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第40話「手帳の最後のページ」(最終回)

お読みいただきありがとうございます。覚醒から百一日目。全国のダンジョン観測値が正常範囲に戻りました。村瀬が「二十日でやります」と言う訓練場の朝、凛との廊下での会話、剣聖会との連携を引き受けた夕方。そして夜、手帳の最後のページを書き終えた蓮が、引き出しから新しい手帳を出します。「百二日目から始める」——この物語の終わりであり、次の始まりです。

覚醒から百一日目。


 朝、早川が食堂で報告を始めた。「全国のダンジョン観測値が三か月ぶりに正常範囲に戻りました。廃ダンジョンの再活性化も確認されていません。アルケミア急進派の動向も今週は報告がない。ギレンが確保されて以降、組織としての動きが止まっています」


「一応、ですか」と御堂が言った。


「確実に終わったとは言い切れません。ただ、今できる対応は全部しました。これが今の状態です」


 報告が終わった。食堂に他の探索者たちがいた。遠征から戻ってきた人間たちだった。いつもより食堂が騒がしかった。笑い声がした。誰かが地図を広げていた。誰かが装備の話をしていた。蓮はそれを聞きながらコーヒーを飲んだ。五核安定化の後の夜も、同じような音がした。あの時から五か月近くが経っていた。あの夜は終わったと思っていた。終わっていなかった。そこからまだ続いていた。それがここに来た。


---


 訓練場で村瀬が一人でいた。


 ペットボトルが五本、間隔を変えて並んでいた。村瀬が手を向けた。一番遠いペットボトルの周囲、地面が焦げた。ペットボトルは無傷だった。もう一度。別のペットボトル。焦げた。本体は無傷だった。三本連続で成功した。


「できました」と村瀬が言った。後ろで見ていた蓮に向かって言った。


「確認しました」と蓮は言った。


「次は何ですか」


「複数同時制御です。今日は二か所から始めます。一か所ずつから二か所同時に出力する感覚は、最初は難しいですが体が覚えます」


 村瀬がうなずいた。「柏木さんはこれをどれくらいで覚えましたか」


「三十日かかりました」


「私は二十日でやります」と村瀬は言った。計算している声だった。


「できると思います。覚醒直後から今日まで、毎日進んでいます。十七日目でここまで来た人間を俺は知りません」


 村瀬が少し間を置いた。「覚醒してから二週間、一人でいました。あの時間があったから、今ここで焦らずにいられます。嫌だった時間が今に繋がっているって、そういうことですね」


「そうだと思います」と蓮は言った。


 村瀬がそれを聞いて、少し笑った。施設に来てから、蓮が数えた中で一番自然な笑いだった。


---


 昼、廊下で凛が「少し話せますか」と言った。人がいない場所だった。


「はい」


 凛が少し間を置いた。「百日が経ちました。ダンジョンの状態も落ち着いている。村瀬さんの訓練も進んでいる。一区切りついた感じがします」


「そうです」


「私はここに残ります」と凛は言った。「村瀬さんの訓練が終わるまで。その先も、必要があれば」


「それは凛さんが決めることです」と蓮は言った。


「あなたはどうしますか」


 蓮は少し考えた。覚醒から百日。最初の日のことを思い出した。触れるものが全部焦げた。制御できなかった。一人でいた。凛が来た。ダンジョンに初めて入った。根源に触れた。帰れた。手帳に書き続けた。七か所回った夜。ギレンが来た。村瀬が昨夜根源から戻った。


「ここにいます」と蓮は言った。「やることがある間は」


「やることとは」


「村瀬さんの訓練が終わるまで。六人目が来れば、また同じことをする。それだけです」


 凛が少し表情が変わった。「それだけですか」


 蓮は少し間を置いた。「それだけではないですが、今は言いません」


 廊下が静かだった。外で誰かが笑っていた。村瀬の声だった。


「……わかりました」と凛は言った。「言いたい時に言ってください」


 蓮は何も言わなかった。


 言わなかったが、後で言うつもりだった。百日かかった。もう少し先のことは、もう少し先に言える。覚醒した日に触れるものが全部焦げた。凛が来た日から変わり始めた。あの日のことを蓮はよく覚えていた。凛がアパートのドアの前に立っていた。補助具を持っていた。「柏木蓮さんですか」と聞いた。その声が最初だった。百日間その声を聞いてきた。廊下の角を曲がった後ろ姿を見ながら、蓮はそれを考えた。


 凛が角を曲がって見えなくなった。蓮は少しの間そこに立っていた。それから歩き出した。


---


 夕方、御堂が「柏木さん」と呼んだ。会議室に早川もいた。


「剣聖会からの打診があります」と御堂は言った。「測定不能スキル保持者の支援体制を整えたいという話です。六人目、七人目が出てきた時に、早期に発見して訓練できる環境を作る。その窓口になってほしいです。あなたが実際に訓練して根源との接触を生き延びた。その経験を持つ人間が窓口にいれば、次の人間に直接伝えられる。村瀬さんの訓練がそれを証明しています」


 蓮は少し考えた。事務員だった五年間を考えた。笹岡の職場で身についた記録の習慣を考えた。締め切りを数えた習慣を考えた。手帳に書き続けた理由を考えた。振り返れるように。次の人間に伝えられるように。六人目が来た時に同じことができるように。その時に必要なことが、百日分の手帳に全部入っていた。嫌だった五年間も、全部繋がっていた。


「引き受けます」と言った。


「ありがとうございます。訓練に関するマニュアルも作ってほしいという話があります。誰かがいなくても再現できる形にしたい」


「手帳があります」と蓮は言った。「百日分の記録があります。それをまとめます」


---


 夜、部屋に戻った。


 手帳を開いた。最初のページから数えた。百一ページあった。最初の日、蓮が書いた最初の一行は「覚醒した。触れるものが全部焦げる。制御できない」だった。その一行から始まっていた。


 ページを繰った。最初の頃は一行だった。二行になった日が、凛が来た日だった。「補助魔法使いが来た。明日ダンジョンに行く」と書いてあった。三行になった日がダンジョンに初めて入った日だった。根源に触れた日は長かった。一番長いページだった。「根源が何かを言っていた。帰れた。理由がわかった」と書いてあった。五核安定化の日のページは「終わったかもしれない。ただ、外から干渉していたものがあった」と終わっていた。


 クロウが来た日。村瀬を見つけた日。村瀬が施設に来た日。急進派が六人来た日。四十七人を止めた日。七か所を回った夜。ギレンとの決着の日。昨夜の百日目のページを見た。「矢島俊一、木下奈緒、中原拓也の名前を根源に届けた。村瀬が帰った。ここまで来るのに百日かかった。百日でここまで来た」と書いてあった。


 今日のページを開いた。


 書いた。「村瀬が五メートル先の精密制御をクリアした。施設に来てから十七日目。剣聖会との連携を引き受けた。手帳百日分をマニュアルにする。凛さんがここに残ると言った。俺も残ると言った。言いたいことが一つあるが、今は書かない。いつか書く。覚醒から百一日目」


 ペンを置いた。


 窓の外に施設の庭が見えた。食堂からまだ声が聞こえていた。笑い声がした。村瀬の声だった。施設に来た夜は何も笑わなかった人間が、十七日目に笑っていた。蓮はそれを聞きながら手帳を持ったまま少し考えた。


 笹岡の職場を辞めた日に覚醒した。一人でいた。触れるものが全部焦げた。外に出ることが怖かった。何もなかった。それから百一日が経った。今は制御できる。一人ではない。やることがある。五年間が繋がっていた。嫌だった時間が繋がっていた。百一日間が繋がっていた。全部に理由があった。


 前の三人は帰れなかった。俺は帰れた。村瀬も帰れた。その次の人間も帰れる。「繰り返すことには意味がない」と根源は言った。ただ、帰れる人間を一人でも増やすことは、意味のある繰り返しだった。それをこれからやる。


 手帳を閉じた。引き出しから新しい手帳を出した。表紙が真白だった。


 一ページ目を開いた。


 書いた。


「百二日目から始める。昨夜村瀬が根源から戻った。今日は五メートル先を取った。明日は二か所同時の訓練を始める。凛さんはここに残ると言った。俺も残る。言いたいことが一つある。今日は書かない。いつか書く」


 ペンを置いた。


 真白いページに、最初の一行が入った。最初の手帳の最初の一行は「覚醒した。触れるものが全部焦げる。制御できない」だった。今の手帳の最初の一行は違う言葉だった。同じ人間が書いた言葉だったが、百日分違う言葉だった。それでいいと思った。そうでなければ、百日間の意味がなかった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。覚醒から百一日、蓮が手帳に書き続けたことは、次の人間への記録でもありました。根源の言葉を借りるなら「繰り返すことには意味がない」——意味のある繰り返しを選べる人間が一人でも増えるように、百日分の記録は続いていきます。


現在、以下の作品も連載していますので読んでいただけますと嬉しいです。

『AIでよくね?と思って会社を辞めたら死に損ない扱いされ、女神に罵倒されながら「満足」するまで何度も転生させられる件』

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