第36話『いたいのいたいのとんでゆけ』
美紀が夜中のベッドで、体を動かそうとしている。
しかし、体が動かない。
金縛り。
“動けない…”
助けを呼ぼうと口に力を入れても、唇すら動かない。
“小夜ちゃん、助けて〜…”
涙を流しながら祈っていると、誰かが入って来たかと思っている途中で体が動く様になった。
「金縛りは解けた?」
小夜が助けに来てくれた。夜中の二時にも関わらず。
「あっ、ありがとう小夜ちゃん……」
最近になって美紀が心霊スポットに行きたがるのが理由なのかは分からないが、何故か今日だけ霊現象が発生した。
それを知ってる小夜は冷静に、
「今ここで動かなかったから、悪量に目をつけられなかったみたい。命拾いしたね、美紀」
「ちょっ… ソレどういう状況なの?」
人間としての霊格が最高ランクの小夜と共に過ごす内に、美紀の霊格も日に日に上がって霊感が覚醒してきている可能性。
それが美紀が金縛りに遭った理由の一つかもしれなかった。
しかし、今夜以降金縛りは起きなくなった。
「これで買い物は終わりだね。後は神社に帰るだけ…」
帰りの途中で、道路の上で泣きじゃくる女の子となだめる母親を見かけた。
「ほら、泣かないの。いたいのいたいのとんでけ〜!」
「…っ!」
その時、小夜の目が女の子から何かが出て行く姿を見た。
“い、今のは…?”
どこかへ飛んでいくのかと思えば、近くの電柱に佇み悲しそうな表情を浮かべる。
女の子と母親が去ってから、小夜は恐る恐る何かに近付き、話しかけた。
「あ、あの〜…」
相手が小夜の声を聞き、小夜を見た。
「…っ!」
相手は小夜が巫女装束を着てる事に対してビクッとしたが、警戒しながらも返事をしてくれた。
「ア、アナタ私が見えるの…?」
「えぇ、まぁ… もしかして、妖怪じゃないとか?」
相手は電柱の陰に隠れながら正体を教えてくれた。
「そうよ… 私は妖怪じゃなくて幽霊。巫女のアナタなら分かってるかもしれないけど、私は憑依霊のイタイちゃん。さっき見た通り、私には人の人生を壊す程の力は無いわ」
小夜は子供がケガで泣いていた場面を思い出した。
ヒザがすりむけて血が滲んでいたが…
「あなたはあの時、さっきの女の子に憑依してたの?」
「違うわ。人じゃなく傷口よ。私は体に傷がある人にしか憑依出来ないの。転んだり、紙で指を切ったり、鼻血を出したり… そういう人にしか憑依出来ないから、私は体だけでなく、心まで痛くなって来た…」
胸を抑えて、泣きそうな表情を浮かべる…
「……一人は痛いよ〜」
霊は小夜の目を睨む様に見ながら、
「同情ならいらないよ。本物の巫女は心身共に強いって聞いてるからね。どうせ『人を傷付けた事には変わりない』って、退治するんでしょ?」
「そんな事はしない」
小夜は若干強い口調で反論した。
「確かに私、昔は悪霊や地縛霊に、凶悪な妖怪を退治してきたけど、あなたはまだ何も悪い事をしていない。傷口にしか憑依出来ないんでしょ? 誰かがケガしない限り、誰にも憑依出来ないんでしょ? あなたは何も悪くないよ… 約束する、私はあなたを絶対に退治しない。反対に、あなたの心の傷を癒すよ」
小夜は霊に対して感じる恐怖を隠しながら、霊と約束を交わした。
霊は疑いの目を向けながら、
「私はそんな口約束、信じないよ… どうせ、私がいたら邪魔なだけだし…」
小夜は一つ何かを決意し、霊の肩に手を当てて、
「事情は分かったよ。それでも、私はあなたに危害を加えるつもりは無い。これは嘘じゃないから」
小夜はその場に膝をつけて座り込み、腕まくりで左腕を陽の光の下に晒した。
「ちょっ… 何を––––」
すると小夜は、迷いなく左腕をコンクリートの路面に押しつけ、歯を食いしばって一気に擦り付けた。
「…………っっ!!!!」
霊は小夜の自傷行為の生々しさを前に、口に手を当ててしまった。
「ちょっと…!! いくら何でもやり過ぎよ!!」
小夜の左腕の傷口に砂利や小石が混じり、血が滲んでいる。
買い物袋を右手で持ちながら霊を見た。霊は小夜の行動に戸惑いを隠せず、小夜の傷口を見ながらオロオロしている。
「何やってるの…!! 自分がちょっと関わっただけで、自己犠牲に走る事ないじゃない!!」
小夜は巫女装束に血が付かない様に袖をまくって固定しながら、左腕を霊に差し出した。
「さぁ、傷口を作ったよ。これであなたは私に憑依出来るでしょ…?」
よく聞くと、小夜の息遣いはかすかに乱れていて、痛みに耐えている様な表情を浮かべていた。
霊は小夜が作った傷口を見ながら、
「どっ…… どうしてそこまで私の為に……!!」
小夜は今出来る限りの笑顔で答えた。
「私は巫女だよ。清き霊を成仏させるのも私の務めだから」
小夜は除霊効果のある札を見せた。霊は複雑な気持ちにかられたが、自分の為だけに犠牲になった小夜を思うと、涙が出てきた。
「うわ〜〜〜〜ん、お姉ちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
霊は泣きながら小夜の傷口に憑依した。
その瞬間、小夜の痛みとは別の『痛み』が小夜を襲った。
霊としての体の痛み。
傷付いた人にしか憑依出来ない、そんな自分に対する心的外傷。
…左腕が痛い。
小夜は今まで感じた事の無い激痛に耐えながら、神社へと足を動かした。
『ねぇ、大丈夫…?』
「大丈夫だよ… 大丈夫…」
小夜と傷口にいる霊は神社を目指して、さらに歩いていく。
「…………」
小夜は何も喋らずに、ただひたすら歩く…
『…………』
霊も喋らず、小夜が感じている痛みを感じる…
道中、何人か高齢者から心配される一部始終を見た霊を感じていると、小夜の感じる痛みが若干和らいだ気がした。
「もうすぐ神社に着くね… そう言えば、絆創膏とか貼ったらどうなるの?」
霊は傷口の目の前で答える。
『そしたら、私はしばらく出られなくなるわ。でも、もし傷口が塞がっても他の傷口が出来た瞬間に、私はそこに行く事が出来るの』
「そっか…」
神社に戻って、右手で玄関を開けて草履をゆっくり脱いだ。
「おかえり小夜ちゃん! 今日は遅かったね」
美紀は小夜の左腕の傷口を見て、色々と察してくれた。
「大丈夫? 水で傷口を洗って包帯でも巻く?」
「ううん。水で洗うけど、包帯はいらないから」
「え…… いらないの?」
「うん。傷は深くないから、大丈夫だよ」
買い物袋を食卓のテーブルに置いて、買った物を整理していると、美紀が心配そうな顔をして手伝ってくれた。
『これから料理をするの…?』
「うん」
「えっ、小夜ちゃん…?」
美紀に聞かれていた。小夜は独り言だと説明したが…
「嘘だッ! きっと小夜ちゃんの事だから、近くに霊がいるんでしょ!?」
バレてた。
「私も見たい!」
予想の斜め上の発言だった。
「見たいって… 美紀には見えないと思うよ? 悪霊とかじゃないから、美紀の目じゃ見えないと思うけど…」
美紀は小夜の左腕を見て、自分の左腕を見た。
「……小夜ちゃん」
「何?」
「……いや、やっぱ何でもないよ」
美紀は続きを言わずに部屋へ行ってしまった。
小夜は美紀が部屋に入ったのを確認してから、霊に話しかけた。
「ねぇ、これから境内の掃除をするから、人がいない時に話しかけてね」
『分かったわ…』
しばらく黙って、
『…あのさ、痛くないの?』
小夜は止血しきった左腕の傷口をさすりながら、
「ううん。痛いよ、ものすごくね」
やせ我慢していた事を知った霊は、小夜が掃き掃除をしている様子を黙って見る。
参拝に来た方から傷の心配をされ、小夜に取り憑く霊の心は普段と違う痛みを感じた。
血はもう出なくなったが、傷口の範囲が広く、風に当たると傷口がかすかにヒリヒリと染みた。
「おねーちゃん、大丈夫ー?」
とうとう小さな女の子にも心配される様になってしまった。
『…………』
霊は傷口を隠さずに働き続ける小夜が、可哀想に思う様になった。
‘あぁ… この子は沢山の人に愛されているのね…… それを知らなかったとは言え、私は人間に同情してもらおうと人間に話しかけてただなんて……!!’
『もうやめて!! もう良いの!! 私はもう痛がるのをやめる!! 一人を怖がらない!! 絶対に!!』
霊は小夜の体から飛び出し、左腕を掴んで心から叫んだ。
小夜は霊の心の叫びから、強い心を感じた。小夜は左腕に手を当てて叫んだ霊の目を見て、
「あ、そう? 私、何か手助け出来たかな?」
『出来てるよ… 私は自分勝手だった。自分だけが傷を持ってると決め付けて、周りの人達の事を考えないで憑依してた所為で、その人達の綺麗な心を私が傷付けてた…… けど、あなたに憑依して初めて解ったの。私が傷付いた人間に憑依する意味を……」
霊は小夜の左腕を優しくさすりながら自分なりの答えを説いた。
「人との結びつきを作る為の架け橋」
「傷付いた人と、手を差し伸べる人」
「私は、人と人との『愛』を育む為に生まれたんだと思う」
霊が流す涙が、小夜の左腕に垂れる。
小夜は霊の頭を黙って撫でる。
「人は誰しも、生まれながらにして生きる理由がある。それは、幽霊も同じ。幽霊にしか出来ない人間への手助けの仕方があるはずなんだよ…… 私は、今日から人にただ憑依するだけじゃなく、その人の痛みを癒す霊になる」
霊は真っ直ぐな目をして、
「約束する」
強い口調で約束した。
小夜と霊はお互いの目を見る。霊は小夜に取り憑いて、小夜が霊を抱えて生活しようとした事に心打たれ、一方で小夜は霊に体の一部を貸した事で、霊に対する意識が変わった。
霊は人間を。
小夜は幽霊を。
同じ存在として……
今、認めた。
『…それでね、私をアナタの傷口から離す方法なんだけど… 『呪文』が必要なの』
「呪文…?」
「そう… 『いたいのいたいのとんでゆけ』…… これは誰かが言わないといけないの。そうすれば、アナタは私から解放されて楽になる。でも… アナタはもう立派な巫女。自立したアナタに愛を注いでくれる人なんて…」
「そんな事はないよ」
小夜は自信満々に答えた。
「私のそばには明るくて、お喋りで、人に優しく接してくれる素敵な子がいるから」
小夜が喋り終わったタイミングを狙ったのかは分からないが、美紀がもう一度小夜を心配しながらやって来た。
「ねぇ… やせ我慢とかしてない? 大丈夫?」
小夜は一瞬で考え、美紀に『呪文』を言って貰おうと演技を始めた。
「ん〜… さっきまで大丈夫だったみたいだけど……」
霊とアイコンタクトをとり、続きを言う。
「私に付きまとう霊は、どうやら人間に小さな傷を付けて楽しむイタズラ好きな霊みたいで…… 耐える時間が長引く程、痛みが強くなってきて… いっ、痛い……」
美紀は夢中で小夜に駆け寄り、左腕に触る。
「それでね、私の勘だと痛みを何処かに飛ばさないと駄目だと思うの。それも、私に関わった他人にしか出来ないはず。ねぇ、美紀… 美紀の優しさで私に取り憑く霊を追い払ってくれる…?」
「任せて! 痛みを飛ばせば良いんだよね?」
美紀は小夜の左腕を右手で掴んで、もう片手を小夜の傷口にそっと触り…
「痛いの痛いの〜…… 飛んでゆけー!!」
その瞬間、小夜の左腕に集中した痛みがほとんど無くなった。
小夜は空高くへ飛ばされる霊を見て、笑顔で見送った。
“元気でね、イタイちゃん…”
その隣で…
「痛いの痛いの〜…… とんでゆけー!!」
美紀の変なスイッチが入り、発音も若干おかしくなってきた。
しかも大声。
「もう良いって… 恥ずかしいから……」
参拝者に見られて恥ずかしがる小夜に気付かず、美紀はあと六回「痛いの痛いのとんでゆけ」を繰り返していくのだった……
霊『私の名前はイタイちゃんなのに、霊ってクレジットになってる…』
小夜「何でだろうね…? いちいち名前の記入があるからくどいとか?」
霊『やっぱり、私はそういう霊なんだ……』
小夜「戻ってる…」




