第10話「国防省が、二度目のオファーを持ってきた」
お読みいただきありがとうございます。国防省の担当者・音無が、アポなしで蓮のアパートを訪ねてきます。前回の書留の誤りを認め、法的根拠の矛盾も隠さず認める音無。「消えるかもしれないリスクを承知の上での依頼です」——正直にそう言った音無に、蓮は何を感じるのか。
木曜日の午前中、来訪の連絡もなくインターホンが鳴った。
モニターを見ると、スーツ姿の男が二人立っていた。見覚えのない顔だった。一人は四十代前後、もう一人は三十代半ばに見えた。二人とも背筋がまっすぐで、立ち方が官僚的だった。探索者でも民間組織の人間でもない。
「国防省の者です。柏木蓮さんでいらっしゃいますか」
低く落ち着いた声だった。
蓮はモニターを見ながら少し考えた。来庁予約もなく、電話もなく、いきなり来ている。先週の書留の件(別紙漏れ、義務の法的根拠未通知)は謝罪文の受け取りで一旦処理済みとしたが、「義務の具体的な内容」はまだ確認していなかった。来るなら事前に連絡を入れるのが筋だ。
「お約束はありますか」とインターホン越しに聞いた。
「いいえ。急ぎの用件がございまして」
「急ぎであれば先に電話をいただくのが筋ではないですか」
少し間があった。
「……おっしゃる通りです。申し訳ございません。一度だけ話を聞いていただけますか」
謝ったことと「一度だけ」という言い方は評価した。押しつけがましくない。蓮は扉を開けた。
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名刺を見ると「国防省 特別対策局 主任参事官 音無 篤」とあった。もう一人は「同局 担当官 川島」と書いてあった。リビングに通してコーヒーを出すと、音無は「前回の書留の件は大変失礼しました」と先に謝罪した。
「別紙の送付漏れと、法的根拠の不明示についてです。担当者の確認不足でした」
「謝罪文は受け取りました」
「重ねてお詫び申し上げます。本日は改めて、正式な形でご説明とご依頼に参りました」
音無はバッグから封筒を取り出した。今度は別紙が同封されていた。確認すると「スキル管理法 第三十二条 特別協力義務に関する規程(施行細則付)」という表紙があった。ページ数は十二ページだった。
「少し読んでいいですか」
「もちろんです」
蓮は五分間、黙って読んだ。音無と川島は黙って待った。お茶を飲む音もしなかった。蓮が読んでいる間は静かに待つ、という姿勢だった。前職での笹岡は蓮が書類を確認している最中に次の話を被せてくることが多かった。音無はそれをしなかった。
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第三十二条の要点を蓮は整理した。
第一に、「英雄級以上のスキルを保有する者は、国家が定める有事において協力を求めることができる」。
第二に、「協力の範囲は当事者の安全が確保された状態での活動に限られ、強制はできない」。
第三に、「協力を拒否した場合でも、当該スキル保持者に対する不利益処分は禁じる」。
前回の書留に「義務」と書いてあったが、条文の表現は「求めることができる」だった。強制力のある義務ではなく、要請権だった。拒否できる。不利益もない。
「一つ確認させてください」
蓮は顔を上げた。
「前回の書留に『有事の際の要請への応答義務』と書いてありましたが、今読んだ条文には強制力がありません。書留の文面と条文の内容が一致していないように見えますが」
音無の表情がわずかに動いた。
「……書留の文面については、担当者が強い表現を選んでしまいました。正確には『要請に応じることが期待される』という趣旨です。義務という言葉は不適切でした」
「謝罪文にはその点の訂正は書かれていませんでした」
「……おっしゃる通りです。追って正式な訂正文をお送りします」
川島が横でメモを取っていた。
蓮はコーヒーを一口飲んだ。詰問しているわけではなかったが、書類の齟齬を指摘されることは担当官として居心地が悪いはずだ。ただ音無は、顔色こそ少し変わったが、態度を崩さなかった。「それは解釈の問題で」とか「法的には問題ない」とか言い訳をしなかった。
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「改めて、今日の用件を聞かせてください」
「はい」と音無は姿勢を正した。「今回のご依頼は、前回の顧問契約の打診とは内容が異なります。国防省の特別対策局では、ダンジョン異常への緊急対応を専門とするチームを持っています。現在、そのチームへの参加を、スキル保持者の方々にお願いしています」
「チームの構成は」
「現在は探索者八名、魔法使い系二名、医療スキル持ち二名の計十二名です。活動は有事発生時のみで、平時の訓練参加は月一回です。報酬は月額固定制です」
「月額はいくらですか」
「百五十万です」
剣聖会の五百万には遠かったが、月一回の訓練だけで百五十万は破格だった。蓮は感情を出さずに聞き続けた。
「『参加』というのは、どこまでの行動を指しますか」
「有事の際の現地派遣です。ダンジョン核の近辺での活動を含みます」
蓮は少し間を置いた。
「ダンジョン核の近辺というのは、管理局の早川さんから聞いた話と関連しますか」
音無と川島が視線を交わした。
「……スキル管理局とは情報を共有しています」
「つまり、過去の三件の記録もご存知の上で来ているということですか」
「……はい」
「過去の三人は、ダンジョン核の近辺で消えました。それを知りながら私に同じことを依頼するということですか」
音無が息を吐いた。言い訳の息ではなかった。言葉を整えるための間だった。
「柏木さんがそこまでご存知だとは思っておりませんでした」
「早川さんが教えてくれました」
「そうですか」
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「正直にお答えします」と音無は言った。
「過去の三件については、当局も詳細を把握しきれていません。三人が核に接触して戻らなかったことは事実です。ただ、なぜ戻らなかったかはまだ解明されていない。今回の依頼は、その解明にも繋がると考えています」
「私が消えるかもしれない、という前提で依頼しているんですか」
「消えてほしいとは思っていません」と音無は言った。「ただ、リスクがゼロとは言えません」
蓮は音無の顔を見た。
笹岡は自分のために来た。桐嶋は怖くて来た。御堂は個人的な興味で来た。早川は仕事として来た。そして音無は——嘘をつかなかった。リスクを隠さなかった。今まで蓮に接触してきた全員の中で、「消えるかもしれない」という可能性をこちらが口にした時に肯定したのは、音無だけだった。
「義務と権利のどちらが優先されますか」
「……どういう意味ですか」
「条文には、国が要請する権利と、私が拒否できる権利の両方があります。有事の際にその二つが衝突した場合、国はどちらを優先しますか」
音無が沈黙した。
長い沈黙だった。川島が横でペンを止めていた。
「……現行の法解釈では、個人の拒否権が優先されます」
「それは確約できますか」
「法的には、はい。ただし、有事の規模によっては政治的な圧力が生じる可能性は否定できません」
また正直な答えだった。
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「今日の話は断ります」と蓮は言った。「ただ、今後も検討する気はあります。条件として、過去の三件の詳細情報を私に開示してほしい。今の情報では判断の材料が足りません」
「開示できる範囲は限られますが、努力します」
「努力ではなく、開示できる情報と開示できない情報のリストを作ってください。何がわかって何がわからないかを明示した上でなければ、判断できません」
音無が少し目を細めた。怒りではなかった。むしろ何かを確認するような顔だった。
「……わかりました。開示情報のリストを作成して、次回お持ちします」
「よろしくお願いします」
「一つだけ聞いていいですか」と音無は言った。
「はい」
「あなたは——なぜそんなに情報の精度を気にするんですか。多くの方は、報酬や条件で判断されますが」
蓮はコーヒーカップをソーサーに置いた。
「前の職場で、情報が不正確なまま動かされることが多かったんです。笹岡さんが言ったことを信じて動いて、後から前提が違っていた、というのを何度も経験しました。それ以来、判断の前に情報を確認するのが習慣になりました」
音無がわずかに頷いた。
「……そういうことですか」
「正確な情報があれば、判断できます。ないと判断できない、というだけです」
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二人が帰った後、蓮はノートに記録した。
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・国防省 音無篤 主任参事官 来訪(二度目)
→危機対応チームへの参加要請
→月額150万、月1回訓練、有事の際の現地派遣(核近辺)
→「消えるかもしれないリスクを認識した上での依頼」と認める
→断った
→条件:過去三件の開示情報リストを次回持参を約束
→「義務と権利の衝突時、個人の拒否権が優先」を確認
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書き終えて、コーヒーを一口飲んだ。
今日来た人間は正直だった、と思った。リスクを隠さず、法律の矛盾も認め、わからないことはわからないと言った。それは蓮にとって重要だった。嘘をつかれた状態で判断するより、不都合な事実を知った状態で判断する方がずっといい。笹岡の下で五年間、「わからないこと」を「わからない」と言えない環境にいた反動で、そう思うようになっていた。
決めるのは自分だ。ただ、正確な情報を持っている人間の話は聞く価値がある。音無は次にそれを持ってくると言った。
それで十分だった。
手帳に追記した。
「音無:信頼できる可能性あり。次回の情報開示を確認すること」
「川島:記録担当。発言なし。メモの速さからすると事務能力高い」
「国防省が知っている情報と、知らない情報を分けること。開示リストで確認」
そう書いてから、窓の外を見た。
昼の空気が静かだった。有給消化も終わりに近づいている。来月からは完全に無職になる。退職金は三ヶ月分。貯金と合わせれば一年は動ける。その間に何をするかは、まだ決まっていなかった。管理局との練習、国防省との交渉、御堂の動向の確認。やることは増えていた。ただ、笹岡に怒鳴られて動く日々よりも、自分で判断して動く日々の方が、ずっと静かだった。
ただ、動く前に正確な情報を集める、という手順だけは守る。それは五年間で学んだことで、これからも変わらない。
音無が次に何を持ってくるか。それを見てから判断する。「測定不能」のスキルを持つ人間として、どこに関わり、どこに関わらないかを決める権利は自分にある。条文がそう言っていた。それで十分だった。
次話:第11話「初めて、魔法で誰かを助けた」
管理局の訓練施設で、凛の補助魔法を使った制御実験が始まります。「出す」と「止める」を同時に意識することの、難しさと発見。




