第10話 ベンチ
今回のお客様は、毎週木曜日に公園のベンチで語り合う大切な友人を持つ男性です。
何気なく続いてきた時間の尊さを、静かに見つめ直します。
カラン――。
木の扉が静かに開いた。
七十代前半ほどの男性が店へ入ってきた。
紺色の帽子を脱ぎ、窓際の席へ腰を下ろす。
肩には小さな布のバッグを提げていた。
「いらっしゃいませ」
祐子が迎える。
「今日は、キリマンジャロをお願いします」
「かしこまりました」
やがて、珈琲の香りが静かに店内へ広がった。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
男性は珈琲を一口飲み、ほっと息をついた。
「近くの公園に、小さなベンチがあるんです」
祐子は静かにうなずく。
「その相手は八十を過ぎた女性です」
「毎週木曜日の午前十時になると」
「どちらからともなく、あのベンチへ向かうんです」
「毎週同じ時間に散歩をしていたら、自然と話すようになりましてね」
「最初は天気の話だけだったんです」
「それが花の話になって、歴史の話になって」
「もう五年になります」
「とても物知りの方でしてね」
「公園を歩きながら、『あれはハナミズキですよ』『あちらはヤマボウシです』なんて教えてくださるんです」
少し照れたように笑う。
「私は歴史が好きなので、この町の昔話をするんですよ」
「お互い、知っていることを話しているだけなんですが」
「でも、その時間がとても楽しいんです」
男性は湯気の向こうへ目をやった。
「雨の日は、お互い無理をしないことにしていました」
「また来週会いましょう、なんて約束もしません」
「でも、不思議と毎週木曜日の午前十時になると、あのベンチへ向かうんです」
静かな時間が流れた。
「ところが、三週間前から来られなくなりまして」
「気になって、ご近所の方に聞いてみたら、体調を崩して入院されたそうなんです」
「幸い、もう回復に向かっているそうです」
窓の外では、公園へ向かう小学生くらいの男の子と女の子が見えた。
先に着いた男の子はベンチへ座り、女の子が来るのを待っていた。
女の子は手を振りながら駆け寄り、二人は笑顔で並んで歩き始めた。
男性は、その様子を見つめて微笑む。
「これからも、毎週木曜日の午前十時には、あのベンチへ行こうと思います」
「退院されたら、また花の名前を教えてもらわないといけませんから」
そう言うと、静かに珈琲を飲み干した。
「ごちそうさまでした」
「こちらこそ、ありがとうございました」
祐子も笑顔で応える。
男性は帽子をかぶり、軽く会釈をして店を出た。
カラン――。
ベルがやさしく鳴る。
「来週も、お出かけになるのですね」
ハル子が言った。
「ええ」
祐子はカップを磨きながら微笑んだ。
「また、お二人のお話が始まりますね」
喫茶 春風。
今日もまた、一人の心に、小さな春風が吹いた。
誰かと同じ時間を重ねることは、何よりもかけがえのない贈り物なのかもしれません。
また同じ場所で笑い合える日を思いながら、今日も穏やかな時間は流れていきます。




