホープエンド侵入
イレーネはオリールが使っていた隠れ家に転移する。冬場なのに腐った生肉の匂いが鼻につく。オリールはレイオスを討ってここに帰還する気だったため、戦勝を祝うための食材類が野ざらしだった。そしてその後の混乱で誰もここを使わずそのまま放置された形になっていた。もし夏場まで誰も来なければ酷い惨状になっていた。
「悪臭が服に付かないと良いけど」
イレーネはここを一秒でも早く出ようと動き出す。
「そこまで気になるのなら、拠点保持の観点から行動すべきだ」
しかし彼女と同日に召喚された同僚がくぐもった声で異を唱える。
「オクタスは匂わないでしょうけど、私には耐えがたい臭いなの!」
「不要な機能は無い」
オクタスは兜で覆われた顔をイレーネに向けて答える。一定の熟練者なら、その角度ではオクタスの目にイレーネが写らないと見抜く。オクタスは大陸でならゴーレムと区分されるモンスターで、彼が纏うオーバーサイズの鎧はゴーレムである事を隠す以上の効果を持たない。
この世界には音声で受け答え出来るゴーレムは存在しない。魔城が誇る最強のゴーレムであるクラウンガーディアンですら与えられた命令を愚直に実行するだけの存在だ。この余りにも特異な存在はロギがケーレニオンから購入した機械化ゴーレム試作四号を素体に使用している。そこに世界樹の枝を三本を始めとした強化素材を混ぜ込んで偶然生まれた「神木の魔導騎兵」と呼ばれる新種のモンスターだ。本質的にはウッドゴーレムでありながら、オクタスの体は生きているため自己再生が可能だ。無論、他のウッドゴーレム同様に樹木を取り込む事で自己回復も出来るが、回復手段が多い方が長期任務には適している。
「匂いは大事なのよ!」
イレーネの必死な抗議はどこ吹く風だ。ロギはイレーネの催淫魔法の影響を受けない同僚を選ぶつもりだったが、オクタスに至っては五感全てが完全に人型とは異なる。オクタスが会話に使っている機能も発声時に喉にあたる部分を組み替えて風を通す事で人が聞き取れる言葉になる。人間と余りにかけ離れた存在であるため、オクタスはロギに与えられた全身鎧で正体を隠す必要がある。
「腐敗している物を焼くか埋める」
下手に几帳面で融通が利かないのもゴーレムだからかもしれない。
「はぁ……埋めましょう」
イレーネはここで火を使ってホープエンドに露見するのを恐れる。普段なら気付かれないだろうが、今のホープエンドは半壊している。城塞都市の北方から煙が見えたら過剰反応するかもしれない。イレーナはここでオクタスと関係を悪化させるのは悪手と思い、死体を埋める事に同意する。イレーナの見た目はか弱い女神官だ。二メートル超えの全身鎧が隣に立っていた方が動きやすい。
「任せよ!」
オクタスは力任せに大穴を一時間で掘る。そこにイレーナが鼻を摘まみながら腐っている食材を投げ込む。
「これで数日すれば多少はマシになるでしょう」
オクタスが穴を埋めているのを見ながら言う。
「傷んでいる所の修繕をしたいが、終了までに掛かる想定時間が長すぎる」
オクタスが拠点を見回して言う。イレーネにはオクタスが何を見ているか分からない。
「流石にこれ以上の遅延は困るわ」
イレーネは夜の闇に紛れてホープエンドへ侵入する気だ。オクタスが居なければ城壁を飛び越える選択をしている。ただ忍び込むとしても、城門を潜って入ったと言えた方が潰しが効く。衛兵が見過ごした事にすれば良いだけだ。そうでなくてもイレーネはサキュバスだ。衛兵の一人や二人なら色香で誑かせば良い。
「了解した、進もう」
オクタスがもう少し粘ると思っていたのでイレーナは呆気に取られる。オクタスの行動パターンはサキュバスが基礎知識として持つ男の行動パターンとズレており、イレーナはその差異に振り回される。
イレーナがホープエンドの東門があった場所を目視したのは日付が変わる少し前だ。大きな篝火が二つも燃えており、潜入する線は潰える。
「想定と異なる」
オクタスが状況を分析して言う。
「そんな事は分かっています!」
イレーナがイラつきながら答える。
イレーナが闇の中から見つめていると定期的に馬車が門を通過する。夜にこんな事が起こるのは異例の事だ。ホープエンドがイスフェリアに攻められている際にも発生しなかった。
「領主が留守だから?」
イレーナが一つの可能性に思い至る。ホープエンドに入っている馬車が貴族を乗せているのは馬車を見れば分かる。中に人が乗っていない可能性はあるが、オクタスは人が中に乗っていると言う。多数の貴族が夜に関わらずホープエンドに押し寄せる。異常事態なのは間違いない。ただイレーネとオクタスではその理由まで理解できない。
「埒があきません。私が飛んで侵入します」
イレーナは神官服を脱ぎ、オクタスの頭に投げつける。見せる前提の勝負下着姿になったイレーナがサキュバスの力で城壁を越えようとする。
「ここで待てと?」
「調べて帰って来るから。……そうね、太陽が昇る前に帰らなければ東門で暴れて。私が脱出出来る状態ならそれに併せて動きます」
「了解した」
オクタスは城壁を軽やかなステップで飛び越えて中に消えるイレーナを見送る。オクタスはイレーネに言われた事を全うすべく太陽が昇る方角を見る。
***
「城壁から見た限り、領主館と貴族街に動きがあるのね。逆に他の所はほとんど寝静まっているわ」
イレーナは潜入したホープエンドで一人呟く。誰かに聞かせるわけではないが、口に出す事で事態を頭の中で整理する。そして魔城の命令を遂行するには何が最善か考える。
「アリシアの部屋に直接行くのは危険……となると狙い目は……」
もしアリシアが死んでいたらそれだけの事だ。しかしもし彼女が囚われている場合、下手に姿を現すのは賢くない。イレーナは強いと言う自負があるが、彼女の持つ手札で正面戦闘が一番不得手なのは間違いない。そこでアリシアの屋敷の周りには商人や貴族崩れが多いと思い出す。この時間でもあの辺りから人の出入りがあるはず。その一人を魅了して情報を聞き出せば良いと思い至る。
イレーナは盗賊ギルドが潰れた事で誰にも邪魔されずにホープエンドの裏通りを駆ける。盗賊ギルドの壊滅と度重なる戦闘でホープエンドの治安は悪化している。しかしイレーナを殺そうとする人間が居れば返り討ちにすれば済む。後ろに大きな組織が無い限り、イレーナに手加減する理由が無い。幸い、そう言う輩は全員追撃戦に参加しているのか、イレーナは移動中に妨害を受けない。
「ねぇ、そこの貴方」
イレーナは暗い中を松明一つで走る青年に声を掛ける。年齢は二十代を少し超えたくらいだ。幼少の頃より続いた丁稚生活を卒業し、やっと主人に一人前として仕事を与えられる様になった風体をしている。
「誰だ!? なんだ娼婦か、脅かすな。俺は忙しい! 他を当たれ!」
イレーナを流れの娼婦と勘違いしたのか青年はイレーナを無視して走り去ろうとする。
「あら、それほど急ぐことは無いでしょう?」
しかし青年はイレーナを目を見てしまっていた。その一瞬で掛けられた魅了魔法に屈する。アリシアがまだ未熟だった頃に掛かった魅了魔法より幾ばくか強い魔法を城塞都市の青年がレジストする事は出来ない。
「す、少しなら……」
赤面する青年を見ながらイレーナが青年に抱き着く。
「ねぇ、教えて」
「お、俺の知る事ならなんでも!」
「アリシアって子は今どうしているの?」
「勇者……様? なんで」
「数日見ていないから心配で。仕事仲間もみんな気にかけているのよ」
気に掛けているのは娼婦ではなくて魔城なのだが、主語をぼかしたイレーナの発言には信憑性がある。
「詳しくは知らない……神殿のヒーラーが来たそうだ」
「快方したって」
「誰かそれを見たの?」
「まだ面会謝絶だって俺の主人が言っていた」
「そう……」
イレーナはアリシアの状態が未だ悪いと断定する。神殿のヒーラーなどしょせんはヤブだが、それを頼るほど追いつめられているのは気になる。直接自分の目で確認すべきかと思うも、アリシアの状態が悪いのなら警備は厳重になっているはず。リスクとリターンを天秤に掛け、深入りするのは正規の手段でホープエンドに入ってからにすると決める。
「あ、俺本当に行かないと……」
イレーナの魅了はまだ効いている。それなのに別件に頭が回ると言うのならそれだけ重要な任務に違いない。
「何処に行くの?」
「主人が昵懇の男爵様が来ているんだ」
「あの夜に大量に来ている?」
「その一人のはずだ」
「理由は分かる?」
「分からない」
「ありがとうね」
そう言ってイレーナは青年のほっぺにキスをして場を離れる。青年はしばらく放心するも、イレーナの事が記憶から抜け落ちるにつけ大事な仕事の真っ最中だと思い出す。そして件の男爵に主人のメッセージを伝える段階で大笑いされる目に会う。青年はいつキスされたか分からず、ひたすら困惑するしか無かった。
青年と別れたイレーナは少し危険だと知りつつ貴族関係者を狙う事にする。青年と一緒に行っても良かったが、巻き込む人数が多いければ多いほどイレーナの事を何か覚えてしまうかもしれない。記憶の断片と断片を繋ぎ合わせてイレーナに辿り着くようなヘマはしたくない。そしてイレーナに取って幸運な事に、イレーナが網を張った場所の近くで若手貴族と思える二人組が場末の酒場から出て来る。アリシア、そしてシャドーエルフがこの酒場は穴場だと報告していたのが幸いした。
「何をするために集まっているの?」
早速酔っ払い二人に良い夢を見せながら情報を抜こうとする。
「え~、なんだっけ?」
「あ~、領主? 次の奴?」
「お~、フランクの野郎の次!」
「ま~、まだおっ死んだか分かんねぇけど、ガハハ!」
「だよなぁ、アハハ!」
二人の貴族がおかしく笑いながらお互いに抱き着く。
イレーナはこんな時に権力争いをしているのかと呆れる。ホープエンドが攻められている時に近づかなかった領地持ちの人間がここに集っている事になる。魔城が攻めるのなら今の状況は都合が良い。ただイレーナとオクタスが忍び込むには少々厳しい状況だ。
「貴族は皆来たの?」
「ん~、どうだっけ?」
「さ~、二割は来ないし?」
「あ~、明日の夜に来ないのならもう来ないはず!」
「そ~、そうそう! 明日の夜に城門を閉めるって」
「は~、眠い」
「寒いからもっと近くに……」
若手二人はそのまま抱き合いながら寝落ちする。
「これは一度報告しないと……」
イレーナは事態の深刻さを理解し、急ぎオクタスの待つ城壁の外へ飛ぶ。
「帰還を待っていた。日の出までまだ時間がある」
イレーナはオクタスから衣服を貰い、素早く袖を通す。
「拠点に帰還するわ。アリシアは屋敷にいるまでは確認しました」
「初日の行動としては及第点と試算する」
「オクタスの評価のためにやっているわけではありません!」
イレーナはそれだけ言うと急いで帰路につく。オクタスはすぐ後ろで追随する。
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