第191話 再会の約束
聖女リシア・フォン・アルトリア視点
名を呼ばれ、顔を上げる。
「はい」
「どうかなさいましたか?」
「いいえ。お二人が、来年も同じように競い合っているところを想像しておりました」
「リシア様もご一緒です」
「わたくしも?」
「昨夜、三人で今より強くなると決めたではありませんか」
アレス様は、真っ直ぐにわたくしを見ていた。セレスへ向けたものと同じ、揺るぎのない期待が、その瞳に宿っている。
「来年、どれほど成長なさったか、拝見できることを楽しみにしています」
胸が大きく高鳴った。ただ美しいと言われるよりも、王女らしい、聖女らしいと褒められるよりも、その一言の方がずっとうれしかった。
「必ず、ご期待に応えてみせます」
「はい」
「アレス様こそ、わたくしたちがおそばにいないからと、無茶をなさらないでください」
「できる限り気をつけます」
「できる限り、では困ります」
「しかし、必要な時には――」
「そうやって、すぐにご自分だけは別だとお考えになります」
わたくしが一歩近づくと、アレス様がわずかにたじろいだ。あれほど強い方が、わたくしの言葉に困っている。それが少しだけおかしくて、けれど笑ってごまかす気にはなれなかった。
「お約束してください。次にお会いする時も、お元気な姿でいらっしゃると」
「リシア様」
「けがを一つもするなとは申しません。アレス様が危険な場所へ向かわれる方だということは、もう分かっています。ですが、ご自分のお命を軽く扱わないと、お約束してください」
アレス様が黙る。何を迷っているのだろう。やがて、その表情からわずかに力が抜けた。
「分かりました」
「本当ですか?」
「はい。必要な時には戦います。ですが、自分の命を軽く扱わないと約束します。お二人と、またお会いするためにも」
今度は、迷いのないお返事だった。わたくしは、ようやく肩の力を抜いた。
「でしたら、わたくしもお約束します」
「何をですか?」
「次にお会いする時は、わたくしもお二人を支えられるようになっています」
昨夜の約束を思い浮かべながら、真っ直ぐに見つめ返した。
アレス様の目がわずかに見開かれた。すぐに、穏やかな笑みへ変わる。
「期待しています、リシア様」
「はい」
その言葉を、もう一度胸へ刻む。期待されている。守らなければならない聖女としてではない。ともに強くなる一人として。
「アレス様。そろそろ出発のお時間でございます」
アークハルト家の従者が、少し離れた場所から声をかけた。続いて、グランベル家の馬車からも、準備が整ったことを告げられる。
とうとう、時間が来てしまった。
「リシア様」
アレス様が、改めて姿勢を正す。
「王都では、大変お世話になりました」
「こちらこそ、何度も助けていただきました」
「手紙をお送りします」
「わたくしへ、ですか?」
「はい。来年の訓練へ向け、こちらで進めていることもお伝えした方がよいでしょう。お二人の訓練やご活動についても、可能な範囲で教えていただければと思います」
やはり、アレス様の頭にあるのは訓練のことらしい。それでも、手紙が届くと思うだけで胸が弾んだ。
「お待ちしております」
自分でも分かるほど、頬が緩んだ。
「わたくしも、必ずお返事を差し上げます」
「アレス君、私にも手紙を送ってね。二人だけで送り合うのは、だめだから」
セレスが、アレス様へ少し身を乗り出す。
「もちろんです。訓練については、お二人へ同じようにお知らせします」
「訓練の話だけじゃなくて。私には、私宛ての手紙を書いてほしいの」
言い切った途端、セレスの頬がわずかに赤くなった。
「承知しました。セレス様にも、きちんと別の手紙をお送りします」
「……うん。約束だからね」
アレス様は真剣にうなずく。けれど、セレスがなぜ恥ずかしそうにしているのかまでは、分かっていないようだった。
その様子がおかしくて、こらえきれずに笑ってしまう。セレスもすぐに笑い出した。アレス様だけが、不思議そうにわたくしたちを見比べている。
「それでは、また来年」
アレス様が馬車へ向かう。
「はい。また来年」
「来年ね、アレス君!」
セレスは大きく手を振った。数歩進んだアレス様が振り返り、わたくしたちへ頭を下げる。
馬車へ乗り込む直前にも、もう一度こちらを見てくださった。目が合う。言葉はなかった。それでも、昨夜三人で交わした約束が、確かにそこにあるように感じられた。
アレス様を乗せた馬車が、ゆっくりと動き始める。護衛の騎士たちがその前後を固め、アークハルト家の旗が朝の風にはためいた。一行は正門の手前でいったん止まり、グランベル家の出発を待つ。
「リシア」
隣から呼ばれ、振り向くと、セレスが両腕を広げていた。
「人前です」
「もう正式な挨拶は終わったよね?」
「まだ大勢の方が見ています」
「一年以上も会えないんだよ」
その一言で、我慢する理由がなくなった。セレスへ歩み寄り、抱き締められるより先に、わたくしから腕を回した。
「必ず、お手紙をください」
「うん」
「けがをなさった時は、隠してはいけません」
「リシアもね」
「救護院でのことも、訓練のこともお伝えします」
「私も、砦や森であったことを全部書く」
しばらく、どちらも離れようとしなかった。幼い頃は、次に会える日など考えたこともなかった。会いたいと思えば、父や母へ願うことができた。
今は違う。わたくしたちは、勇者と聖女になった。セレスには国境があり、わたくしには王都と大神殿がある。それぞれに守るべき人々と、果たさなければならない役目がある。
「リシア」
「はい」
「負けないから」
耳元で、小さくささやかれた。何に、と尋ねる必要はなかった。
「わたくしもです」
同じ声の大きさで答える。身体を離し、二人で顔を見合わせる。セレスの青い瞳には、別れの寂しさと、それでも消えない強い光が宿っていた。
「アレス君にも、リシアにも負けないくらい強くなる」
「わたくしも、セレスとアレス様のお隣に立てる聖女になります」
「来年は、三人でだね」
「はい。三人で」
セレスが、いつもの太陽のような笑顔を見せた。
「行ってくるね」
「行ってらっしゃい、セレス」
セレスは馬車へ向かって駆け出した。三歩ほど進んだところで、後ろからローズ伯母様に名を呼ばれ、慌てて歩調を緩める。その姿がおかしくて、また笑みがこぼれた。
グランベル家の馬車も動き始める。正門の手前で待っていたアークハルト家の一行と合流し、二つの旗が並んで門をくぐっていく。窓が開き、セレスが顔をのぞかせた。
「リシア!」
大きく振られる手に、わたくしも手を振り返す。
「またね!」
「はい!」
第一王女としては、もう少し慎ましく見送るべきだったのかもしれない。それでも、今だけは構わなかった。
「必ず、お会いしましょう!」
セレスへ届くよう、声を上げる。
二つの一行が、王宮前の大通りへ出た。朝早くから見送りに集まった民たちの歓声が上がる。勇者の名。若きAランク冒険者の名。二人を称える声が、遠ざかる馬車を追うように王都の空へ響いていた。
やがて、両家の旗も大通りの先へ隠れた。歓声が遠のき、騎士や世話役たちが持ち場へ戻っていく。前庭は、急に広くなったように感じられた。
わたくしだけが、まだ手を下ろせずにいた。次に三人で会えるのは、一年以上先。その長さを思うと、視界がわずかににじんだ。




