Angel
榊原蓮が明を見たのは、ほんの偶然だった。学内の有名人とはいかなものかと、ほんの少しの好奇心で顔を出してみただけなのだ。とはいえジャンル的には、親子ほど歳が離れた兄のお眼鏡にかなうわけもないだろう。しかしもし自分が気に入れば、せめて自分のバースデーパーティーには呼ぶことを許されるかもしれない。
(いや、多分ダメだろうなぁ。兄貴頭固いし)
そもそも大学入学も「うちの者が通うにはレベルが低すぎる」と揉め、髪を染めたときも「相応しくない」と兄弟喧嘩が絶えなかった。蓮の家柄は旧華族であり、家系を辿れば「伯爵様」と呼ばれていた。戦後の財閥解体の影響を受け、爵位を剥奪されたとはいえ、先祖代々の盛り返しでかなり裕福だ。父を亡くし、当主となった兄はとにかく蓮の動向に口を出し、いつも蓮の反骨精神がこじれていった。しかし文句を言いながらも学費を出してもらっている手前、蓮も兄を無下に出来るほどぐれられなかった。
「えー、本日我らのボーカルが、ちょっと病気しまして、来られなくなりましたぁ……」
ベースを持ったメンバーの申し訳なさそうな声と、ブーイングの嵐。余程期待されてたことが雰囲気から分かる。
「ああでも、代理も悪くはないと思うので、一度聴いてやってください! 文句は言わせません!」
蓮は一瞬で気付いた。十年前富良野へ家族で避暑に行った際、出会った少年だと。彼は父の所有するラベンダー畑で、右往左往していた。
「お母さぁん! 帽子が飛んでっちゃった~!」
見れば確かに麦わら帽子が畑の真ん中まで入り込み、ラベンダーに被さってなお、ひらひらと揺れていた。母親らしき女性は溜め息をつき、
「あんなに遠くに……。どうしたものかしら……」
拾いに行きたい、かといって行きづらい。母親もまた右往左往していた。
「おれ、取ってくるよ!」
気付いたらそう言っていた。母親の申し訳なさそうな「でも……」にも
「大丈夫! ここの畑、おれん家のだから!」
と畑のラベンダーを掻き分けながら、蓮は足を進めた。やがて麦わら帽子を手に取ると、同じようにラベンダーを掻き分けて近付いてきては、
「ほら、もう落とすなよ」
と、年下の少年に被せた。
「ありがとう!」
と笑う少年の笑顔を、蓮は忘れたことはない。
それから蓮は夏休みを少年と過ごし、まるで兄弟のようだった。夏休みの終わりに先立って帰らなければならなくなった日はどれほど泣きあったか。それでも翌年の再会を約束して、飛行機に乗った……。
しかし程なくして父が亡くなると、畑を売ることになり、蓮と少年は文通しか連絡手段がなかった。しかし少年も色々あったようで、いつしか手紙も途絶えていた。
本当は蓮は心底会いたいと思っていた。一度また富良野に行ったのだが、高校進学を期に入寮のため引っ越したと聞き、愕然とした。その瞬間、彼に向けていた気持ちの正体が分かった気がした。
長らく会えていなかった少年が、昔の面影を残しながらも、麗しく成長して目の前に戻ってきた。ステージで歌う彼の姿に、身震いするほどだ。蓮は思わず舞台裏まで駆け出していた。
(明……! 俺にはとても長い十年だったよ……!)
蓮が舞台裏に着いたころには、かつて愛した少年は担架に乗せられ、医務室へと運ばれていた。
「ウソだろ……?」
蓮は運ばれていく明を追いかけ、医務室まで駆け込んだ。
「明!」
せっかく会えたのに! 蓮はベッドに寝かされる明の手を取り、祈るように項垂れた。




