手土産です
大変お待たせ致しました。
コント回其の弐で御座います。
永遠にも等しい苦痛の時間を、ただ眼を瞑ってやり過ごす。
すると、肌にピリピリとした痛みを感じ、本能に何かが語りかけてきた。
ふっと眼を開け視線を2人に戻すと、2人はすでに異変に気がついていたようだった。その瞳に、僅かに鋭さが混じっている。
「どうやら、その必要はなくなったようですね……」
「全くね。困った坊や達だ事……」
口調は軽く、その秀麗な顔には笑みさえも浮かべていたが、その瞳には依然として鋭い光が宿っていた。
濃密な圧力が、室内を満たす。
楓李の額に汗が滲む。
圧倒的な力の奔流。
――これが、この学園を統べる、大妖の力
少しでも気を抜けば崩れ落ちてしまいそうなほどの威圧感に、楓李は気を振り絞って耐えていた。
主の一挙一動を見逃さぬよう神経を集中させていると、彼の耳に主の声が届く。
「~っ!!もうっ!!計画が台無しじゃないっ!!」
「全くですねぇ……。せっかく何度も話し合って決めていたのに……」
あったまくると地団太を踏む刹那と、悲しげに呟く千歳。
「そうよね!!私なんて、この日の為にここ何日もずぅ~っと夜も寝ずに昼寝して考えまくっていたのよ!!」
「あはははは。ヴァンパイアとしてはとても規則正しい生活ですねぇ」
まぁそうだったわねぇ。うふふ~。
全くですよ。あはは~。
2人の声が何処か遠くから聞こえている気がする。楓李は、さっきとは違った意味で崩れ落ちそうになった。
先程までの圧力は消え失せ、緊張感と共に一瞬にして粉微塵に粉砕されてしまった。最早顕微鏡でも見ること叶うまい。
どうしてこの2人には緊張感というものがないのだろうか。
現に今も、実に楽しそうに語り合っている。
「おや。上手く結界の外に連れ出しましたねぇ」
「幻術に追尾に目くらまし。最低限の能力しか使っていないのに、大したもんだわ……」
「美雨を無力化した後で、羊自ら出てきてもらう……。1番理想的な手段ですね。結界は広和の者は入れませんが、常盤の者が出ることは出来ますし」
「恐ろしいまでに陰険に計算しつくされたやり方よね」
「まぁ、それが彼の能力ですし」
「アンタもね……」
そこで言葉が途切れ、しばし無言で睨み合う。刹那の瞳はとても鋭く、それに対する千歳の瞳もまた……。
2人の間には、先ほどとは比べ物にならないほどのピリピリとした空気が流れていた。
「その面の皮の厚さも狡猾さも、狐のお家芸でしょう?キツネ山の大将の貴様が、あの程度の芸当が出来ぬはずがない」
凛とした、美しい声が響く。その声は、絶対零度の冷たさ、射抜くような鋭さを含んでいた。
眼差しも、それに劣らず鋭く冷たかったが、彼はその視線に臆することなく、酷薄な笑みを浮かべる。
それはその秀麗な容姿と相俟って、見る者全てを引き付けるほど美しかった。
「お前、何を考えているの?へらへらと笑っている振りをして、その頭の中では随分と善からぬことを考えているのでしょうね?」
少女の血よりも真っ赤な口唇が、ゆっくりと弧を描く。
「あんな小童よりもお前のほうが余程厄介だわ。この……」
「……………」
「……………」
「……………」
「………だぁっっ!!……何で……っ!!」
その拳がふるふると震える。
「何でアンタ女じゃないのよーーーーーっ!!!」
少女の魂の叫びが、乙女ちっくな部屋にこだまする。
「ここはこの女狐がっ!!って吐き捨てるように言った方が格好いいのよっ!!なのに台無しだわ!!どう責任とってくれるのっ!!」
びしぃっと指を指されるが、彼は動じた様子もなく、にこやかに応対する。
「申し訳御座いません。生まれもった性別はどうしようもなく……。姫の希望は成るべく叶えて差し上げたかったのですが……」
そう言って、切なげに俯く。
「男狐なんて言葉はないのよ!!今からあんた女になりなさい!!女に!!その紛らわしい顔なら充分いけるわ!!」
「すみません。美し過ぎて」
その、全く噛み合っていない会話を受け流しながら、楓李はぼうとその光景を見ていた。但しその瞳には何も映ってはいなかったが。
最早彼の意識は忘我の域に達していた。意識を何処か遠くへ飛ばしながら、目の前で繰り広げられるコントが終わる時を、ただひたすら待ち続けていた。
その威圧感は凄まじいものだった。
――当然だ。
あの2人が本気でやり合ったら、こんな小さな学園など塵一つ残らない。学園中に張り巡らされた強固な結界ごと吹き飛ばされてしまうだろう。
ただ問題は、なぜその力をコントにしか使えないのかということだ。
あとほんの少しだけでいい。緊張感を持って欲しい。
あ10秒だけでいい。真面目な顔を保って欲しい。
それは贅沢な望みなのだろうか。
密かにそんな願いを抱いているのだが、そのささやかな願いは未だ聞き届けられてはいない。
現に今も、目の前の2人は元気にじゃれ合っている。
「おや。矢張りサンビは直接関わるつもりはないようですね。ふふ。余程姫が怖いと見える」
「失礼ね。今の言い方からすると、アンタの方じゃないの?こんな可憐な美少女をなんで怖がるのよ」
その言葉に、ふと視線を目の前にやる。
「取り敢えず、彼を罰せずにすんで良かったですよ。一応逃げ道は用意されていますし、羊の安全にも気を配ってくれたようですしね。」
「逃げ道っていっても、かなり際どいわよ?間に合わなければ意味はないし」
「真紅が向かっております。問題ないでしょう。一応私のコも向かわせます。直接サンビが関わっていないのであれば、あの子たちでも充分です」
2人の会話を聞きながら、訝しげに眉を寄せる。
自分の能力は、種族柄もあるのだろうが、戦闘に特化している。2人のように器用な使い方は出来ない。
故に彼らと同じものを見ることは出来ず、従って、会話から推測していくしかないのだ。
「サンビは放っておくと?」
副官の問いかけに、刹那は当然という顔をして答える。
「一応アレは敵ではないわ。アレの仕事が羊を結界の外へ連れ出すことであるというのなら、もう仕事はお終い。これ以上は関わらないでしょうしね。」
「彼のあれは趣味ですからね。全く……あの困ったクセさえなければ常盤に移せるのですが」
千歳が苦笑しながら答える。
「楓李。」
主の短い呼びかけに、背筋を正し意識を集中させ、次の命に備える。
「お前はその雑魚共をひっ捕らえなさい。万が一羊の護衛が間に合わなければ、その身の安全を第一とすること」
いいわね、と締めた主に、御意と短く答える。会話など、説明などこれで充分。
主の望みは、和を乱す屑共の身柄……。
命を遂行するため、身を翻そうとする。
その足を、短い言葉が止めた。
「……待って下さい」
言葉の主を振り返ると、彼は滅多に見れぬほど真剣な眼差しをしていた。
「1番、大切な事を、忘れていました……」
そう言うと、彼は懐に手を入れ――
何処に仕舞っていたのか、大きな風呂敷を取り出す。
ここは不思議が飛び交う、非日常的な場所。
従って、その細い体の何処にこのような巨大な物体を隠していたのかなんてことを気にする者はいない。
「……手土産です……」
鋭い眼差しと声で続ける。
その様子にごくりと喉を鳴らし、刹那はゆっくりとその物体に手を伸ばす。
楓李の鋭い嗅覚は、その緑の包みから異臭を感じていたが、刹那は全く構う様子はない。恐る恐るといった様子で風呂敷に手を掛け、一気に結び目を解く。
すると、これまた明らかに風呂敷におさまりきれないほどの赤い物体が飛び出してくる。
ここは不思議な以下略。
従って、風呂敷の大きさの数倍はあろうかという量の物体がばらばらと落ちてこようとも、不思議に思うものはいなく。
その物体を目にし、刹那は瞠目した。
「こ……これは……!!」
千歳の瞳が妖しく光る。
「だ……大仏堂のキムチラーメン……っ!!」
「……気に入って、頂けましたか……?」
「気に入るも何もっ!!どうやって手に入れたのっ?!ネット予約をしても手元に届くのは3年後といわれている幻のキムチラーメンっ!!」
その秀麗な容貌に驚愕を張りつかせ、刹那は千歳を問い詰める。
ここは妖と人間との共存を目指す場所。
従って、妖がネットなどという単語を以下略。
「少々伝手が御座いまして……。姫は豚骨派であることは重々承知しておりますが、貴女はまだお若い。たまには冒険もしてみるべきかと」
その台詞に、冷笑しながら答える。
「甘いわね。この私を誰だと思っているの?塩・味噌・醤油!!全てを網羅しているに決まっているでしょう?」
「流石です、姫。感服致しました」
「ふん。これに免じて許してあげる。グッジョブという言葉を送って差し上げるわ」
「有り難う御座います。姫の居城を訪れるのですから、このくらいの手土産は必要かと」
一連のやり取りを見ていた楓李は、何故自分がこの場に留まっているのか分からなくなり、取り敢えず主の命を遂行すべく、再び踵を返そうとする。
しかし、再び背後から声をかけられ、足を止められる。
「楓李殿。姫にお茶でも入れて差し上げて下さい」
苛立ちを隠そうともしない鋭い眼差しを向けられても、千歳は微笑みを崩すことなく。
「貴方の出番はまだ先です。ウチには優秀な人材が揃っていますからね。羊の為にも、彼女達の能力を見せ付けて差し上げた方がいい。……特に、真紅のね。……ですからここは、譲って頂けませんか?」
緊迫した空気が流れ、ピリピリと肌を刺す殺気が飛び交う。
「安心して下さい。下手人はちゃんとあなた方に引き渡しますよ」
その言葉を聞いて、刹那が口を挟む。
「下がりなさい。楓李」
渋々といった様子で下がる楓李を片端に捉え、そのまま視線を千歳に向ける。
「痴れ者はこちらに引き渡して頂けるのでしょう?」
「ええ。五体満足で御引渡ししたほうが宜しいですか?」
「息があればそれでいいわ。腕でも足でも好きなだけ持っておいきなさいな」
ああでも口はきけた方が宜しいかしら、と妖艶に笑む。
その様子からは、先ほどまでラーメンだサプライズだと騒いでいた姿は微塵もなく。
「御随意に」
そう言って、千歳は優雅に身を翻した。
千歳の姿が消えた後、刹那はうきうきと指示を出す。
「楓李、お茶を入れなさい。さっそく味見をしなくちゃ!!」
「……まだ、食べるんですか?」
「なに?あんたも食べたいの?」
「……要りません」
「お茶を入れたら、地下牢の準備をなさい。痴れ者共を入れておかなくちゃね」
本当に口が利けるかどうかも怪しいものね。そう言って微笑む姿は、その可憐な容姿には似合わず妖艶で、ただただ眼を奪われてしまうほどに美しかった。
「お前の出番はそれからよ。楓李」
「……は」
自然と頭を垂れる。
あの忌々しい狐の言う通りに動くのは癪だが、主の命に間違いはない。
取り敢えず目先の仕事から片付けるべく、茶器へと手を伸ばした。
元タイトル「両雄、相対す……?」
……両雄で御座います。確かに相対しております。しかし首を傾げたくなるのは仕方がないと思います。
楓李さん御一人が大変そうです。