012 下水の追撃戦
「なんだ、貴様は……」
奴隷商の従業員と思えるゴロッキが地下から出て来た何かを見て驚いた。そして言葉を言い終わる前にグールがその鋭利な歯でゴロッキの頭の前半分を嚙み千切った。血を噴出しながら倒れるゴロッキを見て他のゴロッキは初めて敵襲だと気付いた。気付いた所で遅い。八体のグールが傷つく事も厭わず全速力で動く者を狙った。グールは構造上多少の怪我を負っても問題無く戦えるので、弱い人間相手にはスペック以上の戦果を誇る。
二十数人が血溜まりに沈んだ所で仮面をしたアリシアが階段を上って来た。アリシアの牢屋から階段までには複数の奴隷が捕らえられていた。ロギはグール2体に彼らを殺す様に命じた。アリシアは黙ってその光景を見続けた。口封じに殺す事を反対してもロギは取り合わないと知っていた。だからせめて自分のミスが招いた不必要な死を直視すると決めた。「二度と間違わない」と心の中で誓おうにも、自分のこれまでの人生を振り返れば間違いだらけ。ロギの手を取ったのがたった一つの正解と言える程に過去のアリシアの判断はボロボロだった。
『ロギ様、どうやれば間違わないの?』
『分からん』
『え?』
『私は「攻める」と言う事にはかなり自信を持っている。間違えないと信じて博打を打てる程度に』
『……』
アリシアには伝わらない。
『ああ、だからだな。まずは得意分野を一つ見つけろ』
『得意分野?』
『そうだ! それを基準に考えろ。似た分野なら意外とうまく行く』
ロギはこれで伝わっているか半信半疑だったが、ある程度は伝わった。前世なら「学校に行け」で済んだかもしれない問題だが、この世界ではそんな高等学校は数えるほどしかない。ロギはホープエンドとイスフェリアに無いのを既に調べていた。となると次は私塾だが、これは信用できるか分からなかった。それ故にアリシアには実戦経験と冒険者ギルドの等級を上げる事を優先させた。
奴隷商に捕まる事でアリシアが疑問に思っていなかった様々な問題に気付いたのは喜ぶべき事だが、ロギはそれに答えを未だ用意出来ていなかった。ホープエンド、そしてフェリヌーン隷国についての知見がもっと広まっていればより的確な答えを返せたかもしれない。
『別の分野なら?』
『専門家に聞け』
『ええ!?』
完全に想定外な答えにアリシアは困惑を隠せなかった。
『私は農業に詳しくない』
『?』
『だから畑をやる際には付近の農民に聞くつもりだ』
『おお!』
ロギの説明を聞いてアリシアが感嘆の声を上げる。ロギは敢えてアリシアが少しは詳しいであろう分野を選んで話した。実際、アリシアは農民時代の経験から農作業が見た目より遥かに難しいのは知っていた。「土に種を蒔けば良い」と言う若人が収穫期に泣く姿を多く見て来た。アリシアは自分の手を見下ろす。
(私がやってもちゃんと芽吹くかな?)
そう考えればロギの言っている事がちょっと分かった気がした。色々足りないから間違う。なら色々足りたらきっと間違わない。アリシアはアリシアなりに答えを見つけ、此度の戦いに集中する事を決めた。
『一階は制圧した。表と裏の出入り口にはグールを二対ずつ配置した。誰も逃げられない』
ロギはテキパキとグールを布陣する。『リージョン・オブ・ジ・エターナル・フレイム』以外にもシミュレーションゲームは一通りやっていた。敵に野生の呂布でも居ない限り、この袋のネズミから逃げる事は不可能だ。ロギはまた己の勝利を確信した。
『上に行く?』
『グール二体を先行させる』
戦力の小出しは悪手だ。しかし戦力の過剰供出もまた握手だ。ロギは五体を送るのが良いと考えたが、ここは威力偵察のために二体にした。二体を失ってもリカバーは余裕だ。五体を失えば一目散に逃げないといけない。
「きゃあああ!」
「た、助け……」
上から女性の悲鳴が聞こえる。何人かは走って階段に近づくが、一階のグールを見て回れ右をする。
『殺していないぞ?』
『うん』
ロギが確認のために言う。アリシアは頷くも、それがロギとアリシアを危険に晒しているのだと何となく気付く。アリシアが何も感じなければ二階の人間を殺してもっと素早く事を済んでいた。
『ふぅ、気にするな。私をこの程度のハンデで止める事は出来ない』
ロギはアリシアが落ち込んでいるのを感じてフォローする。ロギはロギで無駄な犠牲を減らしたかった。間違いであるとは知っていたが、ロギもまだそこまでガンギマリでは無かった。アリシアとの大きな違いは必要な犠牲に関しては躊躇しない事だけだ。
状況の推移を見守っていると追加でグール二体が階段を上った。どうやら奥の部屋に向かうみたいだ。
『装備を発見したか? それともあの奴隷商か?』
ロギは最初の命令通りに動くグールを見てそう評した。しばらくするとグール二体がアリシアの装備を持って帰って来た。
「あ、私の!」
『取り戻せたか。帳簿と各種書類もあるな?』
ロギは奴隷商がアリシアを捕えた事を表の帳簿に載せるとは思っていない。しかし念には念を入れた。それと同時に残り二体のグールが何処に居るのか気になった。まだ奴隷商の部屋を漁っているのか、それとも?
『地下!?』
『どうしたの?』
『二階に居たグールが地下に居る。反応が消えた!?』
二階にある奴隷商の部屋から地下に逃げられる落とし穴があった。本来は襲撃者を落とすものだが、緊急時には脱出用に使える。
『敵!?』
『そうなる。奴隷商をこのまま見逃すべきか』
『行こう!』
アリシアは常に前向きだ。
『なら領域化してこの装備と物品をこっちに送れ』
『は~い!』
アリシアに通常装備をさせるのは危険だ。誰かに目撃される可能性がある。なので全てを一度魔城に戻して、安全を確認してからアリシアに渡すのが最善に思えた。今のアリシアは防御面に不安を抱えるが、右手には聖剣ファイアブリンガーを持っている。この奴隷商が維持できない猛者が地下に控えていない限り、アリシアの行く手を阻めるものは何も無かった。
『補充もした! 一気に追うぞ!』
『お~!』
アリシアは元気よく階段を上る。出入り口を守っていたグールも合流させる。奴隷商が何らかの方法で一階に帰って来て表から出たら「あっぱれ」と褒めるしかない。アリシアが二階を駆け抜ける間、グールは生き残りが固まっている部屋の扉を爪で引っかいた。アリシアの影すら見られないようにロギが細心の注意を払った。
『この穴か』
『行く!』
ロギが制止する間もなくアリシアが飛び込んだ。ロギは奴隷商の部屋をもうちょっと調べたかったが、それを言える雰囲気では無かった。グール十体が遅れまいと飛び込んだ。グールが去っても大半の人間は隠れた部屋の片隅で固まっていた。しかし一人の女性だけは危険が去ったのを確信したかのような足取りで部屋から出て来た。
「グールならパトロンはヴァンパイアね。さて、これはちょっと厄介かしら?」
バズーゾが抱いていたサキュバスの娼婦は嵐の様に通り過ぎたアリシア一行の構成から、アリシアの背後にはヴァンパイアが居ると考えた。彼女は伝手から奴隷商がアリシアを捕えたと聞いて急いで彼を訪ねた。可能なら譲って貰いたかったが、幾ら金貨を積んでも彼は首を縦に振らなかった。買い手はかの食人卿では無いかと思えたが、彼に抱かれているサキュバスからはまともな情報が入って来ていない。本来ならばサキュバス全体が力を合わせてあの女を手中に収めるべき案件だ。しょせんは独断専行して主力ごと自爆したサキュバスの子買いかと唾を吐いた。現場に居ては疑われると悟った彼女は足早に表から奴隷商から出た。急ぎサキュバスマトロンと協議し、ヴァンパイアの正体を突き止めなくてはならない。
ロギがヘッドバンドをしていたらサキュバスに気付けただろう。しかし今のロギには周りの生命が点でしか見えない。人間に擬態する技術に長けたサキュバスは人間と大差ない反応を返す。アリシアが彼女を直視していれば、違和感に気付けたはずだ。しかしアリシアも奴隷商を討つ事に全神経を集中していた。
『もぬけの殻だ!』
『あっち!』
飛び込んだ先は更なる地下牢だった。ただ多くても二人くらいしか入れられない。そしてアリシアが指差さした先には通路があった。
『三つ目の出口か! ここの奴隷は誰かが来た時に知らせる役目か!』
ロギは的確に状況を読み解く。
『追う!』
『行け!』
ロギはそろそろ撤退ラインが近づいていると思ったが、アリシアのやる気を削ぎたくなかった。あの奴隷商は殺す。明日殺すのなら今日アリシアに殺させれば良い。懸念があるとすれば、戦力が過不足なくあるかだけだ。今のアリシアならどんな敵が来ても突破出来る。しかし相手が奴隷ではその剣先が鈍る可能性があった。ロギはその場合の最善手を頭の中で考え出した。
短い通路を抜けるとそこは下水だった。
「臭い」
アリシアは鼻を摘まんだ。
『あっちから来たぞ』
『感じる!』
ロギのレーダーには迫っている十七の光点が見えた。一つだけやけに目立つのが気になったが、ちょっと強い程度に考えた。
「てめぇら、こいつが盗賊ギ……」
グールの爪が声を大に叫ぶ馬鹿の首を斬り落とした。それを合図に乱戦が始まる。盗賊ギルドの面々は毒のダーツを投げるがグールには効かない。松明の灯り以外は暗い事もあり、盗賊たちは相手がグールだと認識出来ていない。一気に半数が屍となって下水に転がる。
「聞いてねぇ! おい、どういう事だ!?」
「愚図どもが! 幾ら金を払ったと思っている!」
文句を言う盗賊に奴隷商が烈火の如く怒り、容赦なく鞭を打つ。
「ふざけんな!」
「貴様らのギルドマスターに直談判してやろうか!? 無能過ぎて敵に手も足も出なかったと!」
「ねぇ、そろそろ殺して良い?」
言い争う二人にアリシアが近づく。
「「いつの間に!?」」
二人は驚くも、彼らと後ろに控える一人以外は既に屍となっている。ロギの的確な指示を持ってすればこの程度の相手は瞬殺出来る。
「跪け!」
「何?」
「バカな、言葉を理解しないのか!?」
奴隷商が半狂乱で叫ぶ。奴隷の首輪で支配していると思った少女が自由なのを理解出来ない。
「ガキ一人なら俺が!」
「馬鹿、やめろ!」
奴隷商が盗賊の腕を掴む。アリシアの一閃で盗賊の首は飛ぶ。そのまま奴隷商を斬ろうとするも、男の蹴りがアリシアに腹にクリーンヒットしてかなり後方に飛ばされる。
「がはっ!」
アリシアは血を吐きながら立ち上がる。破裂した内臓は瞬時に回復を始めたが、魔将になってから初めて受けたダメージらしいダメージだ。
『大丈夫か!』
『大丈夫!』
『敵は強いな』
ロギはこの時点でアリシアに内緒でグールを動かした。
『でも勝つ!』
アリシアの目に闘志が漲る。
『囲んで殴れるぞ?』
『私が倒す!』
『分かった』
アリシアはそれだけ言って剣を構えて男に近づく。男の方は積極的に動かない。恐らくは逃げるのなら追わないと決めていた。ここで無駄に戦うのはアリシアの戦術ミスだ。ロギはそれを踏まえた上でどうやって挽回するか考えた。
「何故退かぬ」
「その男を殺す!」
「それはさせられない」
男は悲しい目をしてアリシアを睨む。その首には奴隷の首輪があった。体中を灰色の鱗が覆っていた。
「トカゲ?」
「ドラゴニアンだ! 次間違ったら女子供でも殺す!」
「……ごめんなさい」
余りの剣幕にアリシアが誤ってしまう。
「何をしている! 早くあの女を捕えよ!」
「命令とあれば……」
ドラゴニアンと名乗った男は戦いの構えを取る。
『アリシア、相手の特徴は!』
『男でほとんど裸。体中に鱗。尻尾? それと右肩より下に腕が無い』
『隻腕か』
『隻?』
『腕が一本と言う事だ』
『うん』
『面倒なパワータイプか。トーラスに近いと思うが、もっと強いし早い』
ロギはヘッドバンドをさせなかったのを後悔した。あれがあれば幾らでもアドバイス出来たのに、今の状況では大雑把な事しか言えない。『リージョン・オブ・ジ・エターナル・フレイム』ではドラゴニアンには単独でトループを形成する強ユニットであり、こんな序盤で出会えば魔将をぶつけても勝てるか分からない相手だ。隻腕による弱体化。そしてアリシアの再生能力。ギリギリ互角か相手が有利だ。
「はぁぁぁ!」
アリシアが斬りこむ! 守勢に回れば奴隷商は殺せない。だがそれがバレている分だけドラゴニアンは彼女の行動を読みやすい。アリシアの攻撃が空振る。ドラゴニアンの攻撃がアリシアを吹き飛ばす。アリシアは距離を開けられまいと踏ん張る。それを十回近く繰り返す。
「はぁはぁ!」
「無駄だ」
アリシアの回復力は凄いがアリシア自身の限界は近い。ロギはこれほどの強敵が控えているとは考えていなかった。聖剣ファイアブリンガーが掠れば大抵の敵は殺せる。それすらさせないとはどれほどの手練れか想像もつかなった。戦う意志を固めたアリシアは本来のステータスに近い出力を出しているはずだ。そしてドラゴニアンが如何に強くてもアリシアの方が圧倒的に強い。それなのにこのワンサイドゲーム。ドラゴニアンは戦いが巧い。これほどまでになるまでどれほどの鍛錬をしたのか。そして何故奴隷に身を落としたのか。ロギは興味を持ったが、今はアリシアを勝たせるのが最優先だった。
『アリシア、二回だ。二回だけ全力で攻撃しろ!』
『ロギ様?』
『俺を信じろ!』
『うん!』
「ふぅぅぅ!」
「来るか!」
アリシアは息を吐き集中する。魔将の力をものにし、過剰回復により多少のダメージを無視出来る状態に移行する。アリシアの一撃が空を切る。
「無駄と言ったぁぁぁ!!」
ドラゴニアンの一撃がアリシアの腹に大穴を開ける。
「馬鹿野郎ぉぉぉ!!」
奴隷商の悲鳴が下水に木霊する。
「逃がさない!」
「な!?」
アリシアはその小さな手でドラゴニアンの腕を抑え込んだ。ドラゴニアンは気付いた。剣で腕を斬ればドラゴニアンの負けだ。それなのに斬らない。
「逃げろぉぉぉ!」
ドラゴニアンには奴隷商の下に駆け付けようとするもアリシアに抑えられ動けない。
「は?」
そして奴隷商は下水に潜んでいたグールに八分割され絶命した。
「ぐぉぉぉ……」
ドラゴニアンは腕を無理やり引き摺り出して首輪を抑える。奴隷商が死んだら首輪が閉まる様に設定されていた。ミシミシと音を立てる様からすると、一分もしない内にドラゴニアンの首の骨は折れる。
『勝った……』
ロギは安堵した。
『……助けたい』
腹の大穴がまだ完全に回復していない状態でアリシアが変な事を言い出した。
『正気か?』
『うん』
『好きにしろ。後の交渉は私がやる』
『ありがとう』
アリシアは苦しむドラゴニアンに近づき、両手で奴隷の首輪を掴んだ。ドラゴニアンは両目を開けて驚いた。先ほどまで奴隷商の命令で捕えようとした少女の行動を理解出来なかった。それ以前に腹に開いた大穴は何処に行ったのか分からなかった。
「ええと、えいやぁぁぁ!」
アリシアはあの時を思い出して一気に首輪を引きちぎった。
「取れただと!?」
困惑するドラゴニアン。
「あはは、良かった」
それだけ言って限界を迎えたアリシアはドラゴニアンの上に倒れ込んだ。
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