001 アリシアと迫る冬
4章スタートです。
フェリヌーン隷国を巡る戦いの山場です。
ジャイアントストーンゴーレムを始めとした魔城の戦力がホープエンドから駆逐されてから五日が経った。まさしく奇跡としか言えない勝利を経験し、ホープエンドの市民は大いに騒いだ。そして戦勝気分が抜けると、ホープエンドの現状を見て何とも言えない気分になった。それからは上も下も秋が冬に変わる前に最低限の補修をすべく世話しなく動く。何も考えずに動かないと気が滅入るのを認めたく無いかの様だ。東の城門は跡形なく、ホープエンドの持つ技術力では修復不可能と判断された。東の城壁には大きな穴が三つあり、イスフェリアから技師を派遣して貰えなくては修復困難とされた。当座はモンスターの流入を避けるべく、急ぎ木製のバリケードを設置している真っ最中だ。ホープエンドの上層部は春先に土砂を積み上げて魔法で固めるしか無いと諦めている。本来の城壁に比べたら余りにも脆く、修復の可能性が残る木製のバリケードを維持する方が良いとする意見は多い。
同じく被害を受けたホープエンドの建物は多い。これは領主の命令で一律取り壊しが決定した。ホープエンドの市民はこの決定に異を唱え、取り壊しは遅々として進まない。モンスターの死骸と犠牲になった人間が残っている建物もあり、下手に残すとアンデッドとして動き出しかねない。最終的には領主が強権を発動して私兵に取り壊させるしかない。しかしその私兵はそんな仕事に乗り気ではないし、ただでさえ足りていない手が更に減る。ホープエンドは完全な機能不全に陥っていた。
全てロギの作戦通りと配下に誤解されたが、ロギはアリシアの事が気掛かりなため二つ返事でそれを認めた。ロギはアリシアが侵略戦で使えるか見たかっただけで、そんな深い意図は無かった。それどころかアリシアの生活が困窮する可能性に思い至れば頭を抱える。渦中のアリシアは戦いが終わり屋敷に帰ったのと同時に倒れた。ロギは大いに心配するも、アリシアのステータスに異常は見えなかった。ロギの見ているステータスは魔城がロギのイメージを参考に『リージョン・オブ・ジ・エターナル・フレイム』風に表示しているだけで、実情を現さない可能性はある。ロギは自分が見ているステータスと実情の差異を常に気にしているが、魔城から動けない身では出来る事が限られている。アリシアが回復すると信じて屋敷の奴隷に任せるしか無かった。
アリシア付きのメイドをやっているベルはそんな重い期待をされているとはつゆ知らず、鼻歌を歌って適度に手を抜きながら屋敷の手入れをしていた。アリシアが目覚めないのは心配だったが、ベルは自分に出来る事は無いと早々と諦めた。もうしばらくぐうたら生活を続けられると期待していたら、ホープエンド全体の惨状の後片付けに他のメイドが駆り出された。結果的にベルはアリシアの世話と屋敷の手入れを両方やらされるだけに終わってしまった。
ここまでの余裕が出来たのは偏にシャドーエルフが屋敷を守っていたためだが、付近の人間は誰一人気付いていない。気付いた人間が居たら、シャドーエルフはその人間の命を確実に刈り取っている。ロギの命令で積極的に守ったわけではなく、討伐予定の盗賊ギルドがここを襲うと網を張っていた結果に過ぎない。更にロギはホープエンドを襲わせたモンスターにこの区画を避ける様に命じていた。無傷とは言えないが、アリシアの屋敷を中心にした一帯がもっとも被害が少ない地区となった。
「お嬢様~、早く起きてベルに楽をさせて~」
母か執事長のマイケラスが聞けば確実に拳骨を落とす発言をしながらアリシアの部屋に踏み込む。以前はノックをしていたが、寝ているアリシアは返事出来ないと割り切った。アリシアが最初に倒れた時は近隣の住人が屋敷に避難していたので大騒ぎになった。マイケラスは一両日中に目覚めると見立てたが、アリシアは未だ眠り続けている。マイケラスとダアガスはヒーラーを手配すべきか迷っていた。しかしアリシアを外の人間に見せるのは余りに危険だ。アリシアは秘密が多すぎる。そこまで知らされていないベルでもアリシアが特別だと理解している。なので自然に起きるまで暇になるとベルは油断していた。
「後五分……」
長く眠っていた自覚が無いアリシアはシーツを被る。彼女に取ってこれはいつもの朝でしかない。
「もう! ダアガス様の訓……お嬢様! 目が覚めたんですね!!」
アリシアのいつもの台詞を聞いてベルは癖でいつもの返しを言う。途中でそれどころで無いと気付いて自然と声が大きくなる。
「眠い……」
「寝ては駄目です!」
また眠って目を覚まさなければ大変と思ったベルは必死にシーツを捲ろうとする。アリシアは五日近く寝ていたとは信じられない程の握力でベルに抵抗する。ベルはアリシアをシーツごと床に落とすわけにはいかず、じりじりと敗北しそうになる。
「お腹減った」
しかし五日以上何も食べていないアリシアの腹がグゥ~と鳴った事で救われる。
「でしょう! でしょう! 母に何か美味しいものを作らせますから!」
ベルは母がアリシアが目覚めた時に美味しいものを食べて貰おうとホープエンドでは手に入り辛くなった食材を隠しているのを知っていた。ちょっと味見して尻を叩かれたほどだ。それにアリシアは「母の手料理」を好いているのは屋敷では共通認識だ。両親との不幸な別れが根底にあると聞かされたが、ベルは仔細を知らされていない。
「分かった。起きる」
アリシアはもぞもぞしながらベッドから出る。そして最初の一歩で自分の髪の毛を踏んで盛大にこける。
「痛ぁい!」
ゴツンと頭をぶつけてアリシアは痛くないのに痛がる。
「……」
「ん?」
ベルの反応が悪いので上目遣いで見る。
「お、お、お嬢様が大きくなっているぅぅぅ!?」
屋敷中に響く悲鳴を聞いて屋敷の人間が全員走って来る。
「どうした!」
「何事か!」
最初に突入して来たのはマイケラスとダアガスだった。そして一糸纏わぬアリシアを見て固まる。アリシアはいつも見られているから特に隠そうともしない。
「あんたたちは出ていなさい!」
そして四番目辺りに来たベルの母につまみ出される。
「賑やかだね」
アリシアは服を着ようとジタバタするも、動きがいまいちだ。ベルが補助に回ろうとするが、そんなベルもおっかなびっくりでモタモタしている。
「服はローブで。まずはお風呂です」
「そう? そんなに汚くは……」
「お嬢様! 何日寝ていたか分かります?」
ベルの母は怒りたいのか泣きたいのか分からない顔でアリシアに問う。
「一日?」
「五日です!」
「ああ! お腹が減っているわけだ!」
「はぁ、お嬢様がお風呂に入っている間に何か作っておきます」
ベルの母は事はいつもの事と知りつつ、今回は流石に度が過ぎると悩む。それでもアリシアが元気になった事の方が嬉しかった。
「やった!」
「それと鏡を見てください。ベルは髪の毛を持ち上げな!」
「鏡?」
アリシアは少しふらつくも鏡台の前に立つ。ベルと彼女の母はアリシアが自分の髪の毛を踏まない様に必死にかき集める。全身を映せるほど大きな鏡はホープエンドでは少ない。ロギの強い希望でイスフェリアに逃げた貴族の財産管理をしていた人間から買い取ってアリシアの部屋に設置されていた。ファッションに興味がないアリシアがほとんど使わない事もあり、もっぱらベルしか映さなかった鏡が初めて役に立った。
「これ誰?」
これが自分の姿を見たアリシアの第一声だった。
「アリシアお嬢様です」
ベルの母が「さも当然」と答える。
「……」
アリシアは食い入るように自分の姿を見入る。ジャイアントストーンゴーレムと戦っていた時のアリシアは見た目十二歳の少女だった。奴隷に落とされてまともな食糧を与えられなかった弊害でアリシアの成長は凡そその時期で止まっていた。魔将として再誕した際にはその姿が基準となった。そのため、実年齢と思われる十五歳を名乗っても中々信じて貰えなかった。アリシアを知っている九割方の人間が年齢を僭称していると恐らく思っている。
鏡に映るアリシアは年相応の背丈になっている。急成長で片づけるには余りにも激しすぎる成長だ。尻まであった髪の毛は踵より更に長くなっている。ベルが持っていなければまた自分の足で踏んで転びそうなほど伸びている。
「ベルより大きい?」
アリシアは大きくなった胸を手で押し上げながら呟く。
「お嬢様に唯一勝っていると自慢できた胸なのに!」
ベルが心底悔しそうに呻く。ベルの胸は同年代では大きい方であり、それが全然密かではない自慢となっていた。
「ちょっと剣を振るのに邪魔かな」
「「……」」
ベルと彼女の母はなんと言えば良いか分からず硬直する。「斬り落とす」と言い出したらどうしようと割と本気で心配する。
「慣れるしかないか」
「「ふぅ、良かった」」
「ん?」
「なんでもありません」
「そうそう! なんでもない……ません!!」
「二人とも変なの」
アリシアはそれだけ言うとまた鏡を見る。一度目を離してどうしても再確認したい事柄があった。
アリシアの右目の虹彩は仄かに金色に輝いている。勇者は両目が金色に光ると聞いていたので、これは想定していた。アリシアの左目の虹彩は元からの透き通るような青のままだ。それがアリシアを無性に悲しませた。左目の虹彩が燃えるような赤ならそれが魔将の証となり、ロギとの確かな絆に思えた。
(ロギ様はやはり怒っているよね)
アリシアはホープエンドを守った事を後悔していない。しかし大恩あるロギと干戈を交えた事は死ぬほど後悔していた。それ故に与えられた力を回収されたのなら仕方がないと心が沈んだ。無論その様な事は一切なく、アリシアの急成長は魔将の力の影響だった。人間とは違い、魔将は経験で成長する。イスフェリア、そしてホープエンドの戦いでアリシアは心身ともに成長した。アリシアの魔将としての体がそれに見合う形に成長するのに数日の冬眠を要したに過ぎない。
勇者の目と魔将の目は同時に扱えないとアリシアは知らなかった。そして魔将の目は勇者の目ほど自己主張が強くない。これは魔将の目の方が燃費が悪い事と密接に関係している。両目共にアリシアに時限式の爆発的な力を与えるが、常時省エネで小強化する勇者の目と必要時のみに大強化する魔将の目という形で運用が異なる。もしアリシアの左目の虹彩が燃えるような赤を維持していれば、それは彼女の身に危険が迫っている証左となった。
「お嬢様! 大きくなったのですから喜びませんと!」
胸の事だと誤解したベルの母が話す。
「今度からは男をとっかえひっかえ……」
ゴツン!とベルの母がベルの頭に拳骨を落とす。
「うん、そうだよね。まだ終わっていない」
アリシアは二人に励まされ笑顔を取り戻す。世界を闇に包まんとする恐るべき魔城と関係を修復する可能性は終わっていない。許して貰えるか分からないのなら、まずは話しかけないといけない。アリシアはロギに何と言うべきか逡巡する。ロギもまた同じく逡巡していた。
「お嬢様、お風呂の用意が出来ました!」
アリシアが何か伝えられる前に外から声がする。
「お嬢様、まずはお風呂から終わらせましょう」
ベルの母に押し切られる形で風呂に入らされる。ロギも風呂を覗いていると言われたく無かったので声を掛けるのを断念する。
(風呂を出た所で声を掛けるか)
ロギはアリシアが思いつめているとは考えず、気楽に接する予定だった。長風呂になるだろうと正しく認識したロギはルジャールを呼び出す。次の戦いに備えて行動を起こす必要がある。一気にホープエンド、そしてイスフェリアを飲み込むために動こうと考えた。そんな考えはルジャールが完全武装した主だったシャドーエルフの配下を引き連れて玉座の間になだれ込んで霧散する。
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