010 アリシアと奴隷商人ダリン
「ようこそお客様! 私は店長のダリンと……」
詰め物でもしているのかと思うほど不自然に大きな腹をした男がアリシアとダアガスを出迎えた。他に店員が居るのに店長が直接声を掛けるのが普通なのか判断出来なかった。ダリンの方は挨拶の途中で固まっていた。多くの奴隷を右から左に流すので一人一人覚えている余裕は無い。しかし片腕のドラゴニアンほどインパクトの強い商品なら別だ。奴隷として売ったはずのドラゴニアンが自由になって店を訪ねてきた。ドラゴニアンの気性は激しい。お礼参りに来たと心配するのは当然の事だ。そしてダアガスの存在が強すぎて真に警戒すべきアリシアの事に気付かなかった。事情を多少なりとも知っているダリンに取っては痛恨の失態となった。
「おう、覚えているぞ! 俺をリザードマンの親戚と言って売り飛ばした男じゃないか」
ダアガスは笑っているがその眼は笑っていない。獲物を今にも八つ裂きにしようと見据える眼だ。
「し、商売ですので」
ダリンは揉み手で答えながら震えていた。解放しない約束で売ったドラゴニアンが帰って来るなんて信じられないと腸が煮えくり返った。ダアガスを売った奴隷商には二度と奴隷を売らないと決めた。ダリンが件の奴隷商が既に死んでいると知らなかったのは通商破壊だけが原因ではない。ダリンは西から来る奴隷をほぼ一手に引き受ける大手のため、自分から他の奴隷商に出向く事は稀だ。そのために他の奴隷商に比べて情報が回って来るのが遅い。
「今日は弟子が奴隷を買いに来た! 良いのを出せ!」
ダアガスが吠えた。人間の無駄話を嫌うドラゴニアンらしくものの流れを一刀両断して本題に進んだ。聞き耳を立てていたロギはもうちょっと話を楽しめばよいと考えたが、二人に取ってこの店に入るのはかなりストレスだと言う事を思い出し黙っていた。
「わ、分かりました! 奥の商談用の部屋に行きましょう」
ダリンは他の店員に押し付けようと店内を見るが、全員が蜘蛛の子を散らしたように消えていた。ダリンは逃げた店員を減俸しなければ心に強く誓い、渋々直接対応する事に決めた。案内された部屋はホープエンドの奴隷商と作りが同じだった。あれと比べて一回り大きく、調度品も二ランクは上の物が揃っていた。奴隷商の実力差以上にイスフェリアとホープエンドの経済力差が如実に出ていた。問題が起こった時に対処する武装した男が四人控えている。ダリンはドラゴニアンが暴れたらこんな護衛など時間を数秒稼げる程度だと正しく認識していた。自分を殺したいほど憎んでいる相手と密室で商談をする事に冷や汗が止まらなかった。
「ええ、改めて、店長のダリンです。先祖代々イスフェリアで奴隷商を営んでおり、当家の歴史は初代総督がこの地へ赴任すると同時に始まり……」
「今更聞いたところで意味がない事だ」
ダアガスがまた容赦なく長話をぶった切る。
「私も何回も聞いたよ。もうちょっと種類があった方が芸があるのに」
アリシアも辛い日々を思い出して不機嫌だ。
「そ、そうでしたか」
ダリンは席に座った少女を見る。弟子とだけ聞いているが、彼女も奴隷だったのかと不思議に思い、記憶を必死に弄った。しかしどうしても思い出せない。こんな美処女なら高値で総督に売るはずだ。身なりからして良いパトロンに買われたみたいだが、ホープエンドにそんな太客はいない。ホープエンドの領主と言えどイスフェリアから見たら男爵相当の小さな魚だ。この少女を手元に置ける財力は無い。
「その、お名前を……」
「アリシア」
「アリシア!! ……さん」
ダリンはここでそんな忌み名を聞くとは予想しなかった。そして最悪な事にそこから記憶が鮮明に蘇った。「出来る限り長く全力で生き地獄を見せろ」と言う注文を受けて買い取った少女では無いか。終身犯罪奴隷が自由になる事はあり得ない。しかし眼前のアリシアは奴隷の首輪をしていない。奴隷の首輪は皆一緒に見えるが、アリシアのしていた首輪は奴隷商では取り外しが出来ない犯罪者用の首輪だったはずだ。
ダリンは額に手を当て目を瞑った。家業の歴史は長い。必死に目の前の現実を説明しようと考えた。そこで最悪の可能性に思い至った。アリシアは終身犯罪奴隷では無かった。首輪が外れたのならそれしか説明が付かない。だが借金奴隷を犯罪奴隷として偽って売るのは死罪没収の上に縛り首の重罪だ。となるとダリンにアリシアを売った男は重罪を犯した事になる。当然アリシアをホープエンドの奴隷商に売ったダリンも同じく。
売った事実は無かった。眼前のアリシアはあのアリシアとは違う。ダリンが生き残れる方法はそれを徹底する事だった。そしてアリシアに迫っていた一連の出来事を引き起こしていた黒幕はダリンから得た情報で一時立ち止まるしか無かった。二人目のアリシアは余りにも想定外な出来事で、死せるアリシアの亡霊が生きている黒幕を躊躇させた。
「それで奴隷が欲しい」
「用途は? 家事手伝いなら……」
「戦争」
「は?」
「戦争するから戦える奴隷を二十人ほど」
「そ、その……何処と聞いても?」
「ダリンさんに関係ある?」
「い、いえ! 失礼しました!」
ダリンはアリシアに睨まれて急ぎ奴隷を集めるために部屋を出た。あんな少女に気押されたなど認めたくなかった。だがあの名前すら聞く気が無いドラゴニアンより遥かに強い圧を感じた。それと同時に一つの懸念が湧いた。イスフェリアがホープエンドを攻めるので軍備を増強していると極一部でのみ事実として知れ渡っていた。ダリンもその一人であり、戦闘用の奴隷を多く売って懐が温かくなっていた。もしアリシアがその事を知っているのだとしたら、総督の計画が漏れている事になる。ダリンはアリシアに気付かれないように奴隷を用意する傍らで、総督に通じるコネへ急ぎ連絡した。
「あんな感じ?」
ダリンが部屋を出たのでアリシアが後ろに立っているダアガスに問う。ダアガスは座れば良いのに、アリシアの後ろに立つ事で背後からの奇襲に備えた。その結果、上から威圧感たっぷりで見下ろす姿になったが、それはダアガスの想定にはなかった。
「そうだ。奴隷商相手には強気で攻めろ」
「うん」
「しかし、名前を聞いた時のあいつの顔は傑作だった」
「良い名前だと思うけど」
「それは否定しない」
全てを失ったアリシアの唯一の拘りが名前だった。ロギはそれが不要の騒動を起こすと早い内に気付いたが、改名する事はやんわり断られた。ロギが頼んで唯一拒絶された案件だ。そしてそれが良くも悪くもアリシアを事件に巻き込んだ。
ガチャ。ドアが開きダリンが三十人ほど連れて来る。贔屓目に見て戦えない農家の三男坊だ。彼らがエルフとの戦争で活躍するとは思えない。
「ええ、こちらに居る男は……」
ダリンが説明を開始する。村での力自慢だの、盗賊を殴り殺しただの、必死にアピールをしているが軍事経験がありそうな男はほとんどいなかった。そして経験がある男も味方殺しだの、強姦だのと物騒な経歴を持っていた。
『ロギ様は誰を買う?』
『金貨を見せてもっと良いのを出せと頼め』
ロギが調べた限り、三十人を一纏めにしても、グールのトループ一つに壊滅させられる。維持費を考えれば買う価値が無かった。
「予算はあるよ?」
アリシアは無造作に金貨を眼前の机に山積みにする。ダリンの年収を優に超える金額にダリンはたじろぐ。
「こんなゴミは要らん! 何ならこの場で全員引き裂いてやろうか!!」
ダアガスの咆哮で建物全体が揺れる。アリシアの行動で「舐められた」と考えた。ダリンの護衛は恐怖で動けず、三十人の奴隷は腰を抜かす者、必死に鍵のかかった扉を開けようとする者、その場で失禁して前後不覚になる者と千差万別な反応を示した。
「こ、これが当店で一番です!」
顔面蒼白で震えながらダリンが言い返す。
「嘘、ホープエンド以下!?」
アリシアが無自覚でダリンに致命傷を与える発言をする。イスフェリアにしてはあり得ないほど品揃えが悪い。
(戦争があるからマシなのは全部買われたか。やはりイスフェリアは戦争準備をしている)
ロギは状況を正しく読み解くも、未だ魔城が対象だと信じて疑わなかった。ロギの観点からすればイスフェリアの問題は全部魔城が悪い。魔城を倒さない事にイスフェリアは回復出来ない。そうなる様に追い込んだ。だからイスフェリアは魔城を攻める。完璧な理論だった。ただ、前世から人付き合いが得意では無かったロギは人間と言うものを完全に読み違えた。噂でしかない狂獣よりも近くの略奪拠点を襲うとは考えられない。
「イスフェリアの奴隷商にはプライドがあります! この程度と思われるのは心外です!」
「誰か居るの?」
「何人か高い奴隷は居ますが……」
ダリンは咄嗟に口走った事を後悔した。ここでアリシアに帰って貰えれば自分のプライドが傷つくだけで済む。他に売れる高い奴隷をアリシアに見せつけるためだけに出すなど愚の骨頂だ。まるで奴隷商人になって間もないド素人の様な失態をした自分を叱責する。
「見せてみろ」
ダアガスが獰猛な笑みを浮かべて宣言した。その有無を言わせぬ口調にダリンは項垂れて部屋を出た。無論、彼が連れてきた三十人を牢へ帰す事を同時に行った。そして彼は三人の人間を連れて部屋へ戻った。本来なら高値で売れるが、貴族が軍備拡張に傾いたために売れ残った人材だ。ここでアリシアに売るよりは戦勝記念で売った方が利益が出そうだ。それでもイスフェリア奴隷商のプライドと偽ってダリンは彼らを見せた。
「クウィルナ・スタァエスと申します。芸事なら一通りは修めています」
最初の自己紹介をしたのは美しい女性だった。ダリンが奴隷落ちした経緯を説明するも、誰も聞いていなかった。クウィルナの魅力に取りつかれたように彼女に見入っていた。
『ロギ様』
『サキュバスだな。それもかなり高位だ』
『斬る?』
『駄目だ。街中で不意の遭遇戦は面倒だ』
ロギは今日イスフェリアを落とすのは戦略上良くないと考えた。イスフェリアを落とせば急いでホープエンドを落とさないといけない。そしてイスフェリアの異常が監視砦から西へ知らされては軍備増強が間に合わない。魔城の最大の強みは敵にその強さを把握されていない事だ。フェリヌーン隷国をあっさり落とせるほど強いのなら警戒度が天元突破する。
「次の子」
「え!?」
「は?」
「次の子。そのおばさんは要らない」
アリシアが事もなげに言う。しかし高位サキュバスは絶対の自信があった魅了を跳ね除けられては引き下がれない。
「何故! 私なら一国の王だって誑かせるのに!!」
些か自信過剰なクウィルナが怒鳴る。ダリン達は魅了に掛かっているのか動かない。
(奴隷の首輪をしていても主人を魅了して操れるのか。これは新しい発見だ)
ロギは他人事のように事態を見守った。アリシア、そしてダアガスが正気なのが分かっているので完全に観戦気分だ。ポップコーンは無いのかと独り言ちた。
「その程度の魅了は効かない」
「……」
「気付かないふりをするから帰って」
アリシアは斬りたい。ダアガスは斬るのなら良しと考えた。
「覚えておきなさい! この屈辱は必ず晴らす!!」
クウィルナはそれだけ言って退出した。どうやら彼女は奴隷商の鍵を自由に開けられるみたいだ。
「はっ! 私は何を……」
魅了が切れたのかダリンが正気を取り戻す。
「次の子は誰?」
アリシアが興味無さそうに言う。
「次? ああ、最初は……」
どうやらダリンは都合の良い様に記憶を改ざんしたのかクウィルナに改ざんされたのか、クウィルナを連れてきたことを完全に忘れていた。それだけでこのイスフェリアの真の支配層が誰か分かる。そしてこれはロギの戦略にすら影響を与えた。フェリヌーン隷国は魔城と人間の争いから魔城と人間の飼い主との争いに様変わりする様相を呈していた。
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