Overture
針生大学。ここの学生・教授たちには悩める問題があった。いつしか住み着いたらしい不審人物が、学内や学生寮を闊歩しているらしい。彼は学園祭のころになると特に目撃されており、その姿を見た者は必ず証言している。
「またあの白仮面が?」
「そうらしいよ」
前夜祭後も目撃者が立て続けに現れ、中には恐れの余り泣き出す者もいた。白い仮面はどうやらバンドや管弦楽、コーラス部のパフォーマンスを好むらしく、決まって「席を予約指定」した手紙を置いているのだ。今回も白井慈の所属するバンド、「マスカレード」の間でも話題に上っていた。
「僕も見たよ。笑ったような仮面が浮いてた。ちょうど久米がステージに上がった時に……」
慈のやや幼さを感じる顔が、指が、会館の入り口の上へと向かう。ベース担当の反町が、肩を震わせた。
「マジかよ! 全然気付かなかった!」
「俺も見たよ。……ずっといた。久米が倒れるまで」
ドラムス担当の鷲見も、長めの黒髪をすきながら、同じ場所を見上げていた。
「俺、久米に気を取られてたからさぁ。マジビビった」
「上手かったよな」
「マジあり得ない!」
慈が声を上げた。
「あいつ高校んときはむしろ下手なほうだったよ! だから楽器持たせたのに……!」
「……軽部先輩もまさか本番に出られないとか、災難だったな……」
ああ、と、鷲見が同意した。
「喘息の発作だっけ? とりあえずは大丈夫そうだけど……」
軽部涼太。メンバーは誰しも恐れていた。所謂「イケメン」で、「マスカレード」を立ち上げた四年生であり、五オクターヴ半は出るかと思われる歌唱力の持ち主だった。学内外問わず地元では有名で、芸能プロダクションのスカウトマンがわざわざ見に来たほど。本人もそれを鼻にかけてはいて、既にプロダクションに所属していることもあり、すっかり芸能人気取りで、「マスカレード」のメンバーも最早彼に取ってはその他大勢のはずだった。メンバーが定着しないのも、偏に彼のいびりに耐えきれなかったからである。
しかし、メインでもあるボーカルが病に倒れたとあっては、と、前夜祭のパフォーマンスもやめたほうがとも思った。そんな折だった。
「久米歌ってみる?」
慈の冗談交じりの提案をまともに受け、高校からの同級生でもある久米明は、マイクを取った。慈はまさか本気にするとは思っておらず、顔を覆いたくなっていた。しかし鷲見のドラムス、反町のベースが入ると、必然的にキーボードを走らせざるを得ず。
空気が変わった。軽部とのセッションはそれとして、明の歌唱力も決して負けてはいなかった。むしろ軽部にはなかった優しげな美声が、新たな曲の解釈を生んだ。軽部がマイケル・ジャクソンだとするなら、明はジョン・レノン。方向性の違いはあれど、新たなボーカルとして迎えるには十分だった。
そして本番を迎え、軽部のいない「マスカレード」への期待はずれの声も聞こえていたが、明が歌い始めると、期待していなかった分更に彼への声援が止まらなかった。まさしく新たなスターが生まれたと言わんばかりに、明のパフォーマンス後の拍手喝采は鳴り止まず、一人の学生が舞台裏へと駆け出すまでに。
しかし、今まで自分には向けられてこなかった拍手の渦に、明は全く慣れてはおらず、異様な光景に過呼吸を起こし、倒れたのだった。
「久米!」
メンバーが駆けつけるも、明は返事さえしなかった。
「医務室!」
気を利かせた学生が担架を運び出し、明の体を「せーの!」と、複数人で乗せる。一連の光景を慈は青ざめて見るしかなかった。まるで大学に来てから、明の様子は変わってしまったのだ。綺麗な顔ではあるのだが、どこかぼうっとしていて、危なっかしくてやきもきするほど。とはいえ別段コミュニケーションが苦手というわけでもなく、童顔の「慈ちゃん」を唯一「白井君」と呼び、仲は悪くなかった。しかし大学に入ってからは、髪色は明るくしながらも、まるで周囲との距離を取っているようにも見え、また慈の心をやきもきさせていた。
そして舞台裏まで駆けつけた学生が、担架の明にぎょっとした。
「ウソだろ……!?」
柔らかい金髪が、担架を追っていった。




