第12話「御堂さんが、過去の一人を知っていた」
お読みいただきありがとうございます。喫茶店で向かい合った御堂が、静かに話し始めます。二〇〇七年に消息不明となった「測定不能」の保持者は、御堂が「師匠」と呼んでいた人物でした。「几帳面な人でした。書類の端が揃っていないと直す人でした」——御堂の言葉が、十九年前の人物像を浮かび上がらせます。
退職から二十日が経った。
御堂から連絡が来たのは、訓練施設の翌日だった。
「少し時間をいただけますか。管理局への報告は別途確認していますが、直接お話ししたいことがあって」
場所は蓮が指定した。アパートの近くの、静かな喫茶店だった。昼間の平日で、客は少なかった。
御堂は先に来ていた。コーヒーを飲みながらメモを見ていた。入ってくる蓮に気づいて、静かにメモを閉じた。
「ありがとうございます」
「こちらから伺ってもよかったんですが」
「いいえ。今日はこちらの話をしに来ました」
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席に座って注文してから、御堂は話し始めた。
「二〇〇七年の事案の件、早川さんから聞きましたよね」
「聞きました。二十九歳の男性。覚醒から四十三日後に異常が発生して、収束後に消息不明になった」
「その方を、私は知っていました」
蓮は少し間を置いた。
「個人的に」
「師匠と呼んでいました」と御堂は言った。静かな声だった。感情を押し込んでいるのではなく、整理してきた声だった。「私が剣聖会に入った時の先輩でした。当時は探索者ではなく、管理部門の人間でした。数字に強くて、書類仕事が得意な人だった」
蓮はコーヒーを持ったまま聞いた。
「スキルが覚醒したのは、私が剣聖会に入って三年目の頃でした。あの人が二十九歳で、私が二十三歳でした。測定不能というのが出た時、組織は大騒ぎでした。私はその人の側にいたかったんですが、国の管理下に入って、ほとんど会えなくなった」
「四十三日後に、異常が起きた」
「はい。本人が行く前夜、一度だけ電話がありました。『仕事のことは心配するな』と言っていました。翌朝、現地に向かった。それきりです」
少し間があった。御堂がコーヒーを一口飲んだ。
「あの人は、どんな人でしたか」
蓮が聞くと、御堂は少し目を細めた。予想していなかった質問だったのかもしれない。
「几帳面な人でした。書類の端が揃っていないと直す。数字の誤記を三秒で見つける。会議の議事録を誰よりも正確に書く。そういう人でした」
蓮は黙って聞いていた。
「探索者の多い組織で、スキルのない事務職員は軽く見られることがあります。あの人もそうだった。でも一度でも仕事で関わると、誰も馬鹿にできなくなる。あの人が整理した書類がなければ支部が回らないと、誰もが知っていたから」
「スキルが出る前から、そうだったんですか」
「ずっとそうでした。覚醒してからも、変わらなかった。スキルが出た翌日も、いつも通り書類を処理していた。それが逆に——」と御堂は少し止まった。「今思うと、あの人らしかった、と思います」
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蓮は窓の外を見た。
平日の昼間の街が、ゆっくり動いていた。
「それが、あなたが個人的に動いている理由ですか」
「はい」と御堂は言った。「剣聖会のオファーは本物です。組織としての話は本当にしました。でも——もし四例目が現れたとして、前と同じ結末になるのを、組織としてではなく個人として止めたいと思っていました」
「止める方法があると思っているんですか」
「わかりません。十九年間、調べ続けてきましたが、決定的なことはわからなかった。ただ、あの人は一人で行きました。情報も少ないまま行った。今回は——少なくとも情報と人間がいます」
蓮はコーヒーを一口飲んだ。
「教えてくれてありがとうございます」
「あなたには知っておいてほしかった。剣聖会のオファーを受けなくていいですが、これだけは伝えたかった」
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御堂はカップをソーサーに置いてから、もう一つ話した。
「昨日、管理局から情報が来ました。ダンジョン活動の観測データで、首都圏北部の一か所で、通常より高い魔力反応が確認されたそうです。今の段階では『経過観察』です。異常とは断定していない」
「早川さんからは聞いていません」
「今朝の情報です。おそらく今日中に連絡が来ると思います」
蓮はすぐに手帳を出した。
「首都圏北部の、どのエリアですか」
「地名までは把握していません。早川さんに聞けばわかります」
「わかりました」と書き留めた。
御堂がそれを見ていた。
「……記録するんですね、すぐに」
「しないと忘れます。後で状況が変わった時に、何が変わったかがわからなくなる」
御堂は少し笑った。何かを思い出したような顔をした。何も言わなかったが、蓮にはなんとなくわかった。師匠も、そういう人だったのかもしれない。
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喫茶店を出て、蓮は一人で歩いた。
御堂の師匠は「仕事のことは心配するな」と言って行ったきりだった。二十三歳の御堂は、その言葉を十九年間持ち続けた。蓮はその重さを考えた。
答えが出なかった問いを、十九年間持って生きること。剣聖会の本部長補佐になって、四例目を探して待ち続けた。組織の論理と個人の動機が、ずっと同じ方向を向き続けた。蓮にとって笹岡の五年間は重かったが、御堂の十九年間とは、比べるものが違った。
御堂の師匠が「几帳面な人」で「書類の端を揃える人」だったという話が、少し頭に残っていた。覚醒してからも変わらなかった、という話も。
自分も、退職してから記録の癖が抜けない。手帳に書かずにはいられない。怒鳴られないためにつけていた習慣が、今は自分のためになっている。御堂の師匠が「いつも通り書類を処理していた」というのも、似たような感覚だったのかもしれなかった。スキルが出ようと、自分は自分のやり方でしか動けない。
それが悪いことだとは、今は思わなかった。
電話を取り出して、早川に連絡した。
「ダンジョン観測データで首都圏北部に経過観察案件が出たと聞きました。詳細を教えてください」
返信は五分後だった。
「……御堂さんから聞きましたか。はい、今日午前の情報です。場所は埼玉県北部の観測点です。今夜、改めてご連絡します」
蓮は手帳に追記した。
```
・埼玉県北部。ダンジョン観測点。経過観察開始。
・覚醒から20日目。
・前の三例:異常発生まで43日〜60日。
→単純計算で残り3週間〜40日。ただし規則性は保証されない。
```
数字で書くと少し落ち着いた。落ち着いていいことかどうかは、わからなかった。
手帳を閉じて、今日の御堂の話を振り返った。
師匠が「仕事のことは心配するな」と言って行った、という話が、一番頭に残っていた。前夜の電話で言った言葉だ。現地に向かう前夜に、二十三歳の部下に向けて言った言葉。その言葉が何を意味していたのかは、今となってはわからない。心配させないための言葉だったのか、あるいは自分なりに覚悟を決めていたのか。
蓮が退職した朝、エレベーターで振り返った時、凛が「お疲れ様でした」と言った。あの言葉も、受け取った時とは少し意味が変わっていった。最初はただの別れの言葉だと思っていた。今は、三年分の重さを持った言葉だとわかっている。
言葉は、後から重くなることがある。御堂が十九年間持ち続けた「仕事のことは心配するな」も、きっとそういう言葉だったのだろう。
次話:第13話「早川さんから、電話が来た」
観測値に変化が生じ始め、早川からの電話が状況を次のフェーズへ押し進めます。




