012 その少女が全てをぶち壊す
イスフェリア城で開催された歓迎パーティーは贅の限りを尽くされたものだった。その絢爛豪華なさまはフェリヌーン隷国基準を遥かに凌駕し、グラースエヴァン王国基準と遜色が無かった。テーブルには様々な料理が山盛りとなり、各種ワインは途切れることなく注がれた。百名を超える貴族とその関係者ではとても消費しきれない。後で合流する外で待っている二線級の招待客が雪崩れ込めば空になる皿が数枚は出るかもしれない。四管編成のオーケストラは新旧の名曲を奏で、曲調に合わせて貴族が中央ホールでダンスを楽しんだ。奏者はイスフェリアでも珍しい専門職であり、その練度は他の追随を許さない。パン一斤を買う事が難しくなっているイスフェリア城下とは隔絶した世界が広がっていた。
西の王国など名前しか知らないホープエンドの使者はまるで天上の宴に招待されたかの様な錯覚に陥った。随伴している文官と武官までもが一様に口をポカンと開けて固まるしか無かった。ホープエンドの領主が開催する宴は予め盛り付けされた皿が出るだけで、音楽を奏でる人間は十人に満たない。不幸中の幸いでパーティーの作法は同じに見える。作法が違うかもしれないと心配する時点でこのパーティーの様相が不自然だと考えが回らない。
「ふっ、格の違いを想い知って憤死すると良いわ」
クウィルナは魅了済みの貴族とダンスを踊りながら一人呟く。アリシアの前で見せた奴隷の首輪はしておらず、密輸された高価な宝石類が彩るネックレスがそこにある。奴隷として近づけばどんな相手だって油断する。頃合いを見て魅了した奴隷商に首輪を解除して貰えば良いだけ。大抵、そうなる前に主人だと思い込んでいた購入者はクウィルナの足を舐める犬に成り下がっている。
イスフェリアのサキュバスは最近ホープエンドのサキュバスが疎遠になっている事を訝しみ、調査にサキュバスを送る事にした。両都市のサキュバスが協力する事はあり得ず、お互いを蹴落とすべき敵と睨んでいる。片方が弱みを見せればそれは開戦の合図でしかない。その重要な役目に抜擢されたクウィルナはホープエンド領主の使者が来たと聞き奴隷商で待機した。
クウィルナは誰も来ないとは想定していなかった。かつての記録から領主の使者か随伴している貴族が奴隷をかなり高い頻度で購入していた。ホープエンドに余裕が無かったのと、イスフェリアの物価上昇で奴隷を買う余剰資金が無かった。そして遂に来た購入希望者が少女と聞いて軽く絶望した。それでもクウィルナはアリシアと言う少女が相手なら苦も無く魅了できると侮っていた。何かの間違いで「お母さん」なんて呼ばれて慕われたら嫌だと虫唾が走った。それでもゴミを見る眼で「おばさん」と呼ばれるのは逆の意味で想定していなかった。魅了が通じないのは時偶にある事なので、そう言う事もあると切り替えられた。魅了が効かない相手を落とす事こそサキュバスの誉れとすら言われていた。しかし正体を見破られた上に見逃されるなど屈辱の極みでしか無かった。着飾ってこのパーティーに参加している同僚のサキュバスの嘲笑の声が一日経った今でも頭を離れない。
「閣下!」
「閣下だ!」
音楽が終わるのを待っていたかのようにイスフェリア総督ボードウィン・ヴィスポアが妻を伴って二階の階段に姿を現す。パーティー会場は「閣下!」コール一色になる。イスフェリアの貴族、そして少し前にホープエンドから流れて来た貴族はここぞと言う感じで声を張り上げる。ボードウィンは軽く手を振りゆっくり階段を降りる。彼が出席した貴族を自分の目で確認する趣味があると知る者は少ない。大抵の貴族は出席する事で十二分にその義務を果たしたと考えている。そして相手が総督ならその通りだ。しかし今宵のボードウィンは更に先を見据える。集まっている貴族を見て自分に威光があると確信し、気分を良くする。
「諸君、良くぞ集まってくれた。そしてホープエンドからの使者殿は遠路はるばる良く来てくれた」
形式上、階段の下で待っている領主の使者に労いの言葉を掛ける。余りにも大きい格の違いを見せつけられて生きた心地がしていなかった使者はそれを聞いて安堵する。形式に従ってパーティーの中ほどで総督が使者に返事を手渡せば、使者は無事に帰る事にだけ集中すれば良い。そう思えば使者と彼の取り巻き達はやっと歓迎パーティーを楽しめると思い笑顔になる。そのやり取りを見て、総督から事前に話があった貴族は暗い笑みを浮かべる。ホープエンドから逃げて来た貴族は違和感を感じるも、それを口に出せば明日は無いと察する。
そして音楽がまた始まりダンスが再開する。クウィルナと他のサキュバスはホープエンド一行と踊るのを避ける。踊ったと下手に目を付けられては事だ。踊った程度で何かされるとは思いたくないが、野心家は疑心暗鬼に陥りやすい。そしてそう言った野心家に伽で取り入り、その疑心暗鬼を増大させて意のままに動かすのがサキュバスだ。本能的にホープエンド一行に接触するとボードウィンの不興を買うと感じる。ただクウィルナの中では小さな引っ掛かりがある。総督は大きな動きを企んでいる。しかし総督の側近と伽を共にするサキュバスから報告が上がっていない。よもや、サキュバスすら手玉に取られているのではと懸念する。しかしその懸念が一瞬で霧散する非常事態が発生する。
「おお!?」
「彼女は何処のご令嬢だ?」
貴族を意のままに魅了しダンスで自信を回復したクウィルナの耳に男達のざわめきが聞こえる。ボードウィンが入場して暫くして平民の招待客がパーティーへの参加を許された。順番からして今入って来たのはホープエンドの使者と共に来た人間で間違いない。クウィルナはそこまで注意する人材がいると報告を受けていない。なので興味本位で誰が入って来たのか見る。
「あの子!?」
奴隷商で見た時とは比べられない美少女が薄い笑みを浮かべて貴族のアプローチを躱している。傷一つない白磁の肌、蠱惑的な笑みを浮かべる整った顔、セッティングに四半日は掛かると言われるヘアスタイル。何処を見てもクウィルナは認めてはいけない敗北を認めるしかない美少女が立っている。せめて装飾品の質が劣っていればと祈る様な気持ちで見る。ドレスの材質、そしてアクセサリーの品質。どれを取ってもイスフェリアで作れる物を超えている。密貿易で手に入れた品々すらアリシアを着飾る品に比べては一段は落ちる。クウィルナは半狂乱になりそうなのを抑えて血眼になって粗を探す。所作に多少ぎこちない所があるのは付け入れそうな隙だが、それはこの場で指摘するほどの事では無い。逆に指摘した方が悪者にされて糾弾されかねない。
「え?」
先ほどまで一緒にダンスをしていた男が彼女の下を離れてアリシアの方へ行く。クウィルナの魅了は解けていない。解けずともアリシアの素の魅力がクウィルナを上回る。クウィルナは咄嗟に持参した扇で顔を隠す。千年の恋すら冷める修羅の顔を見せるわけにはいかない。彼女は分かる。同僚のサキュバスは全員同じ顔をしている。あれは敵だ。何を置いても最優先で殺さないといけない敵だ。総督の策謀? そんなのは刹那で忘れる。
それ故にクウィルナは見逃す。アリシアの姿を確認して明らかに挙動不審な貴族が早退する。彼こそがアリシアを奴隷商のダリンに預けた黒幕と目される存在だ。総督名義で招待状を送ったのは、この場でアリシアを逃亡奴隷として捕縛し更なる生き地獄に送り込むためだ。ダリンの証言ではあのアリシアとかつて売ったアリシアは別人だ。しかし黒幕はそれを信じられなかった。忌み名を持つ少女が偶然同じ年でフェリヌーン隷国に現れる事はあり得ない。しかしあの姿、そしてあの所作を見ては周りの賛同を得られない。ダリンの発言が万が一正しい可能性がある。彼はいそいそと上に報告するために動き出す。「全てのアリシアに死を」を合言葉とする愛国者の集まりはこの報告を聞いてどう動くか報告する男ですら予想できない。
少し離れた所でボードウィンはデオノートと談笑している。彼らもこの喧騒を聞いて興味を持つ。
「確かに美しい少女だが……」
ボードウィンは長年連れ添った妻を二階のバルコニーから捨ててアリシアを後釜に添える望みを必死に抑える。
「忌み名で無ければ」
デオノートは心底残念そうに呟く。大抵の人間に取ってアリシアとは自分の国を滅ぼした女王を意味する忌み名だ。しかし生粋なグラースエヴァン王国の貴族に取っては少し意味が違う。彼らに取ってアリシアとはグラースエヴァン王国が私利私欲で滅ぼした国の最後の女王の名前でしかない。栄えある王国の犯した大罪を想起するからこそ忌み名なのだ。幸い、市井に広まっている女王アリシア像のおかげで王国貴族が抱いている暗い後悔が知られる事は無い。
「ご機嫌よう」
クウィルナは総督が動かない事を確認し動く。女性が女性に声を掛けるのは不自然ではない。ただ並み居る男貴族を押しのけるのは無作法だ。
「御機嫌よう」
アリシアはクウィルナを知らない様に挨拶を返す。無論、双方とも相手に気付いている。ただ取り囲んでいる有象無象に伝える必要を感じていない。決着をつけるのなら邪魔が入らない場所で終わらせる。ロギが主導権を握っていればアリシアに取り入ろうとする男を利用してここで一戦ぶちかます。ロギはアリシアに提案しようかと迷うも、アリシアが変な所で頑固なのを知っているので無言を貫く。戦いの最中でアドバイス一つで勝敗がひっくり返るかもしれない。ここでアリシアを怒らせるのは得策ではない。
「少し散歩しません?」
「ええ」
もはやお互いを殺す事しか考えていない。複数のサキュバスと無意識のアリシアの魅了がアリシアの周りにいた集団を遠ざける。この光景を遠方の玉座の間で見ているロギは気が気ではない。アリシアの中から新しい力を感じるが詳細までは分からない。ダアガスかルジャールが近くにいればアリシアのパワーアップを喜べた。これから始まる戦いで目覚めそうなのが心配だ。それが良い方に転ぶことを期待するしかない。
先導するクウィルナの後ろをアリシアが黙って歩く。丁度三歩の距離を維持している。クウィルナは足を早めたり遅めたりするが、アリシアはそれに完璧に対応する。アリシアが逃げないように後ろから迫るクウィルナの同僚は躓いたり前のサキュバスのドレスを踏んでこけたりと散々だ。クウィルナは自分の背中が完全にアリシアの殺しの射程に収まっている事に気が気ではない。しかしこの様な廊下で仕掛けるわけにはいかない。クウィルナは自分の持つ集中力の全てを持ってアリシアをイスフェリア城の地下にあるサキュバスマトロンの区画へ導く。マトロンの力ならこの生意気な少女を魅了して手駒に変えられる。クウィルナは極度の緊張から不意に笑みを漏らす。
「ここなら邪魔は入らないわ。臆すのなら逃げたら?」
クウィルナは部屋のドアを開けてスルッと中に入る。そして顔だけ出して挑発する。後ろで襲い掛かろうと待っていたサキュバスの同僚は裏切られた気持ちになる。クウィルナだけが安全なマトロンの部屋に逃げ込み、他のサキュバスは地下の通路でアリシアと殺し合いを演じる事になる。非難の声を出したいが、下手にアリシアを刺激しては事だ。彼女達は固唾を呑まずにアリシアの行動を見守る。
『ここまでコテコテの罠とは珍しい』
決戦前に一言入れようとロギがアリシアに語り掛ける。
『進むよ、ロギ様』
アリシアの決意は固い。ロギが翻意を促すと思ったのか、望みを強く言う。
『進め、魔将アリシア! 敵を蹂躙せよ!!』
ロギはその想いに応える。いつもの戦いと何も変わらない。魅了などの状態異常に掛かれば魔城の力で助ける。そしてアリシアは難しい事を考えずに全力で戦う。二人は必勝の陣でサキュバスの罠へ踏み込む。
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