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兎の喫茶店  作者: 超山熊
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男性のお客様へ

この作品のみ、AIを使用しています。

超山熊の他作品ではAIを使用していません。

とある方への参考として書きました。


「……はぁ。もう、いっそのこと消えてしまいたいな」

 

 就職活動に全敗し、挙句の果てに恋人にも振られた俺は、冷たい雨が降る夜の街を彷徨っていた。

 踏んだり蹴ったり、なんて言葉じゃ足りない。

 世界中から「お前はいらない」と突きつけられたような、圧倒的な孤独感。

 気づけば、見覚えのない薄暗い路地裏に迷い込んでいた。

 スマホのマップを開く気力すらない。

 寒さに震え、ただ雨をしのげる場所を探して顔を上げたとき、それが目に飛び込んできた。

 古びたレンガの壁に、ぽつんと灯る琥珀色のランプ。

 その下に、小さな木製の看板が揺れている。


 

『兎喫茶』


 

「うさぎ、きっさ……? こんなところに、店なんてあったか?」

 

 すりガラスの扉からは、暖かそうな光が漏れている。

 怪しい店かもしれない、と頭の片隅で警鐘が鳴ったが、凍えそうな身体は本能的に温もりを求めていた。

 

カラン、コロン。

 

 ドアを開けると、どこか懐かしい真鍮(しんちゅう)の鈴の音が、静かな空間に響いた。

 焙煎された珈琲の香ばしい香りと、甘いバニラのような香りが鼻腔をくすぐる。

 外の喧騒が嘘のように遮断された、暖炉のある静かな空間。

 

「――いらっしゃいませ。雨の中、よくおいでくださいました」

 

 奥から聞こえてきたその「声」に、僕は思わず息を呑んだ。

 鈴の音よりも澄んでいて、チェロの低音のように深く、同時に絹のようになめらか。

 少年のみずみずしさと、大人の女性の艶やかさが奇跡的なバランスで同居しているような、そんな不思議な声だった。


 カウンターの奥から姿を現した店員を見て、僕はさらに言葉を失う。

 照明を反射してきらめく、シルクのような銀髪。

 ほんの少し垂れ下がった、吸い込まれそうなほど美しい白金色(プラチナ)の瞳。

 仕立ての良い黒いベストと白いシャツを着こなしたその姿は、まるで童話の絵本から抜け出してきたかのように儚く、そして美しかった。

 

「お寒かったでしょう。さあ、こちらへどうぞ」

 

 彼――あるいは彼女は、僕を暖炉に一番近い特等席へと促した。

 

 手渡された温かいおしぼりで手を拭いながら、俺は我知らず、その店員の姿を目で追っていた。

 無駄のない、流れるような美しい所作で珈琲を淹れている。

 

「あの……」

「はい、何でしょう?」

 

 ふわりと微笑む仕草に、胸がトクンと跳ねる。

 男性にしては線が細すぎるし、女性にしては背が高く、肩幅もしっかりしている。

 

「失礼ですけど……店員さんは、男性、ですか? それとも……」

 

 思わず口をついて出た不躾な質問。

 だが、その店員は気を悪くする風でもなく、クスリと悪戯っぽく微笑んだ。

 

「さあ、どちらでしょう? ここは『兎喫茶』。兎の性別なんて、人間には見分けがつきにくいものです。ボクはただの『ノエル』。あなたを癒やすためだけの、ただの店員ですよ」

 

――ノエル。その響きすら、その中性的な美貌に完璧にマッチしていた。

 

「お待たせいたしました。今夜のあなたには、これがお似合いです」

 

 目の前に置かれたのは、純白の泡がこんもりと乗ったカプチーノ。

 その上には、ココアパウダーで不器用そうな、でも愛らしい兎の絵が描かれていた。

 

「頼んでない、ですけど……」

「当店のシステムです。お客様の『心の冷え具合』に合わせて、ボクがお飲み物を選ばせていただいています。……ずいぶんと、凍えていらっしゃるようでしたから」

 

 ノエルはそっと僕の向かいの席に腰掛けた。

 普通なら距離感に戸惑うところだが、不思議と嫌な気がしない。むしろ、包み込まれるような安心感があった。

 

「……俺、今日、全部ダメになったんです」

 

 ぽつり、ぽつりと、自分でも驚くほど素直に言葉が溢れ出た。

 面接で落とされたこと。長く付き合った彼女に裏切られたこと。自分が空っぽで、どこにも居場所がないこと。

 ノエルは何も言わず、ただ静かに、僕の拙い言葉に耳を傾けてくれた。

 時折、「ええ」「大変でしたね」と相槌を打つその声が、まるで極上の音楽のように耳から脳へ、そして傷ついた心へと染み渡っていく。

 声を聞いているだけで、強張っていた身体の力が抜けていくのがわかった。

 

「……お客様。人間は、時々、立ち止まるための理由を探す生き物です」

 

 ノエルが俺の眼を真っ直ぐに見て、あの至高の声で言う。

 

「不採用にした会社も、去っていった彼女も、今のあなたの価値を決めるものではありません。彼らはただ、あなたの席ではなかったというだけ。あなたの『特等席』は、これから見つかります。……現に今夜、あなたはここに辿り着いた」

 

 ノエルはそっと、カプチーノを僕の方へ押し出した。

 

「まずは温まってください。明日を始めるのは、それからでも遅くはありませんよ」

 

 言われるがまま、カプチーノを口に含む。

 濃厚なミルクの甘みと、エスプレッソの心地よい苦味。そして、ノエルの声の余韻。

 冷え切っていた心の奥底が、じわじわと熱を帯びていくのを感じた。

 

「……美味しい、です」

「よかった」

 

 ノエルは、本当に嬉しそうに、少女のようであり青年のようでもある、無垢な笑顔を咲かせた。



 

 気づけば、雨は上がっていた。

 時計を見ると、いつの間にか1時間が経過していた。

 

「ごちそうさまでした。不思議です。ここへ来た時より、ずっと身体が軽い」

 

 代金を支払い、扉へ向かう。

 ノエルは最後まで丁寧な一礼で見送ってくれた。

 

「それは、あなたが前を向く力を持っていたからです。ボクは少し、そのお手伝いをしただけ。……また、心が寒くなったら、いつでもお立ち寄りください。この席は、いつでも空けておきますから」

 

カラン、コロン。

 

 再び鈴の音が響き、俺は路地裏の冷たい夜気(やき)の中へと戻った。

 だが、もう寒さは感じない。胸の奥には、確かな温もりが残っていた。

 

 振り返ると、そこにはただの古びたレンガの壁があるだけのように見えた。

 けれど、俺にはわかる。

 あの銀髪の美しい、性別のない天使が待つ秘密の場所が、確かにそこにあるのだと。

 

「よし……明日から、また頑張るか」

 

 俺は小さく息を吐き出し、夜の街へと歩き出した。

 心の中に、あの美しい声を響かせながら。

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