空っぽだった器、歩いていく
「いくぞ」
奏多が短く呟く。黄金のオーラがその肉体を、世界をさらに震わせる。
「どうぞ?」
対するカオスは、邪剣を緩く構えたまま、少女の笑みを深めた。
一瞬、すべての音が消え去ったかのような、奇妙な静寂が戦場を支配する。次の瞬間――。
――ズッ……パァァァァァァァァァンッ!!!!
大地を深々と削り取り、空間そのものを爆破するような凄まじい衝撃波が炸裂した。
「くっ……!」
「全員、我の後ろへ!」
オウが瞬時に展開した漆黒の魔力障壁が、全員の身を間一髪で守り抜く。障壁の向こうでは、衝撃の余波だけで周囲の山々が平伏するように崩れ去っていた。
「こりゃあ……早く決めねえと、戦う前に世界が滅んじまうな!」
竜の姿のまま、ドラコが冷や汗交じりに叫ぶ。
「ふっ。案ずるな。今の主ならば、世界が滅びる前にすべてを片付ける」
オウは障壁を維持しながら、信頼の目をその中心へと向けた。
衝撃の中心。奏多の放った黄金の一撃を、カオスは邪剣で辛うじて受け止めていた。だが、その顔からは先ほどまでの余裕が消え失せつつある。
「……あら? なかなかやるわね。その変化、ただの見せかけじゃないってわけ……ねっ!」
カオスは片手で持っていた邪剣に、もう一方の手を添えて両手で強引に押し返しにいく。
「はぁぁぁぁぁッ!!!!」
奏多がさらに気を吐くと、その圧倒的な質量に追従するように、足元の連峰がズン……!と地中深くへ沈み込んでいく。
「ふふ、でも……後ろが空いてるわよ?」
カオスが妖しく囁く。
奏多が刀を押し込むその背後、大気が歪み、禍々しいドス黒いマナが急速に収束して巨大なエネルギーの塊へと変じ、その背中に肉薄した。
「んなもん、くらうかっ!」
奏多は即座に身体の周囲へ強固な魔力障壁を展開する。
パァンッ!!!!
激しい音を立てて、ドス黒い塊が奏多の障壁に激突した。背後からの衝撃を耐え忍ぶ奏多。しかし、意識をそちらに割かれた一瞬の隙を見逃すカオスではない。
「このまま切り伏せてあげるわ!」
カオスは一気に邪剣を押し込むと、その勢いのまま、横一閃に奏多の胴体を深く切り裂いた。
ズパァンッ!!!!
「奏多っ!!!!」
アリスが悲鳴のような叫び声を上げる。しかし、その隣で広臣は鋭い目で前方を凝視していた。
「いや、大丈夫だ!」
カオスの邪剣に切り裂かれたはずの奏多の身体が、まるで陽炎のようにシュッ……と虚空へ消えていく。残像。
それを見たカオスが、初めて忌々しそうに「チッ!」と激しく舌打ちをした。
そして、強烈な殺気を背後に感じ取り、戦慄しながら振り返る。
「遅い」
カオスの背後。そこには、すでに極限の集中で腰の刀に手をかけ、低い居合の構えをとる奏多が立っていた。
「くそ……っ!」
カオスの焦燥の言葉を遮るように、奏多の腕が動いた。
――それは、文字通り一瞬の出来事だった。
観測できた者は誰もいない。奏多が刀を抜いたと同時に、すでにその刃はパチリと音を立てて鞘に収まっていたのだ。
「……あれ?」
カオスはきょとんとした声を漏らし、自分の身体を見下ろした。
「まさか、ただの居合斬り? ぷっ……あはは! そんな古典的な技が、この私に効くわけな――ぃ?」
言葉の途中で、カオスの表情が凍りついた。
奴の腹部から、肉体が、細胞が、存在そのものがサラサラと光の粒子となって急速に消滅し始めたのだ。
「な……なんで……っ、私は……完璧な、神の力を……」
絶望に目を見開くカオス。
「切った。それだけだ」
奏多は振り返ることもなく、冷淡にそう告げた。
「意味が……わから……ぃ……」
カオスはそれ以上の言葉を紡ぐことも許されず、そのまま無数の美しい光の粒子へと還り、この世界から完全に消滅した。
魔神王の完全なる消滅。
奏多が小さく息を吐くと、彼を包んでいた黄金のオーラ、額の角、そして背中の白い羽がシュッ……と消え、いつもの見慣れた黒い外套の姿へと戻っていく。
「奏多、おーーいっ!!!!」
遠くから、アリスが大声で泣きそうな顔をしながら走ってくるのが見えた。
その健気な姿に、奏多の口元から自然と笑みがこぼれる。
――だが、極限を超えた力の代償は大きかった。
「……あ」
視界が急激にぐらりと傾き、奏多の身体がふらっと大地に倒れ込む。
「奏多!? 奏多ーーーっ!!!!」
駆け寄ってくるアリスの悲痛な叫び声が、まるで水の中にいるようにどんどん遠ざかっていく。
やがて、奏多の視界は深い闇に包まれた。
「……う……。ここ……は?」
どれほどの時間が経ったのだろうか。奏多が重い瞼を開くと、そこは見渡す限り遮るもののない、純白の空間だった。
「あら? 起きた?」
頭に心地よく響くような、凛とした、どこか懐かしい声。
奏多が上半身を起こして周囲を見回すと、そこには一人の美しい青髪の少女が、悪戯っぽく微笑みながら立っていた。
「イリ……ス、か?」
「そうよ。もうカオスはいなくなったもの」
イリスはふっと表情を柔らかくすると、奏多に向き直り、静かにその頭を下げた。
「まずは、ありがとう。あなたのおかげで、この世界は消滅の危機を去ったわ」
「お前の手違いのせいなのに、ずいぶん余裕そうだな」
奏多は起き上がりながら、少し皮肉を交えて言葉を返す。
「これでもちゃんと反省してるわよ? ……それでね、あなたに聞いておかなきゃいけない大切なことがあるから、ここに魂を呼んだの」
「……召喚のことか?」
「御名答。奏多くんは私の手違いでこの世界に召喚しちゃったからね。これから広臣ちゃんたちにも聞く予定だけど……どうする? 元の前の世界に帰る?」
イリスが覗き込むように問いかける。
「俺は……」
奏多が口を開きかけたその時、イリスは小さく手を振ってそれを遮った。
「あ! そんなにすぐ決めなくてもいいわよ? 私だってカオスにほとんどの神力を使われちゃったし、今すぐに送り返すってのは、申し訳ないけどできないもの」
イリスはクスクスと笑い、それから少し寂しげな目を向けた。
「個人的には、奏多くんには前の世界に帰ってほしいな〜。私より強い人間がこの世界にいるなんて、女神の名折れだもの」
「……もう、お前より強くないさ。わかってんだろ?」
奏多が呆れたように言うと、イリスは驚いたように目を見開き、それから「ふふふ」と優しく微笑んだ。
「あなたが最後に変化したあの姿……あなたの『これから』を捨てるような、代償の大きな力だったものね。でも……私が言いたいのは、力なんかじゃないのよ」
「力じゃない?」
「あなたが救った世界は、本来なら神である私が守らなきゃいけない世界だったってこと。……まあ、いいわ。返事は後でゆっくり聞かせてもらうから。それじゃあね、奏多くん」
イリスがひらひらと手を振る。その姿が、空間の白さに溶けるように徐々にぼやけていく。
「――なた! 奏多!!」
突然、耳を裂くような大声が鼓膜を震わせた。
「うっ……! アリス……うるさいぞ……」
奏多が現実の世界で目を覚まし、顔をしかめる。
「目覚めた!? よかったぁぁぁぁっ!」
アリスは歓喜の声を上げるや否や、全力で奏多の胸に力いっぱいに抱きついてきた。
「うぐぅっ!?」
あまりの強烈な衝撃に、奏多の口から本気の悲鳴が漏れる。
「アリス、離れろ。主が本当に死ぬぞ」
横からオウが冷静にツッコミを入れた。
「あっ! ごめんなさい!」
アリスは慌てて飛び退く。
「俺は……どれくらい気を失ってたんだ?」
奏多が上体を起こし、胸をさすりながら尋ねる。
「ほんの1、2分だ」とオウ。
「そうか……。戦いは、終わったんだな?」
「主のおかげでな。……先ほど、イリスと話をしてあったのだろう?」
オウの言葉に、奏多は少し驚きながらも頷いた。
「ああ。……元気そうにしてたよ」
「全く……あの女神は相変わらず勝手な奴だな」
後ろから人間の姿に戻った竜神が、呆れたようにため息をつく。
「甲斐は?」
奏多があたりを見回しながら聞く。
「あやつは世界を再生しに行った。カオスとの戦いで荒れ果てた大地を、自身の持つ勇者の力でな」
オウが静かに答える。
「委員長……もか?」
「ああ。『主が起きた時に、少しでもいい世界になってるように』とな」
その時、突如として周囲の景色が一気に暗転した。
「お! きたな!」
ドラコが上空を見上げて嬉しそうに叫ぶ。
「お前はもう、あの戦いで力を使い果たして転移などは使えないのだろう? だからドラコが気を利かせて、『ドラゴニア』ごとここに呼び寄せたのだ」
竜神がそう説明する。上空には巨大な浮遊大陸の影が広がっていた。
「いっぱいうめえ飯食わせてやっから、早くこいよな!」
ドラコはガハハと笑うと、竜神と共に一足先にドラゴニアへと飛び去っていった。
「奏多、いきましょ!」
アリスが嬉しそうに手を差し伸べる。
「ああ」
奏多はその手を借りて立ち上がった。
ふと、カオスが光となって消えた消滅の地を振り返る。
「奴も……イリスに狂わされた被害者の一人だ。あいつは自分の守るべき世界を自分で狂わせておいて、全くあの女神は……」
オウが複雑な表情で呟く。
「狂わされた……か」
奏多はその言葉を口の中で反芻した。
「奏多ー! 早く行きますよー!」
遠くで振り返りながら、アリスが急かすように手を振っている。
「……俺は、そうでもないけどな」
奏多はぽつりと呟いた。手違いでこの世界に呼ばれ、無職から魔王にまでなった。だが、そのおかげで得られた仲間たちの存在を想う。
こうして、長きにわたる全ての戦いが幕を閉じた。
その後、カオスによって魂を抜かれていたアリスティアの住民たちや、キュレムの洗脳によって大混乱に陥っていたアインシア王国は、広臣と愛多がその勇者と聖女の力を尽くして世界を改変・補修したことにより、急速に平和を取り戻していった。
誰もが傷を癒やすため、数日間のバタバタとした忙しい時間が過ぎていった。
数日後。
激闘を制した一同による祝勝会のため、ドラコや竜神、そして勇者一行などが、再びアリスティアへと集まっていた。
潮風が心地よく吹き抜ける、アリスティアの美しい浜辺。
「どうするんだい? 君は」
広臣が、寄せては返す青い海を見つめながら、隣の奏多に問いかけた。
「俺はここに残ることに決めた。俺はここの王だしな」
奏多が迷いのない声で答える。
「ふっ。君ならそう言うと思ってたよ」
広臣は嬉しそうに微笑んだ。
「甲斐、お前は?」
「僕は……日本に帰るよ。あそこに、僕の帰りを待っている家族や知り合いが大勢いるからね」
「だろうな」
奏多は頷く。「他の奴らは?」
「太一も萌も、僕と一緒に帰ることにしたよ。ただ……」
広臣が少し言い淀む。
「ただ?」
奏多が眉をひそめたその時――。
「空井くん!」
後ろから、少し緊張したような、よく通る声が響いた。
振り返ると、そこにはいつになく真剣な表情をした愛多が立っていた。
それを見た広臣は、にやりと意味深な笑みを浮かべ、
「じゃあ、僕は先に宴会会場に行ってるよ」
と言って立ち上がり、すれ違いざまにポンと愛多の肩を叩いて歩いていった。
「?」
事情が飲み込めず、怪訝な顔をする奏多。
「空井くん……。空井くんは、ここに残るんですよね?」
愛多がじっと奏多の目を見つめてくる。
「聞いてたのか? まあ、そうなるな」
「……私も、覚悟を決めました」
「覚悟? 何のことだ?」
奏多が首を傾げたその瞬間、愛多は胸の前で拳をぎゅっと握りしめ、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「私は……空井くん、いや! 奏多と一緒に、ここに残ります!!!!」
「……へ?」
予想だにしない告白に、奏多の思考が完全に停止する。
みるみるうちに耳の根元まで真っ赤になっていく愛多を見て、奏多の脳裏に「あっ!」とある記憶がフラッシュバックした。
(そういえば……前にこいつ、俺に何か言ってたな……)
激戦の最中、すっかり忘れていた愛多からの好意の告白を、今更になって思い出したのだ。
「その……いいのか? ここに残って。日本の、家族とかは……」
奏多がドギマギしながら尋ねる。
「自分の決めたことを、最後までしっかりやり通す。それが私の家の家訓なんです! だから……家族も、必ず許してくれると思います」
愛多は恥ずかしさに震えながらも、真っ直ぐな目でそう言い切った。
「そうなのか。委員長……俺は……」
「はい……っ」
二人の間に甘酸っぱい、妙な空気が流れかけた――その時だった。
「あーーー!!!! 愛多さん!!! 抜け駆けですかーーーっ!!!!」
浜辺の岩陰から、耳を裂くような大声が響き渡った。
「アリス!?」
奏多が飛び上がる。
アリスは凄まじいスピードで砂浜を蹴って走ってくると、息を荒くして二人の間に割り込んだ。
「宴会が始まるから呼びにきたら……な、何やってるんですかあなたたちは!」
「え? いや、俺は別に……」
たじろぐ奏多。しかし、愛多はふくれっ面をするアリスに向き直ると、負けじと胸を張った。
「アリスさんには関係ありません! さっ! 奏多、行きましょ!」
「ちょっと! どさくさに紛れて名前で呼んで! 待ちなさい愛多さん!」
愛多はアリスの肩をぐいぐいと押し、アリスは抗議しながら、二人は言い合いをしながら宴会場の方へと歩き出していく。
賑やかに遠ざかっていく二人の背中を見つめながら、奏多は呆れ半分、愛おしさ半分で「フッ……」と静かに笑みをこぼした。
「守王の仕事は、まだまだ長く続きそうであるな」
後ろから、不意にオウの気配と声がした。
「……はあ。だな」
奏多は深くため息をつく。
「ふっ、主のことだ。何だかんだと言いながら、どうにかするのだろう?」
「どうだろうな。俺にそんな器用な真似ができるかよ」
「クク、全くだ。主は本当に、不器用なやつだな」
「うるせえよ」
奏多は短く呟くと、ぽりぽりと頭を掻いた。
「じゃ、俺たちも行くぞ。みんなが待ってる」
「うむ」
奏多が力強く一歩を踏み出し、その後ろを、オウが静かに歩いていく。
異世界に刻まれた無職の少年の足跡は、今、新たな平和な未来へと向かって、確かに続いていくのだった
これにて完結です。
ここまで呼んでくれた皆様ありがとうございました!
戦闘描写や細かい設定が終わってたのでもっとちゃんとできるように精進します。
別で連載してる作品もあるのでよかったら見てください。
あ、タイトルの世界征服はイリスの言葉の通りです!
それでは!




